第一 一回 ②
サノウ二たび牢獄を訪れて好漢を知り
インジャ一たび諸士を率いて賢者に見ゆ
ハツチの牢は、東側の突き当たりであった。
「さあ、半刻だけですからな」
念を押す衛兵に、また銀錠を握らせて、
「話している間、ちょっと離れていてくれないか」
すると何も言わずに去っていく。漸く二人は牢の前に立った。ハツチが嬉しそうにこれを迎えて、
「おお、二人とも。よく来てくれた」
しかしその表情は冴えず、頬はすっかり痩け、目の下には青黒く暈ができている。ゴロが心配して、
「顔色が悪いぞ。身体はどうだ?」
「毎日、拷問を受けているのだ。身に覚えがないというと鞭で打たれ……。全身傷だらけだ」
そう言って腕を捲って見せれば、紫の筋が何本もできている。さすがのゴロも息を吞んで、
「まさか自白してはないだろうな」
「まさか! 知らんものは知らん。何で認めよう」
「ともかく拷問を止めさせねばなるまい」
「また銀錠を撒くのか」
サノウが苦々しげに言えば、
「やむをえまい。そうせねばこいつは拷問で死んでしまうぞ。ものには臨機応変ということがある。潔癖だけでは損をする」
何か言い返そうとするのをハツチが遮って、
「やめてくれ、二人で言い争ってくれるな。わしは賄賂は好かぬが感謝するぞ」
サノウが矛を収めたので、ゴロが言うには、
「とりあえず祭が終わるまでは安心してよかろう。心配はそのあとだが……」
「何かあったら両親を頼む」
弱音を吐くハツチを叱咤して、
「阿呆め、気を強く持て。拷問だけは何とかしてやるから」
「ありがとう」
あとは言うべきことも尽きてしまった。そこにちょうど衛兵が戻ってきて、
「もうよかろう。刻限だ」
二人はやむなく別れを告げる。と、サノウが思いついて尋ねて言うには、
「コヤンサンとやらはどうしている」
ハツチはあからさまに不快を示したが、答えて言うには、
「典獄の話によれば、わしとは逆の西側の一番奥に居るらしい。何日かは暴れていたが、最近はおとなしくしているようだ」
「そうか。じゃ、息災でな」
二人は獄を出て、帰途に就いた。と、ゴロがサノウを詰って、
「先のあれはどういう意味だ?」
サノウはとぼけて答えない。さらに眉を逆立てて詰め寄って、
「彼奴のことを聞いていたではないか。どういうつもりだと聞いているんだ」
しかしやはり答えずに手を振ると、ゴロを無視して去っていった。
サノウは翌日、独りで牢獄を訪れた。不本意ながら例のごとく銀錠を使って中に入る。そしてハツチのもとへではなく、コヤンサンのもとへ案内するよう告げた。典獄は驚いて、
「知り合いですかい?」
「いや、ちと興味があってな。顔も知らんよ」
典獄は困った様子で、
「あんまり妙なことはせんでくださいよ」
「心配するな」
やむなくこれを連れていけば、コヤンサンは目の前のサノウを見てもわけがわからない様子。それを見て典獄は漸く安心してその場を離れる。
「誰だい」
「君がコヤンサンか」
サノウはコヤンサンの問いには答えず、その顔をじっと覗き込んだ。
「何だ、何の用だ」
「ふふ、私はイェリ・サノウ」
それを聞いたコヤンサンは吃驚して、あわてて平伏する。顔を上げて言うには、
「貴殿がサノウ様! 私は貴殿に会いにこの街に来たのですが、戒めを破って酒を飲んだところ、生来の酒乱が祟って気が付いたらここに居りました。よもやサノウ様から訪ねていらっしゃるとは夢にも思いませんで……」
いろいろ言い募ろうとするのを制して、
「いったいどうして私を訪ねてきたのか」
応じて訥々と語るのを聞けば、
「私はジョルチ部ズラベレン氏の族長でコヤンサンと申すもの。今はフドウ氏のインジャ殿と志をともにしています。今回はそのインジャ殿の意向を受けて、サノウ様を師として草原にお迎えしようとて参りました」
「はて、フドウに知己はおらんがな」
「キャラハン氏のセイネン・アビケルをご存知ありませんか。セイネンはキャラハン氏がベルダイ右派に滅ぼされたあと、フドウに身を寄せているのです」
それで得心がいったようで、
「あの男、フドウに居るのか。なるほど、わかった。しかしその使者に君を送るとは適当な人選とは思えないな」
それを聞くと顔を赧めて、反対を押し切って志願したこと、五つの戒めを授けられたこと、それを破ってゴロと争い、次いでチュイク婆さんの店で暴れたことなどを語った。そして言うには、
「聞けば私のせいでハツチ殿も捕まったとか。ハツチ殿には大恩を蒙ったというのに仇で返すことになり、何と詫びてよいやら……。私はともかくハツチ殿だけでも助からないものでしょうか」
サノウは人の好悪が激しいほうである。しかしなぜかこの草原の武人には、少なからず好意を覚えた。
ゴロは散々罵っていたけれども、話してみればなかなかに善良な心性の主ではないか。ゴロは偶々遇うときを得なかっただけのこと。サノウには珍しく、語気を和らげて言うには、
「ハツチはとりあえず無事だ。まだしばらくは処断もないはずだから、君も望みを捨てるな」
「へっ、それはどうしてです?」
「もうすぐ年が明ける。神都は年末年始には刑は行わぬ。裁判は正月の祭が終わってから、刑の執行はさらにそのあとだ」
「ありがとうございます。サノウ様もあまり話し込んでいると疑われましょう。今日はこの辺りで」
「うむ。それでは」
そこでちょうど刻限となり、サノウは牢をあとにした。