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草原演義  作者: 秋田大介
巻七
418/783

第一〇五回 ②

ドルベン神風将を召して奇計に任じ

インジャ呑天虎を(よみ)して暗鬼を避く

 入ってきたアステルノは露骨に不快を表している。だが丞相(チンサン)に対する礼は(おろそ)かにしない。四頭豹はますます喜んで、


「面を上げられよ。貴公に会うのを楽しみにしておりましたぞ」


 応じて(テリウ)を起こすと、刺すような視線で睨みつける。が、一向に動じる様子もなく続けて、


「将軍も聞いたでしょう。小僧(ニルカ)どもが我が版図(ネウリド)を侵そうとしています。すでにムジカに迎撃を命じましたが、将軍にもひとはたらきしてもらいたい。まことに将軍の盛名は轟いており、(たの)みとするは貴公をおいてほかにありません」


 アステルノは視線は外さずに、短く言うには、


「ご用件は?」


「ははは、良い(ニドゥ)だ。凡夫であれば見ただけで卒倒してしまうでしょうな」


 アステルノはいらいらして語気を強める。


「ご用件を、疾く!」


「ふむ、まあ、よいでしょう。将軍率いる東軍(ヂェウン)は、ヤクマンでも随一の迅速(クルドゥン)を誇っているとか。そこで貴公にしか為しえぬ策を授けます。ジョルチ軍はそのすべての(クチ)を南征に投じています。よろしいですか? ()()()です」


 そこでじっと反応を窺ったが、アステルノの表情は硬く冷たいままである。


「……ジョルチの人衆(イルゲン)および家畜(アドオスン)は、大半がオロンテンゲル(アウラ)にあるという山塞へ移動(ヌーフ)しました。が、それを守る兵は僅か数千騎です」


「…………」


「貴公は、全兵力をもって長躯、その山塞を襲ってください」


 これには驚愕して、初めて表情が変わる。四頭豹は満足して、


「よいですか、すぐに向かってください。オロンテンゲル(アウラ)は二千里の彼方ですが、神風将軍にとってはたいした道程でもないでしょう」


「そ、それは……」


「心配は無用(ヘレググイ)です。セント氏の人衆(ウルス)は我が白軍(ツェゲン)がお守りいたします」


いや(ブルウ)、そうではなく……」


 狼狽(うろた)えるのを楽しむように、


「家畜などを略奪する必要(ヘレグテイ)はありません。あくまで速やかに山塞を落としてください」


 なおも何か言おうとするアステルノにかまわず、


「誰か、神風将軍がお帰りになる! 丁重にお送りいたせ」


 言えば側使い(エムチュ)がぞろぞろやってくる。もはや四頭豹は顧みることもなく(コイマル)に消える。気づいたときにはすでに姿(カラア)はなかった。やむなく帰途に就いたアステルノは、道々考えるに、


「謀られたか。策戦としてはたしかに奇抜で巧妙だが、敵地を千里も踏破する身になってみろ。四頭豹はああ言ったが、もし(ブルガ)に備えがあって退路を断たれたら、完全(ブドゥン)に孤立するぞ。よしんば山塞に辿り着けても、落とすのに時日を費やせばたちまちジョルチ軍は舞い戻ってこよう。また首尾よく山塞を落としても、どうやって南原に帰ればよいのだ。あの奸物め!」


 さらに続けて、


「それにジョルチ、ウリャンハタの連合ともなれば大軍ではないか。ムジカの擁する兵は一万(トゥメン)、到底敵しえぬ。これはまったくしてやられたぞ。俺が二千里もの彼方へ()られるのも、奸計に気づいて(ガル)を組まれぬよう先手を打ったのだ。しかも人衆を手許(てもと)に置いて人質にしようとは……。いったいどうしたらいいんだ!」


 暗澹たる思いを抱えてアイルに戻ると、諸将を集めて軍議を開いた。思うところを話して聞かせたが、誰も良策は浮かばず首を捻るばかり。セント氏にも知略に優れた将は皆無であった。一人が恐る恐る進言して、


「ひとまず丞相の命に従って出兵してはどうでしょう。まことにオロンテンゲルまで行くかどうかはあとで考えることにして……」


「ふざけるな! お前はセント氏を滅ぼす気か」


 激昂(デクデグセン)して叫んではみたものの、アステルノとてほかに良い案があるわけでもない。結局、不本意ながら(ホイン)を指して出陣するしかなかった。


 (ソオル)に行かぬ人衆は、四頭豹は中央(オルゴル)へと言ったが、後難を(おもんぱか)ってカオロン(ムレン)沿いに(ウリダ)へ退避させた。言うには、


「もしものときには迷わずカオロンを渡ってホアルンに投じろ。決して四頭豹に屈してはいかん」


 さらに二千騎を()いて残していくことにした。すでにアステルノはオロンテンゲルまで遠征する気はなかった。中途で策を読まれて進撃を(はば)まれたとでも言うつもりであった。


 かくしてアステルノは軽騎八千を率いて北上した。版図を抜けるまではその名のとおり迅速機敏に、しかしそのあとは道を急がず、むしろゆっくりと進む。


 ()しくも彼らの先には、霹靂狼トシ・チノ率いるジョルチの第二軍が南下しつつあったが、それはまだ双方知らぬことである。




 そうして四頭豹は万全の手はずを整えてから、己の白軍三万騎をうち揃えた。彼は白軍を預かってから徐々に部将の顔ぶれを改め、今では三十人の千人長(ミンガン)以下、十人長(アルバン)に至るまで、長きに(わた)って手懐(てなず)けた従順(シドゥルグ)なもので固めていた。


 誤解してはならないのは、四頭豹は好漢(エレ)たちからは奸智のものとして忌み嫌われていたが、決して悪政を為すものではない。むしろ彼が丞相に就任してから、国力は日増しに高まっていた。


 軍においても、麾下の兵卒から見れば理想の将と言ってよかった。それこそ四頭豹の才幹(アルガ)であり、それゆえに好漢たちがいかにこれを疑い、恐れても決して除くことはできなかったのである。

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