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草原演義  作者: 秋田大介
巻八
436/783

第一〇九回 ④

ムジカ陣を払って九尾狐大功を成し

インジャ義を説きて断事官秘画(ひかく)を弁ず

 インジャは快諾してサノウを(うなが)す。不承々々といった風で進み出ると、拱手して名乗って解説を始める。


「まず、どこからお話ししましょう。そうですね、ゾルハンが援軍を(もと)めて我が(トイ)を突破した辺りからでよいでしょうか」


 サノウがその動きを読んでいたことは先述したとおりである。彼はわざとトオリルに陣を薄く(ニムゲン)させて、ゾルハンが来たらあえて逃がすよう、命じていたのである。


 アルチンの援護(トゥサ)のための奇襲が少々予想外だったが、おかげでさして怪しむことなくゾルハンは陣を突破、平原(タル・ノタグ)に出た。


 紅き隷民(アル・ハラン)は喜んで西(バラウン)に向かったが、サノウはその先々に兵を伏せていた。すなわちドクト、オノチ、マルケ、コヤンサンの四将である。ついにこれを捕捉すると、その軍装を奪ってカミタ軍千騎(ミンガン)を紅き隷民に装った。


 クルチア・ダバアでは、昼夜の奇襲を繰り返すうちに布陣(バイダル)を大きく()えた。奇襲は昼はテムルチが、夜はイエテンとタアバが行った。


 どう手を加えたかといえば、セイネンとトオリルが(はか)って「偽兵の計」を用いたもの。すなわち旗幟(トグ)の数を増やし、寡兵を巧妙に配置してあたかも大軍が陣しているように見せた。


 これはセイネンの得意とするところで、かつてメルヒル・ブカにサルカキタン・ベクを破った詭計(注1)である。


 それによって生じた余剰の兵をどうしたかといえば、夜陰に乗じて平原に送ったのである。ドクト、コヤンサンがこれを待っていた。かねて用意してあったイレキ氏の軍旗を大量に掲げる。これはジュゾウとセイネンが獅子(アルスラン)ギィについて南原へ行ったとき(注2)に(しら)べて作製、持参したもの。


 かくして準備が整ったところで、最後の仕上げとなる。


 イレキ軍、紅き隷民に扮したコヤンサンらの進路を決めて、その(モル)の左右にゴルタを伏せる。また偽兵として残っていた各隊の動きを細かく定めた。ムジカらを欺き、誘い出すためである。これはトオリルがすべてを請け負った。


 一方、ナオルは一軍を率いて、ムジカらが出立してから別の道を辿って後方を遮断、テムルチは歩卒をもって山道から山頂へ向かう間道を押さえた。


 インジャは本営(イェケ・ゴル)を後方に下げて、余の好漢(エレ)とともに結果を待った。負傷したシャジもここにあった。


 そしてついにコヤンサンらに(カラ)が下る。応じて七千騎が砂塵を挙げて迫る。トオリルはさも後背から襲われて錯乱したかのように旗幟を動かし、乱戦を演出する。


 あとはムジカも知るとおりである。援軍到来と喜んで下山したところを一転、ドクト、コヤンサンらが襲ったのだった。誘い出された時点で逃れる術はなく、まさに広げられた(チルメ)の中に飛び込んだという次第。




 聞き終わったムジカは、おおいに感心して、


「なるほど、そこまで周到に……。完敗だ。恐れ入った」


 そのとき(にわ)かにゾルハンが(うめ)き声を挙げるとわっと伏して、


「私が余計なことをしたばかりに超世傑様に恥を掻かせてしまいました! 死んでお詫びいたします!」


 そう叫ぶや(エブル)に隠し持っていた小刀を抜き放つ。周囲の好漢はあっと驚いたが、すぐには動くことができない。独りさっと跳躍してそれを叩き落としたのは、何とムジカであった。言うには、


(アミン)を粗末にするな。敗戦の責はすべて主将たる私にある。軽挙は慎め」


 ゾルハンは膝を突いて号泣する。ムジカはインジャに礼をすると、


「ハーンの宸襟(しんきん)(注3)を騒がせたこと、まことに申し訳ありません。我々はハーンに命を預けた虜囚の身。以後こうしたことのないよう、しかと言い聞かせますれば何とぞご容赦を」


 そしてハツチに導かれて悠然と退出する。みな感心してこれを見送る。コヤンサンがううむと嘆声を漏らして言うには、


大丈夫(エレ)、かくあるべし。超世傑とはよく名付けたものだ」


 それを機に方々で賛嘆の声が挙がり、幕舎(チャチル)を満たす。ナオルが言った。


「チルゲイの言うとおり、まさに真の好漢。死なせるにはあまりに惜しい」


 イエテンもまた慨嘆して、


「何とか(オロ)を決めてもらいたいものだ」


 すでにして居並ぶ好漢たちは、ムジカの人となりに深い感銘を抱いていた。中でただ独りタアバが疑って言うには、


「しかしハツチ一人に(まか)せておいてよいのか。奴を人質にとって逃亡(オロア)されたら困るぞ。戒めを解くのは早かったのではないか」


 これは周囲から散々に罵声を浴びる。殊に激昂(デクデグセン)したのはコヤンサン。


「お前はすぐにそういうことを言う。好漢とそうでないものの区別も付かぬとは情けない! もし超世傑がそのような挙に及んだら、我が不明を呪って俺が必ず奴の命を奪ってくれるわ」


 タアバは寄って(たか)って非難されておおいに不服そうにしていたが、戦勝の祝宴が始まるとすっかり忘れてしまったかのようであった。南征において最初の勝利を得たジョルチン・ハーンの黄金の僚友(アルタン・ネケル)は、一夜の宴を心行くまで楽しんだ。


 だが真の勝利に至るまでの道程は遥かに険しく長い。いまだヤクマン部は彼らに倍する兵力を有しており、宿敵四頭豹はもちろん健在である。


 しかし今日の勝利の意義は小さくない。兵を(そこ)なうこと僅かで名将ムジカを破り、その身を(とら)えることに成功した。インジャはその才略と人格を惜しんでチルゲイをして幕下に招かしめたが、そればかりはどうなるか判らない。


 また碧水将軍(フフ・オス)オラルと対するべく軍を分かったウリャンハタ軍からの捷報(しょうほう)も届かない。まさしく我が身は祝杯に酔うも、遠き友軍(イル)を憂えて落ち着かぬといったところ。


 故郷の山河を(へだ)てること千里、星ある天(ホドタイ・テンゲリ)を仰げば、月華(げっか)(注4)淡く軍営を照らす。宴果てて英傑諸将はそれぞれの眠りに就く。彼らを待ち受けるのはいかなる命運(ヂヤー)か、それは天王(フルムスタ)のみが知るところ。


 果たしてムジカはいかなる決心をするか。またウリャンハタと碧水将軍の(ソオル)はどうなったか。それは次回で。

(注1)【サルカキタン・ベクを破った詭計】メルヒル・ブカの役。第 七 回②、および第 八 回②参照。


(注2)【南原へ行ったとき】バラウンの記憶回復を助けた。第一〇一回①参照。


(注3)【宸襟(しんきん)】天子の御心。


(注4)【月華】月の光。

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