第一〇七回 ④
ムジカ群舞鮮やかに諸賢を欺いて走り
マクベン伏姦密やかに兵鋒を制して起つ
さて南征軍のほうは、さしたる戦果も得られぬまま日没を迎えてしまったので、やむなく夜営を張った。幕舎に集った諸将の表情はいずれも冴えず、黙って俯くばかり。
そこに赤心王ジョルチン・ハーンがやってきたとの報せを受ける。招き入れられたのはほかに胆斗公ナオル、獬豸軍師サノウ、百策花セイネン、百万元帥トオリル、飛生鼠ジュゾウの五人。
ウリャンハタの好漢たちは、恥ずかしさに顔を上げることもできず、黙然としている。カントゥカは客人に席を勧めると、重い口を開いて、
「今日は、あの超世傑とやらのおかげで思わぬ失態を演じた。さぞ失望しておられよう」
インジャは軽く首を振ると、莞爾として言うには、
「勝敗は兵家の常、お気になさるな。それよりも明日のことが重要かと」
ナオルも賛同して、
「我がほうの損失は、はなはだ軽微かと存じます。見方を変えれば、大軍に恐れを成した超世傑が退却したに過ぎません。これをもってこれを覩れば、我が勝利と申してもよいでしょう」
意を得たタクカが、
「そのとおりです。我々は労せずしてさらに南原の奥に兵を進めることができるのです。もって良しとせねばなりますまい」
ヒラトが陰鬱な調子で、
「問題はムジカとその兵が何処へ逃れたかということ……。これを放置したまま行くことはできません」
その発言が終わらぬうちにセイネンが言うには、
「心配なく。すでに飛生鼠の配下が探索に向かっています」
「ほほう、手回しのよいことだ」
チルゲイが言えば、きっと睨まれて首を竦める。トオリルがそれにかまわず神妙な顔で言った。
「ともかく想像以上にムジカの用兵は巧妙です。僭越ながら夜襲には十分警戒あるようお願いします」
カントゥカは無論と言いたげに重々しく頷く。ひとまずはそれで話すべきこともなくなったので、それぞれの陣に帰った。南征における緒戦は以上のような経過を辿り、勝敗なきまま次の戦場に持ち越された。
数ある勇将、知将をただ一人で翻弄した超世傑の名は、一連の戦が終わったあと、いつまでも称えられることになる。このとき参加した連合軍の好漢たちは、苦笑とともにこの戦を思い出すのである。
伝え聞いた東原の雄、ヒィ・チノは呵々大笑して、
「智恵が有り余っているというのも難儀なことだ。それにしても豪胆というか、無謀というか。奇策と言うのも憚られるような粗末な策だ」
そう側近に語ったと云う。
こともなく夜が明けて、連合軍は再び動きはじめた。大量に放たれた斥候が帰ってきて、ムジカがクルチア・ダバアに拠っていることを報せる。タクカが眉を顰めて言うには、
「また険阻な地を選んだものだ。これは容易に抜けぬぞ」
シンは汚名を返上せんと息巻いて言った。
「今度は詐術を弄する間を与えぬ!」
そこへタケチャクの一隊が戻ってきて告げて言うには、
「南方三百里を一万騎が北上中、旗は青地に白菱!」
軍を留めて、急いで中軍およびジョルチ軍に報せる。セイネンがそれを聞いて言った。
「おそらく八旗軍の一、碧水将軍オラル・タイハンの兵でしょう」
インジャは尋ねて言うには、
「碧水将とはいかなる将か」
「水利を用いた策を得意とする将ですが、騎兵の運用に優れ、叉を能く使い、赫彗星と同じく礫を投げるとか」
サノウが進み出て言った。
「こちらも兵を分けたほうがよろしいかと。碧水将と超世傑が連絡を取り合う前に、個々に撃破するべきです」
頷いて、
「エルケトゥ・カンに伝令を」
二人の君主はそれぞれ幕僚を従えて会合を持った。結局、ジョルチ軍はムジカを、ウリャンハタ軍はオラルを討つことになった。シン・セクはムジカとの再戦を望んだが、アサンに窘められて口を噤む。
席上、インジャがカントゥカに言うには、
「奇人殿をお貸し願いたい」
請えばあっさりと承知されて、チルゲイはジョルチの陣に加わった。
いよいよ南北の好漢入り乱れての決戦の秋は迫り、諸将の心も自然と張り詰める。テンゲリに定められた宿星もいまだ合一に至ることなく、天意を悟りえぬ悲しさか、いたずらに干戈を交えるといったところ。
まずは要害に拠る超世傑が、赤心王の兵を迎え撃つ。果たして黄金の僚友はいかにしてこれと戦うか。それは次回で。