第一〇五回 ④
ドルベン神風将を召して奇計に任じ
インジャ呑天虎を嘉して暗鬼を避く
さらにナオルが左翼から迂回して敵を牽制し、インジャの中軍は右翼を引き受けた。後方で変事に備えるのは衛天王カントゥカの一万二千騎。またコヤンサンは遊軍として適宜動けるよう待機する。
そうと決まれば速やかに動くのみ。ホンゴル・エゲムに至れば、それぞれの判断に委ねられるところが大きくなる。が、いずれも音に聞こえた名将たち。全軍地を揺るがして戦場へ向かう。
さて、インジャたちが軍議を開いていたそのころ、ムジカたちはあわてふためいていた。一坐の斥候が戻って告げたのである。
「族長! 敵はアラクチワド・トグムに陣を張っておりますが……」
「どうした、何かあったのか?」
問えば、わななく声で答えて、
「に、二万騎どころではありません。地を、地を埋め尽くすほどの大軍です。おそらく四万か、五万はあろうかと……」
ムジカは思わず立ち上がる。そして叫んだ。
「何だと!? 五万と言ったのか!」
「いえ、しかとは判りません。私もあわてて帰ってきた次第で……」
「謀られたか……」
呆然として座に崩れ落ちる。諸将は次の言葉を待ったが、その口からは一語も出ない。痺れを切らして皁矮虎マクベンが言った。
「ここでは数倍の敵は支えきれません。陣を移しましょう」
そこへ別の斥候が帰ってきた。
「敵の先鋒がアラクチワド・トグムを出ました!」
ムジカはぴくりと眉を動かすと、
「旗は?」
「黒地に赤、何やら竜のごとき、馬のごとき、奇妙な獣が描かれております」
「麒麟児だ……」
瞠目して呟く。みなが訝しげにこれを見る。そこで言うには、
「奇人殿に聞いたことがある。『南原に神風将軍あらば、西原には麒麟児がある』と。その兵は『雷霆のごとく動き、烈火のごとく戦う。まさに西原最強の軍である』とも……」
しばしの沈黙が流れる。笑小鬼アルチンが恐る恐る言うには、
「つまり、神風将軍と戦うようなものだとでも……?」
無言で頷けば、みな青ざめる。その強さをよくよく承知しているからである。盟友としてこれほど恃みとなるものもないが、これと戦うことなど考えたこともない。マクベンが疑って言うには、
「そんな、セント軍のような兵がほかにあるものでしょうか?」
ずっと黙っていた奔雷矩オンヌクドがそれを制して、
「奇人殿の言を疑うのか」
「いや、そういうわけではないが……」
重苦しい沈黙。常ならば打虎娘タゴサが男どもを叱咤して破るのだが、彼女の姿はここにはない。だがそれを思い出したのかどうか、ムジカが口を開いた。
「たしかにアステルノのような将が、そうそういるとは思わぬ。だが念のため、そのように心得ておいたほうがよい」
「陣を移しましょう」
またマクベンが言ったが、
「もう一度言う。敵将は神風将軍に等しい。となれば、今から撤退は間に合わぬ。次の陣地を定める前に追いつかれよう」
迷いを払拭するかのように首を振って、
「陣形を改める。兵を集めて方陣を組む。厚く八段の壁を作れ。弓兵を前列に並べて奔雷矩が率いよ。二段目は槍。皁矮虎、嘱んだぞ」
その声はいつものムジカのもの。命を受けて続々と諸将は去り、急いで陣を整える。漸くそれがすんでほっとしているところに斥候が戻って、
「敵軍五千騎、現れました!」
「疾い……」
ムジカは頬を引き締めて呟いた。中軍にある彼の目も彼方の敵影を捉える。耳には大地を蹴立てる馬蹄の音すら届きはじめる。
「さらに後方に五千騎! 旗は豹!」
「ジョルチの旗を掲げた部隊、約八千が右翼二十里を移動中!」
続々と敵軍の動きが報告される。ムジカも超世傑と称される名将、数倍の敵を前にしても動じる気配すらない。泰然としてこれを待ち受ける。
テンゲリの意思はまことに量りがたく、宿星相分かれて戦場に見えることとなったわけだが、いずれも一個の英傑にて、易く勝を収めることは望むべくもない。
古言に謂う「龍虎相討つ」の相といったところ。果たして超世傑はいかにして麒麟児を迎え撃つか。それは次回で。