第一〇七回 ③
ムジカ群舞鮮やかに諸賢を欺いて走り
マクベン伏姦密やかに兵鋒を制して起つ
ホンゴル・エゲムをあとにした連合軍は、まんまとしてやられた恥を雪ぐため、躍起となってムジカを追った。
中でも麒麟児の猛追は凄まじく、他の軍勢を大きく引き離す。すなわちそれは、ムジカとの間を次第に縮めることになる。最も近くにいながらこれを逃したことは、シンにとって堪えがたき屈辱であった。
しばらく駆けて、ついに敵影を視界に捉える。
「しめた! 居たぞ!」
全軍を叱咤して鞭を振るう。黒亜騏も応えてさらに速度を増す。当然、ムジカらもこれに気づいた。だが笑みすら浮かべて言うには、
「来たぞ。よし、あの丘を回ったら反転、迎え撃つぞ!」
紅き隷民は勇躍して、おうと叫ぶ。一陣の風となって丘の右手を駆け抜けると、一斉に馬首を転じる。
ネサク軍は敵が丘の陰に隠れるのを見て、逃がすなとばかりにあとに続く。と、待機していた紅き隷民の猛反撃に出遭う。機先を制されて動揺するが、そこは西原一の精鋭、すぐに戦意を復して攻めかかる。
たちまち乱戦となり、白刃のきらめきが目に踊る。馬の嘶き、干戈の響きは耳を掩う。
「それ、敵は寡勢だ! 進め、進め!」
シンはそう叫びつつ、七星嘆を振るって確実に屍を増やす。そこへ一見してそれと判る驍将が近づいて言うには、
「そこのもの、麒麟児と見た! いざ戦わん!」
「何ものだ」
「ジョナン氏族長、ムジカ」
「な、何っ? 超世傑か!」
驚くと、目に炎を燃やして、
「来い!」
麒麟児の得物は一個の剣、超世傑のそれは一個の戟、互いにひと目で好敵手と認めて睨み合う。
先に動いたのはもちろん麒麟児。やぁっと気合いとともに鋭い斬撃を放つ。がんと鈍い音がして弾かれたが、続けざまに必殺の剣を繰り出す。これもことごとく弾かれる。
攻守替わって超世傑が戟を真一文字に薙ぎ払えば、身を反らして避ける。ならばと渾身の突きをもってすれば、やはり空を斬る。
麒麟児はその穂先を脇に抱え込まんとしたが、超世傑の得物は槍にあらず、さっと手首を返して再び薙ぎの手を打つ。
さしもの麒麟児も一刀両断されるかと思いきや、七星嘆を翻して何とかこれを受ける。さっと両者は間合いを取り、互いの技に密かに感嘆する。
と、そのとき、
「わあっ、伏兵だぁっ!」
悲鳴が挙がる。はっとして麒麟児が声のほうを見遣ると、丘の上から新手の騎兵が猛然と突撃してくる。これこそムジカが伏せておいた皁矮虎率いる一隊。
側面から突き崩されて、ネサク軍の戦列は一度に乱れる。シン・セクが唇を噛んで視線を戻せば、すでにムジカの姿はない。
「あわてるな! 固まれ、固まって凌げ! 花貌豹が来るまで堪えろ!」
指示を飛ばしつつ新たな敵に向かう。が、マクベンも愚かではない。散々敵陣を破ると、当然花貌豹など待たずにそのまま駆け抜けて退きはじめる。
「おのれ、小賢しいことを! 追え、追え!」
ヨツチが叫んだが、もはや彼の手勢は追撃できる状態にない。一旦立て直すべく、タクカの勧めに順って兵を収拾するほかない。シンはおおいに悔しがって、
「一度ならず二度までもやられるとは……。被害は些少だ、落ち着け!」
再編に手間どる間にジョナン軍は遥か遠くへ去ってしまう。やっと追いついたサチがこの有様を見て、
「どうした、麒麟児」
むっとした顔で答えて、
「何でもない」
代わってタクカが答える。
「ここに伏勢を置かれていた。気をつけろ。まだ何かしかけているかもしれぬ」
「心得た」
短く答えると、先んじて追撃を継続した。左右のナユテ、ササカは改めてムジカの才略を心に刻む。慎重を旨とするサチは、伏勢に適した地形を見るごとに斥候を送り、あるいは迂回しつつ敵を追った。
実はこれもムジカの狙いどおりである。一回叩いておけば警戒して、どうしても足が鈍る。この隙に一気にクルチア・ダバアに入ろうという心算。果たして花貌豹も、追撃を再開した麒麟児も、再び敵を捉えることはできなかった。
ムジカと紅き隷民は、何とか約会の地へ辿り着く。これを迎えたオンヌクドらの喜びはこの上なく、涙を流すものまであった。しかしムジカはこれを戒めて言うには、
「劣勢であることには変わりない。いずれ大軍が寄せてくる。気を引き締めよ」
内心考えるに、
「僅かに時を延ばしたに過ぎぬ。ここで堪えている間に援軍が至らねば最期だ。先の奇手が再び通じる相手ではない」
密かに暗澹たる思いに沈む。