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草原演義  作者: 秋田大介
巻八
435/783

第一〇九回 ③

ムジカ陣を払って九尾狐大功を成し

インジャ義を説きて断事官秘画(ひかく)を弁ず

 (ようや)くインジャは、ムジカ以下の敗将に(ニドゥ)を向ける。ここに至って超世傑ムジカは端然と座し、(チェエヂ)を反らしてその視線を受け止める。


 しばらく無言で見合っていたが、やがてインジャが立ち上がった。ゆっくりと近づくと、その戒めを解く。ムジカはおおいに驚いて、これを見上げる。すると言うには、


「天下に名高い好漢(エレ)に対してこのような扱い、まことに申し訳ありません。タンヤン、彼らに席を」


 顧みて言えば、タンヤンがはっとしてこれを用意する。その間にインジャは残る四人も解き放って言った。


「図らずもみなさまと戦場に争い、このようなことになってしまいました。非礼(ヨスグイ)は、戦中のこととてお(ゆる)し願いたい」


 ムジカらは呆然としていたが、やっと言うには、


「なぜ敗将たる我らにそのような……」


 席を勧めながら莞爾として言うには、


「みなさまを好漢とお見受けしたからです。不幸にも(オロ)を通ずることができず、干戈を交えることとなってしまいましたが、内心では将軍とは戦いたくなかった」


「そ、それはまたどうして?」


 問いに答えて、


「我々も将軍も、ともに四頭豹ドルベン・トルゲを(オソル)としているからです」


 この言葉(ウゲ)に、ジョナンの諸将は少なからぬ衝撃を受ける。インジャはさらに説いて言った。


「このたびの南征は、私欲のために始めたものではありません。長らくトオレベ・ウルチに苦しめられたジョルチ部の、いや(ブルウ)草原(ミノウル)全体の安寧(ヘンケ)を保たんがため、やむなく蜂起したのです。また四頭豹こそは最後まで我が部族(ヤスタン)の統一を(はば)まんとした奸物。私はこれとともにテンゲリを戴くことはできません。あえて天下に名高い超世傑殿と争う理由など、もともとないのです」


 そしてその澄んだ(トンガラグ)目をムジカに注ぐ。


「なぜそのような話を私に?」


 すぐには答えず、チルゲイに目を()る。次いで言うには、


「そこにある奇人殿から将軍の噂を聞いて、久しく敬愛の念を抱いておりました。図らずもここでお会いできたので、是非とも私の信じる義を聴いていただきたかったのです」


 ムジカはそこで初めて奇人の姿(カラア)に気づく。


「奇人殿……」


 チルゲイは数歩前に出て拱手すると、


「超世傑殿、お久しぶりです。陣中にて将軍の用兵を拝見しておりましたが、まったく英傑(クルゥド)の名に恥じぬ見事なものでした」


「ははは、敗軍の将に何を言う」


 自嘲して笑う。チルゲイは首を振って、


いえ(ブルウ)、決して揶揄(やゆ)して言うのではありません。私は天下のためにその(アルガ)を惜しむもの。たかが四頭豹ごときの奸計で失うには、あまりに惜しい」


 居並ぶ好漢たちは一斉に頷く。しかし彼らもまだインジャとチルゲイの意図はしかとは判らない。ムジカは小さく震える(ダウン)で尋ねた。


「いったい奇人殿は何を言おうとしているのだ」


 答えたのはインジャ。穏やかに言うには、


「その才を、乱世を終わらせるために使おうとは思いませんか?」


「えっ?」


「将軍を好漢と見込んでお願いいたします。どうか私に(クチ)を貸していただきたい。奸侫の徒を討ち滅ぼし、草原(ミノウル)に平和と秩序(ヂャサグ)を復するために」


 あまりに意外な言葉に答える術も知らず、瞠目して眺め返すばかり。やっと絞り出すように言うには、


「そ、それは……。ヤクマンに、ハーンに(そむ)け、と?」


 俄かにチルゲイが声高に言った。


違う(ブルウ)! 君が忠義に厚いことは知っている。しかし、そのトオレベ・ウルチこそが大には中華(キタド)と結んで草原(ミノウル)を乱し、小には四頭豹を重用して好漢たちを(おとしい)れているのではないか。己とその盟友(アンダ)の境遇を思い出せ!」


「奇人殿……」


 あとは無言でうなだれる。混乱して言葉が出なくなったのである。彼にとって世界(イュルトゥンツ)はヤクマン部がすべてであり、草原(ミノウル)全体のことなど考えたこともない。いわんやその麾下の諸将においてをやである。


 さらにチルゲイは語を継いで、


「奸者を追い、平和が恢復すれば、すなわちヤクマンの人衆(イルゲン)にとっても益となる。ゆえにトオレベ・ウルチ、梁公主、四頭豹の三人は絶対に亡ぼさねばならぬ」


 ゾルハンをちらりと見遣(みや)ると、


「さもなくんば、第二、第三の赫彗星を生むことになろう。だいたい君とて欺かれたばかりではないか」


 ムジカはたまらずチルゲイの雄弁を押し止めて、


「時を、時をもらいたい……。今は何が何だか……」


 インジャが微笑んで、


「よろしい。好い返事をお待ちしております。ではハツチ、君が彼らを預かってくれ」


承知(ヂェー)


 重々しい調子で拝命する。従卒に(うなが)されて立ち上がったムジカは、はっとして振り向くと、


「ひとつお尋ねしたい」


「何なりと」


「私は愚昧にて、まだ己がどのようにして敗れたのか判りません。願わくば教えていただけないでしょうか」

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