表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草原演義  作者: 秋田大介
巻七
415/783

第一〇四回 ③

軍陣明らかにしてアサン牙狼将を(さと)

戦雲急にしてドルベン超世傑を動かす

 四頭豹はそうした周囲の不安、疑念を知ってか知らでか何も語らなかった。ただ七卿の一人、大スイシを密かに召して、


「卿に(たの)みたいことがあります。引き受けていただけませんか」


「何なりと」


 かつて権勢を誇った七卿も、今や四頭豹の(オロ)を迎えるばかり。


「近く(ソオル)があります。我が軍が(ブルガ)と遭遇したら、急ぎ旅立っていただきたい」


 おおいに驚くと、


「戦、ですか? いったいどこと……」


「ふうむ、よろしい。卿にだけ特にお教えいたしましょう。他言は無用ですぞ」


 震えながら頷けば、にたりと笑みを浮かべて、


小僧(ニルカ)どもが(ガル)を繋いで攻めてくるのですよ。(ホイン)西(バラウン)から、ね」


「まさか……」


「ははは。ジョルチとウリャンハタが、ヤクマンと戦をするそうです」


「そんな、ではすぐにもハーンに……」


「何を狼狽(うろた)えているのです。大スイシともあろう方が」


 老臣の反応を楽しむように一瞥をくれると、(にわ)かに(ダウン)を低くして、


「戦のほうは心配要りません。それで卿の任務(アルバ)は……」


 (チフ)を寄せた大スイシは初め驚愕し、次いで険しい(ヌル)になる。やがて、


承知(ヂェー)丞相(チンサン)の遠謀にはいつも驚かされます」


「ほう、それは揶揄(からか)っているのですか? まあ、いいでしょう。(たの)みましたよ。くれぐれも内密(ニウチャ)に」


 不敵に笑いながらこれを退かせる。何を命じたかはいずれ判ること。




 ついに出陣の(とき)は来た。胆斗公(スルステイ)ナオルを先頭に第一軍が出立する。左右には百万元帥トオリルと往不帰シャジの姿(カラア)


 ジョルチン・ハーンの中軍(イェケ・ゴル)は、その翌日アイルを離れる。長旛竿(オルトゥ・トグ)タンヤンの掲げる大将旗が堂々と揚がれば、どっと歓声が巻き起こる。インジャの右手が高々(ホライタラ)と挙げられて、


「出陣!」


 応じて五千騎は粛々と進軍を開始した。栄誉(フンドゥ)ある先駆け(ウトゥラヂュ)は、カミタ氏族長(ノヤン)癲叫子ドクト。傍ら(デルゲ)には無論、雷霆子(アヤンガ)オノチがある。


 約会(ボルヂャル)(ガヂャル)は「アラクチワド・トグム(まだらの盆地の意)」と呼ばれる低地で、インジャのオルドから南西八百里彼方にある。


 ウリャンハタの中軍もメンドゥ(ムレン)を押し渡る。もとより先鋒(アルギンチ)の麒麟児はすでに先行して、かの地に至らんとしているはずである。ときを同じくして一角虎(エベルトゥ・カブラン)の五千騎は、イシから東岸に出る。


 一方、ベルダイ氏の霹靂狼の第二軍はアラクチワド・トグムへは向かわず南東へ、すなわちマシゲルの故地を目指す。


 いよいよ大勢は動きはじめた。ジョルチ軍南下の報は、すぐに四頭豹の知るところとなった。なぜか常にないほどの上機嫌で、(オロウル)の端を吊り上げて笑うと、


「小僧どもが動いたか。すぐに早馬(グユクチ)を!」


 珍しく興奮した様子で命じる。やがて込み上げる笑いを抑えきれず、(はばか)ることなき哄笑に身を委ねる。驚いてやってきた小スイシが、


「ど、どうかなさいましたか?」


 問えば、手を振って、


「ははは、何でもありません。ただ張っていた(ゴルミ)に、さまざま(エレムデク・)な雑魚(ヂェムデク)が一挙に(かか)ったのです。これが笑わずにおれましょうや」


「…………?」


 小スイシにはわけがわからない。怪訝(けげん)な表情を浮かべる彼をもうすでにいないものであるかのごとく、四頭豹は思索に(ふけ)る。やがて振り返りもせずその場をあとにしてオルドへと向かう。小スイシはあわててこれを追う。


 トオレベ・ウルチは四頭豹を丞相(チンサン)に任命してから、軍民両政のことごとくをこれに託して、己はもっぱらジャンクイをかわいがって日を過ごしていた。報告はすべて丞相府へ送られ、世事からは遠ざかるばかりであった。


 そこにはかつて草原(ミノウル)を震撼させた英王の面影はなく、ただ一人の老人(ウブグン)があるだけであった。四頭豹は久々にこれに(まみ)えて、恭しく拝礼した。膝の上にジャンクイを乗せたトオレベ・ウルチは、だらしなく目尻を下げながら、


「おお、丞相。我が(ウルドゥ)よ。どうかしたのか?」


「辺境にて騒ぎが起こったので、ご判断を仰ぎに参りました」


 そう述べれば、僅かに(フムスグ)(しか)めて、


「丞相の好きにすればよい。八旗軍(ナェマン・トグ)があるではないか」


はい(ヂェー)。しかし念のためお知らせいたそうかと。実は、ジョルチの小僧が我が辺境を荒らさんとしております」


「北にはムジカがいるだろう。これに追い払わせよ。ジョルチはいかほどの兵を出してきたのだ」


「たいした数ではありませぬ。たかだか数千騎ほどかと」


 俄かに険しい表情になると言うには、


「ならばわざわざ報告せんでもよい。ムジカを()れ。足りぬようならアステルノがいるだろう。よいか、丞相。わしは貴公に政事を(まか)せたのだ。少々のことなら己で処理いたせ」


はい(ヂェー)。そのようにいたします」


 さらに居合わせた群臣に告げて、


「お前らもくだらぬことをいちいちわしに言う必要(ヘレグテイ)はない。すべて丞相に従え。その命令(カラ)は、我が勅命(ヂャルリク)に等しいと心得よ」


 四頭豹は辞を(ひく)くして退出したが、内心では英王を(あざけ)って大笑い。


「これはテンゲリが、目障りな連中を一掃するべく私に与えた好機(チャク)だ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ