第一一〇回 ①
マクベン奇人を面罵して衷心を吐き
インジャ降将に憐察して仁慈を賜う
さて獬豸軍師サノウの奇策でジョナン軍を破ったジョルチ軍は、超世傑ムジカをはじめとする敵将数名を擒えるという大戦果を挙げた。
義君インジャは、ムジカの人となりを惜しんで幕下に加わるよう促した。しかし決心が着かなかったので、ひとまず美髯公ハツチに身柄を預けた。
一夜の祝宴から明けて翌朝、インジャはウリャンハタ軍の安否を気遣って飛生鼠ジュゾウを送り出した。自軍の勝利を伝えるとともに今後の策を諮るためである。サノウが言うには、
「碧水将軍はまだ超世傑が敗れたことを知らぬ。もしウリャンハタがいまだ勝を制していなければ私に策がある。先方が請えば、その策を出す」
訝しげな顔で、
「先方が請えば、ってのはどういう意味です?」
「ウリャンハタにも智謀の士が揃っている。余計な助言は慎んだほうがよかろう」
「ははあ、いろいろ気を遣うことで。わかりました。では行ってまいりましょうかねえ」
ジョルチ軍はいつでも発てる用意を整えた上でその場に留まり、ジュゾウの帰還を待つとともに英気を養った。
投降したジョナンの兵衆は旗幟、軍馬、得物を奪われてひとつところに集められていた。それを押し包むように布陣している。ハツチは心を尽くしてムジカらをもてなした。前夜の祝宴も中途で退席したほどである。
翌日には軍務の合間を縫って胆斗公ナオルが面会を求めた。心揺れるムジカであったが、これと語り合っておおいに共感を覚える。
さらに昼には百策花セイネンと吞天虎コヤンサンが食事をともにし、午後になって九尾狐テムルチ、雷霆子オノチがやってきておおいに楽しんだ。
ムジカは虜囚の身を卑しむことなく、いずれの好漢にも鷹揚に、かつ丁寧に接した。その見識に触れたものは一様に感心して、ますます敬意を集める。
皁矮虎マクベンは独り不機嫌に押し黙ったままだったが、奔雷矩オンヌクド、笑小鬼アルチンらは次第に打ち解けて、会話が弾むようになった。
夕刻、ついに奇人チルゲイが、セイネンとともに酒を携えて現れる。
「やあ、超世傑。客人が多くて大盛況らしいではないか」
陽気に挨拶すれば、神妙な面持ちで答える。
「みなさんの厚意には実に感謝している」
「俚諺に『桃李言わざれども下自ずから蹊を成す』と謂うが、まったくだな。英傑には自然と人心が集まるものだ」
ムジカは、ふっと自嘲して笑うと、
「おだてるな。この口達者め」
「ははは。君も知ってのとおり、私は偽言と世辞は言わぬ」
「よく囀る鳥だわい」
アルチンが言って、一同大笑い。美酒で満たされた杯が廻る。
チルゲイは投降のことには触れずに、さまざまな好漢の消息について語る。神箭将ヒィ・チノ、獅子ギィ、神道子ナユテなどの名が次々と挙がる。語り合うほどにムジカは嘆息することしばしばだったが、やがて言うには、
「ああ、昔日とは大違いだ。『士、別れて三日、すなわちまさに刮目して相待つべし』とは至言だなあ」
オンヌクドも頷いて、
「奇人殿とてかつては徒手空拳の浮遊の徒であったが、今や西原の重鎮の一人だ」
大仰な身振りで否定すると言うには、
「重鎮などとんでもない! 相変わらず浮遊の身と何ら変わらぬ。義と見れば援け、危と看れば避ける。酒に酔い、朋に親しみ、喜をもって楽しみとなし、楽をもって喜びとなす。何とよい人生だ」
そして呵々大笑する。セイネンが眉を顰めて言った。
「そんなことだから君は今ひとつ信用されぬのだ」
「まあまあ、我らはまだ若い。肩の力を抜かぬと早逝するぞ」
アルチンが細い目を見開いて、
「何と、奇人殿は長生するつもりだったのか」
「いや」
また満座は笑いに包まれる。ささやかな宴はなおも続く。ともすればこれが陣中であり、かつ昨日まで勝敗を争ったもの同士であることすら忘れそうになる。
まるでジョナンのムジカのゲルで飲み交わしているかのよう。だが実際にそうしていたのは、もう七年以上も前(注1)のこと。今さらながら時の流れたことに驚く。久々にムジカらは心の安らぎを覚える。
(注1)【七年以上も前】ジョナン軍がマシゲル軍と戦ったころ。第四 一回①などを参照。