第一〇四回 ④
軍陣明らかにしてアサン牙狼将を諭し
戦雲急にしてドルベン超世傑を動かす
待機していた早馬が四方に飛ぶ。すなわち緑軍のダサンエン、南軍のオラル、西軍のキレカ、北軍のムジカのもとへ。また赤軍のムカリと東軍のアステルノには急いで丞相府へ来るよう命じる。
早馬を迎えた超世傑ムジカは、諸将を集めて、
「出陣を命じられた」
皁矮虎マクベンが興奮して、
「相手はどこですか!」
叫べば、険しい顔で答えて、
「……ジョルチ、ウリャンハタの連合軍が南下中とのことだ」
諸将は途端に顔色を失う。笑小鬼アルチンがあわてて、
「一大事じゃないですか! 敵はいったいどれほどの兵を……」
「四頭豹によれば、約二万騎。アラクチワド・トグムに結集しつつあるらしい」
「二万! 我らはどんなに掻き集めても一万騎にしかなりません」
オンヌクドが叫ぶ。ムジカは一同を制して、
「ダサンエン将軍と、碧水将軍オラルが応援にくる。我らの任務は、要害を保って敵の進撃を食い止めることだ」
「それにしても敵軍は倍。しかもただの二万騎ならいざ知らず、ジョルチとウリャンハタには勇将知将が星のごとくおりますぞ」
オンヌクドが言えば、マクベンも頷いて、
「ジョルチのインジャといえば名高い明君。戦においてもあのダルシェを破り、数年で部族を統一した傑物です」
アルチンも早口で和して、
「ウリャンハタにはあの智恵の回る奇人殿もおります。その機略は先のマシゲル戦で示されたとおり。容易ならざる相手です」
ムジカは黙って聞いていたが、やがて静かに言った。
「もはや命は下った。あれこれ論議していても始まらぬ。ともかく出陣して南原への出口を塞ぐのだ」
「と申しますと?」
「ホンゴル・エゲム(淡黄色の鎖骨の意)がよかろう。アラクチワド・トグムから南原を窺おうとすれば、ここを通るのがもっとも近い」
そこで恐る恐るオンヌクドが言うには、
「夫人はいかがいたしましょう」
というのも、先に述べたとおり打虎娘タゴサは、春に懐妊して今や腹は大きく、とても戦に出ることはできない。
「タゴサだが、四頭豹が言うにはアイルともども南方へ退避せよとのこと。白軍がこれを保護すると言うのだが……」
「それはなりませぬぞ!」
マクベンが激して言えば、日ごろは冷静なオンヌクドも、
「四頭豹はもとより族長を害せんと画しております。夫人を遣るなど狼穴に送るようなもの。いけません!」
「だが迂闊にこれを拒めば、彼奴に口実を与えることにもなりかねん」
「夫人を人質にするおつもりですか!」
思わず叫んだマクベンは、はっとして口を噤む。そこにアルチンが割り込んで、
「獅子殿に預けてはどうでしょう。……そうだ! 獅子殿に兵を借りればよいのでは」
自らの思いつきに興奮して、
「獅子殿と族長はチェウゲン・チラウンの盟友、喜んで援軍を出してくれるのでは……」
「それはない。冷静に考えよ。ハトンのアンチャイ殿はジョルチの出身だぞ」
ムジカの言葉でこれも黙る。
「ともかくまずは命に従おう。奴はハーンを代行する丞相、逆らうのは得策ではない。もし何かあったとしても打虎娘なら己で何とかするだろう。もう言うな」
そう言うムジカこそもっとも苦悩していることを覚らないものはなかったので、諸将は悄然として頷く。みなが退出してしまうと、ムジカは奥座に入った。タゴサが立ってこれを待っていた。
「聞いていたか」
「ええ」
「ならば改めて言うことはない」
「私のことは心配しないで。むしろムジカ、あなたが心配だわ。嫌な予感がする」
黙っていると、タゴサが言うには、
「四頭豹はきっと何か企んでいる。十分に気をつけて。何があるかわからないけど、もしものときには私のことは気にせずに行動してね。あなたも言ったように、私は己で何とかするから」
その言葉におおいに心を動かされて、
「タゴサ……。君は私には過ぎた妻だ」
「珍しいね。ムジカがそんなことを言うなんて」
笑顔で言ったが、その目は微かに潤む。二人はさらに小声で語り合ったが、くどくどしい話は抜きにする。
さて準備整ったジョナン軍一万騎は、複雑な思いを抱えつつホンゴル・エゲムへと発った。打虎娘タゴサはそれを見送ると、アイルをまとめて南を指した。
まだムジカは、陥れられたことに気づいていない。
すなわちアラクチワド・トグムにある連合軍は、二万どころか四万騎に達しようとしていた。もしこれを知っていたら、ホンゴル・エゲムではない地を選んでいただろう。
この戦に賭けるジョルチ側と違い、ヤクマン側はいまだ内部の暗闘に目を向けていたのである。
まさしく外患より猛々しきは内憂にほかならず、英傑兵を率いて、なお力を尽くすを得ずといったところ。果たしてほかの好漢たちはいかなる思いで戦地に臨むか。それは次回で。