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草原演義  作者: 秋田大介
巻八
426/783

第一〇七回 ②

ムジカ群舞鮮やかに諸賢を欺いて走り

マクベン伏姦密やかに兵鋒を制して起つ

 ジョナン軍はついにその大部が彼方に退去して、残るは紅き隷民(アル・ハラン)ばかり。かの千騎(ミンガン)は合図に応じて縦列を成したかと思うと、次の合図で先頭から順にさっと右手に折れる。


 続々とウリャンハタ軍の前を丁字型に横切っていき、また向きを転じてこれに(ノロウ)を向ける。一騎として遅れるものもなく、さながら一個の生物のごとく連なって遠ざかっていく。


 ウリャンハタの将兵は大喜びで喝采を送る。かつてこれほど巧みな兵の運用を目にしたことがない。(ようや)く遠くなる敵影を眺めながら、初めに我に返ったのは花貌豹サチである。はっとして言うには、


「超世傑め、堂々と離脱(アンギダ)するのか」


 蒼鷹娘(ボルテ・シバウン)ササカが、(ヌル)を上げて意外そうに、


「えっ、何?」


 サチは珍しく苛立って、


「ムジカは退却(オロア)したんだ! 追わないと……」


 このひと言に周囲はおおいにざわめく。


「麒麟児および中軍(イェケ・ゴル)に伝令! ナユテはまだ戻らぬか! 全軍、追撃の用意を!」


 サチですらこのあわてぶり、余のものの取り乱しようといえばその比ではない。そのころ、衛天王カントゥカのもとに獬豸(かいち)軍師サノウが現れて言うには、


「何をしておいでです。(ブルガ)の奇態は虚勢に過ぎません。一時に攻めかかれば大勝は疑うべくもありません。早く総攻撃の命令(ヂャルリク)を……」


 そこへ娃白貂(あいはくちょう)クミフがあわただしく駆け込んで、


「一大事です! ムジカ軍が、ムジカ軍が……」


「どうした?」


 潤治卿ヒラトの鋭い声(クルチア・ダウン)が飛ぶ。クミフはごくりと(シルスン)を呑み込んで言った。


「……退却したわ」


「何だと!?」


 一同は異口同音に叫んで思わず腰を浮かす。サノウだけはさもありなんとばかりに小さく舌打ちする。いや、もう一人、奇人チルゲイは不謹慎にもにやにやと笑って、青ざめた僚友(ネケル)たちを眺めている。


 さらにそこへタケチャクが汗だくで戻る。同じく言うには、


「ムジカ軍が退却しつつあるぞ!」


 ヒラトは(フムスグ)を吊り上げて、


「麒麟児や花貌豹は何をしていたんだ!」


 クミフが(ムル)(すく)めて見たままを話せば、


「見逃した麒麟児も麒麟児だが、敵前でそれを為した超世傑も超世傑だ」


 おおいに呆れる。カントゥカは狼狽(うろた)える諸将を一喝して鎮めると、神道子ナユテと知世郎タクカに命じて、


「急ぎ返って追撃に移れ!」


 両名が退出すると、サノウもまた無言で去る。陣中は俄かに忙しくなる。チルゲイ独りは喜色を浮かべて言った。


「ははあ、ムジカ軍の演舞、拝見したかったものだ」


 かくしてわけのわからぬうちにおおいに時を稼いだムジカたちは、ただひたすら疾駆(ダブヒア)した。先駆けるのは奔雷矩(ほんらいく)オンヌクド。すでにホンゴル・エゲムを去ること遥か、しかし安心はできぬ。


 約会(ボルヂャル)(ガヂャル)は百里を(へだ)てたクルチア・ダバア(鋭き峠の意)。オンヌクドは(アクタ)を潰さぬよう意を用いて全軍を誘導する。(ダバア)に至ったら、(モル)を封鎖して(トイ)を固めるのが彼の任務(アルバ)である。


 あとには皁矮虎(そうわいこ)マクベン、笑小鬼アルチンも続いているはずである。そして殿軍に超世傑ムジカと紅き隷民である。


 考えると族長(ノヤン)の身が案じられて(オモリウド)が痛む。駆けながらも、己が残るべきではなかったかと後悔する。しかし紅き隷民でなければ敵騎の追撃を(かわ)すことなどできないし、それを巧みに操るのはムジカとゾルハンしかいないのである。だが、


「超世傑を討ちとられたら意味がないではないか」


 そう思えてならない。オンヌクドは邪念を払って、前だけを見ることにした。そのムジカはといえば、盛んに後方を気にしながら傍ら(デルゲ)のゾルハンに言うには、


「まだ敵は動いていないな」


はっ(ヂェー)。しかしまもなく気づくでしょう。麒麟児の迅速(クルドゥン)をもってすれば、いずれどこかで一戦せねばなりますまい」


「皁矮虎に策を与えてある。案ずるな」


 そう言ってさらに馬を()かす。


 ウリャンハタ軍はやっと追撃に移る。シン・セクは七星嘆を掲げて、


「このまま超世傑を逃しては恥だぞ。必ずこれを捕捉殲滅せん!」


 兵衆はわっと喊声を挙げて応じる。金鼓とともに五千騎は駆けだす。花貌豹サチもこれに遅れじと出動した。両翼のジョルチ軍もそれぞれ前進を始める。

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