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草原演義  作者: 秋田大介
巻八
434/783

第一〇九回 ②

ムジカ陣を払って九尾狐大功を成し

インジャ義を説きて断事官秘画(ひかく)を弁ず

 一方、笑小鬼アルチンは、右往左往するうちに呑天虎コヤンサンに出合って、やはり(とら)えられた。これも丁重に本営(イェケ・ゴル)に送るよう命じると、


「よし、追え、追え! 追い詰めろ!」


 混戦にあってもよく通る大声で兵を叱咤して、真っ先に駆けだす。焦げた臭気(コンシュウ)の漂う(モル)を抜けてムジカを追撃する。


 そのムジカは僅かな手勢とともに再び坂道を登る。従う将はオンヌクド独り。さすがの超世傑も(うつむ)き、(オロウル)を噛んで、


「ああ、私は愚かだ。マクベンは、アルチンは、ゾルハンは、どうなったであろう……」


 オンヌクドがこれを慰めて、


「過ぎたことを悔やんでもしかたありませぬ。何としても逃れて再起を図りましょう」


「兵が大勢死んだ。私はどんな(ヌル)でアイルに帰ればよいのだ」


 そこではっと顔を上げると、


「ああ、これこそきっと四頭豹の狙いどおりに違いない……」


 あとは黙して語らない。傍ら(デルゲ)を行くオンヌクドも、あれこれ(おもんぱか)って何も言えない。さらに主従が励まし合って登っていくと、(にわ)かに金鼓が轟いて心臓(ヂルゲ)が止まりそうになる。


「くっ、ここまでか……」


 ムジカは鞍上にがっくりとうなだれる。


 一群(スルグ)の騎馬が道を(ふさ)いでいる。進み出たのはジョルチの右王、胆斗公(スルステイ)ナオル。別途を迂回して(トイ)を張り、待ち構えていたのである。


「超世傑殿、我がハーンがお待ちです。どうか得物を棄てていただきたい」


 ムジカは潔く諦めて従おうとする。兵衆もこれに(なら)ったが、独り奔雷矩は(ダウン)を張り上げると、


族長(ノヤン)! ここは私に(まか)せて、お逃げください!」


 言うや否や、主の手綱(デロア)()いて馬首を転じると、その(ボコレ)を音高く鞭打った。(アクタ)はびくりとして狂ったように走りだす。ムジカはわけもわからず、ただその背にしがみつく。しばらく道を下ってやっと我に返ると、後悔の(ドウラ)堪えがたく、


「私ごときを救うためにオンヌクドまで……。何の面目あって人衆(ウルス)(まみ)えよう」


 と、前方から大勢の騎兵が来るのが(ニドゥ)に入る。呑天虎コヤンサンを頭とする一隊であった。ムジカは咄嗟に下馬して道の脇に転がり込む。(アミン)を惜しんだわけではなかった。意識せずとも身体(ビイ)が動いてしまったのである。


 やむなく道なき道を徒歩で進む。(フル)を引き摺るようにして、(グル)があれば折れ、行き止まれば()じ登った。何も考えずに彼は山頂を目指した。下れば敵騎が溢れている。望む望まぬにかかわらず、残された道は上にしかなかった。


 幾度目かの登攀(とうはん)を終えたとき、不意に上から声がかけられた。


「お待ちしておりましたぞ」


 ムジカはあっと驚いてうっかり(ガル)を放してしまった。身体が一瞬宙に浮いたが、その手がさっと(つか)まれる。


 誰あろう、これぞ山岳戦に()けたオロンテンゲル(アウラ)好漢(エレ)、九尾狐テムルチであった。ムジカはもはや抵抗する気もなくおとなしく従う。テムルチはこれを(うなが)して険しい道を下った。


 主な将領をことごとく(とら)えたジョルチ軍は、ジョナンの兵衆に投降を呼びかけた。一万騎(トゥメン)のうち応じたのは半ば(ヂアリム)の五千。あとはどうなったかといえば、もの言わぬ屍と化していたのである。


 好漢たちは続々と帰ってきて復命した。ジョルチン・ハーンはこれをいちいち(ねぎら)った。左右に在るのは獬豸(かいち)軍師サノウ、美髯公(ゴア・サハル)ハツチ、飛生鼠ジュゾウ、金写駱(アルタン・テメエン)カナッサ、飛天熊ノイエン、長旛竿(オルトゥ・トグ)タンヤンである。


 まずドクトがマクベンを伴って現れる。次いでコヤンサンがアルチンを、ナオルがオンヌクドを連れてくる。新たな虜囚が至るごとにみな快哉を叫ぶ。


 その興奮は、テムルチがムジカを引いてきたときに最高潮に達した。ジョナンの諸将は主君(エヂェン)姿(カラア)を見て、目を伏せて流涕する。


 次いで百策花セイネン、百万元帥トオリル、雷霆子(アヤンガ)オノチ、白面鼠(シルガ・クルガナ)マルケ、霖霪(りんいん)駿驥(しゅんき)イエテン、旱乾(かんかん)蜥蜴(せきえき)タアバ、左王ゴルタが戻ってくる。負傷した往不帰シャジも顔を見せる。これですべての好漢が揃った。


 いや、もう一人、ウリャンハタの奇人チルゲイが最後に幕舎(チャチル)に入る。彼もまた一人の将を伴ってくる。すなわち紅き隷民(アル・ハラン)の帥将ゾルハンである。


 おもむろにインジャが(アマン)を開いて、


「みなよくやってくれた。軍師の智略はいつもながら驚嘆に価する。功績一等の栄誉(フンドゥ)は君が受けよ」


 サノウは恭しく拝礼すると言うには、


「常々申しておりますが、私は帳幕(ホシリグ)に計を(もてあそ)んだだけのこと。第一の功績は、山岳戦において抜群の(アルガ)を発揮し、ついに超世傑を(とら)えた九尾狐にお与えくださいますよう」


 これを聞いてテムルチは得意げに(エリウン)を上げる。サノウは続けて、


「次は、援軍を(もと)めるゾルハンを故意に逃がし、また挟撃されて混乱したがごとく偽装して敵軍を誘い出した百万元帥こそ賞されて然るべきです。策戦において最も難しい(ヘツウ)ところを()く務めました」


 そう言ってあくまで賞与を辞退する。インジャも重ねては言わず、言葉どおりに二人を賞する。ジュゾウが傍らのノイエンに(ささや)いて、


「まったく軍師も相変わらずだな。くれるものは貰っておけばよいのに」


 余の好漢も、それぞれはたらきに応じて嘉賞される。

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