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草原演義  作者: 秋田大介
巻八
423/783

第一〇六回 ③

シン(にわ)かに軽騎を迎えて軍形を(みだ)

ムジカ敢えて奇計を装い知慮を(くら)くす

 (デム)を立て直そうとしていたネサク軍は、たちまち崩されて方々で応戦に入る。シン・セクはおおいに怒って七星嘆を(つか)むと、


(ブルガ)は寡勢だ! あわてるな、攪乱(かくらん)に過ぎぬ!」


 叫びながら黒亜騏(こくあき)の腹を蹴る。黒き駿馬(ハラ・クルゥグ)は一陣の(サルヒ)となって前線に躍り出る。整えつつあった陣形(バイダル)はすでに分断され、ムジカの跳梁を許している。


「侮りおって!」


 麒麟児の雄姿を見て、兵衆も(ようや)く正気に返る。それを見るやさっとムジカの(ガル)が挙がり、千騎(ミンガン)は一斉に退却に転じる。


逃がすな(ブー・チウデウルス)! 麒麟児を舐めるなよ!」


 躍起になって追ったが、どうしたわけか追いつくことができない。


「なぜだ? そんなまさか……」


 焦って追っていけば、敵陣から矢の(クラ)が降り注ぐ。


「近づきすぎたか!」


 (ほぞ)を噛むうちにムジカは陣中へ逃げ込んでしまった。やむなく馬首を(めぐ)らせたが、内心は悔しさに煮えくりかえっていた。


「それにしても、あの軽騎……。この俺の兵が追いつけぬとはいったい……」


 実はこの軽騎は、神風将軍(クルドゥン・アヤ)アステルノの兵に(なら)って編成されたもので、ジョナン軍の中核(ヂュルケン)を成している。さすがに全軍をそうするには至らなかったが、これを率いるゾルハン自ら「紅き隷民(アル・ハラン)」と名付けた精鋭である。


 この奇異な名には理由がある。ゾルハンは何と赫彗星ソラと同じジョシ氏の出自(ウヂャウル)であった。寄る()を失った赤流星のうち、一部のものはムジカに投じた。


 すなわち「天罪すら逃れうるに(ゴルバン)あり。(ネグ)に赫彗星、(ホイル)に超世傑、三に紅火将軍(アル・ガルチュ)」というわけである。


 ムジカは彼らを受け容れると、早速命じて軽騎部隊を作らせた。軍装を紅一色で統一することを許されたゾルハンは、自らの境遇を忘れぬよう「隷民(ハラン)」と自称したのである。


 さてムジカは将兵の歓呼に迎えられて笑顔を見せた。しかしすぐに険しい(ヌル)に戻ると、諸将を呼んで事後を(はか)った。言うには、


「撤退の方策を立てねばならぬ」


 マクベンは不服そうに、


「今は我が軍が押しておりますぞ。何もそうあわてなくても」


 溜息でこれに応えて、


「だから今、退くのだ。ジョルチの軍勢が両翼に至らんとしている。包囲(ボソヂュ)(ドゥグイー)が完成すれば、我々は瞬く間(トゥルバス)に敗れるだろう。軍を保つには、今こそ早急に退却せねばならぬ。損害を最小限に止めつつ」


 アルチンが言った。


「ただ逃げてはまずい、と?」


 ムジカは強く頷く。そして、


「とりあえず退いて、もっと有利な(ガヂャル)を占める。いずれ逃げきれる相手ではない。ならば兵勢の衰えぬうちに動きたい」


「とはいえ眼前の麒麟児を(かわ)す策がおありですか?」


 オンヌクドの問いにううむと唸ると、(フムスグ)(しか)めて考えながら言うには、


「敵は我に数倍する大軍。いかに訓練された優れた軍であろうと、その運用においては俊敏というわけにはいかぬ。その僅かな隙を衝ければと思うのだが……」


 諸将は黙って続きを待つ。


「さらに敵の動きを(やく)する要素がもうひとつある。ジョルチ、ウリャンハタには、智略に長じたものが殊の外多い。セチェンというものは、本質的に欺かれまい、騙されまいとする性向(チナル)がある。何か不可解なことがあれば、まず疑い、意味を探る」


 ここでムジカは黙り込んでしまった。しばらく待っていたが、ついに(たま)りかねてマクベンが言うには、


「それで、どうすればよいのです?」


 苦悩の表情を浮かべていたが、やがて言った。


「これから私が言わんとしているのは良策でも名案でもない。知恵のないものが苦し(まぎ)れに放つ奇手に過ぎぬ。うまくいけば僥倖以外の何ものでもなく、外せば軍を(こぼ)ち、果ては草原(ミノウル)中の笑いものとなろう」


 俄かにオンヌクドが笑いだして、


「何をおっしゃるかと思えば。もとより我々の(アミン)は預けてあります。どんな道理(ヨス)に合わぬ命令(カラ)でも嬉々として行うでしょう」


 マクベンも興奮して頷くと、思わず昔日(エルテ・ウドゥル)の口調に戻って、


そうだ(ヂェー)、細かいことなど気にせず命じればいいんだ!」


 アルチンも続いて、


「どうせ俺たちに奇人殿や神道子のような知恵はないんです。ここは族長(ノヤン)の奇手とやらに賭けてみましょう」


 ムジカは諸将の顔を順に見回すと、


「よし、では私の奇手というのを話そう。近く寄れ」


 応じて進み出た一同に何ごとか(ささや)けば、みなの顔に等しく驚愕の色が浮かぶ。話し終わったムジカは自信がなさそうに、


「どうだ、これで神道子らを欺けようか」


 答えたのはオンヌクド。


「こちらの意図(オロ)(さと)られたら、全滅は必至ですな。しかし……」


「しかし?」


おもしろい(ソニルホルトイ)と思います。先に族長(ノヤン)が言われたように『セチェンは欺かれまいとしてまず疑う』ものです」


 余のものも同意したので、ムジカは喜んでより細かく策を授ける。指示を受けた将は次々と場を離れて、最後にゾルハン独りが残る。

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