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草原演義  作者: 秋田大介
巻七
414/783

第一〇四回 ②

軍陣明らかにしてアサン牙狼将を(さと)

戦雲急にしてドルベン超世傑を動かす

 潤治卿ヒラトが編成を告げ終えると、場は不思議な沈黙が支配した。みな心中に闘志を(みなぎ)らせるあまり(ダウン)を出すのも忘れて(ウマルタヂュ)いたのである。


 そんな中、聖医(ボグド・エムチ)アサンがそっと(アマン)を開くと、末席近くに控えていたカムカに言った。


牙狼将軍(チノス・シドゥ)、いつも後方の任務(アルバ)ばかりでおもしろくないでしょうが、実は将軍の役割こそもっとも重要です。後背の安全が確保されてこそ遠征軍は(クチ)を尽くせるというもの。将兵は故郷を守る将軍に常に感謝しておりますぞ」


 カムカは、はっと(ヌル)を伏せて、


いえ(ブルウ)、私など……」


 アサンはゆっくりと確かめるような口調で続けて、


「ただひとつだけ申し上げておきます。常に己だけでことを解決しようとしてはいけません。仮に変事が出来(しゅったい)したとして、(かな)わぬとみたらすぐにイシまで退き、遠慮せずに早馬(グユクチ)を送ってください。決して(アミン)を粗末にせぬように」


 カムカはおおいに感激して(ニドゥ)を潤ませると、幾度も拝謝した。


 軍議が終わるとカムカはすぐに(ホイン)に帰った。また麒麟児シンは、他軍に先駆けてメンドゥ(ムレン)を渡るので、急いで軍営(トイ)に戻った。


 出陣に向けてやらねばならぬことは数多あった。蒼鷹娘(ボルテ・シバウン)ササカや娃白貂(あいはくちょう)クミフは、矢や旗幟(トグ)に不足がないか繰り返し(しら)べて回った。また渡河のための舟がすべて揃ったわけではなかった。何せ三万弱の大軍である。


 殊に軍政の長たるヒラトは多忙(ザウグイ)を極めた。矮狻猊(わいさんげい)タケチャクは間諜に細かな指示を出しては逐一大ゲルに情報を伝え、渾沌郎君ボッチギンたちはそれをもとに知恵を絞った。


 例によって何もしていないのは奇人チルゲイ独りであった。とはいえ彼もさすがにじっとしているのは落ち着かないと見えて、意味もなく方々をうろついたりしていた。


 とにかく誰もが来たるべき遠征に備えて忙しく、短い(ゾン)の末に先鋒(アルギンチ)のシン・セク軍がメンドゥ(ムレン)を渡って、やっとひと息吐いた。だがそれは長い(ソオル)の序幕に過ぎなかった。




 一連の動きにヤクマン部がまったく気づかないはずはなかった。四頭豹ドルベン・トルゲは、草原(ミノウル)中に諜報の(ゴルミ)を張っていたのである。


 当然、ジョルチとウリャンハタが軍備を増強していることはすぐに知った。それどころか動員しうる兵力までほぼ把握していた。


 しかし四頭豹はこれをトオレベ・ウルチに一切報告しなかった。ただ八旗軍(ナェマン・トグ)に、抜かりなく準備を整えておくよう命じたばかりである。


 ジョナン氏族長(ノヤン)超世傑ムジカは、(いぶか)しんで奔雷矩(ほんらいく)オンヌクドに言うには、


殊更(ことさら)に軍備を命じてくるとは何を考えているのだ。近く戦でもあるのか。ひょっとしてダルシェか? ……いや(ブルウ)、それにしては大仰すぎる」


 オンヌクドは慎重に答えて、


「今のところオルドに大きな動きはありません。遠征などの噂も聞きません」


 主従は首を捻るばかり。彼らはとかく四頭豹を警戒するあまり、一度として外に目を向けなかった。


 しかし独り大戦に思い至ったものがある。西軍(バラウン)を率いる紅火将軍(アル・ガルチュ)キレカ・オトハンである。キレカは中央(オルゴル)から(うと)まれ、遥か西方にアイルを移していたが、独自にメンドゥの対岸でウリャンハタが渡河の用意を進めていることを知ったのである。


 キレカは配下に有能な謀臣もないため、ことごとく自ら考えねばならなかった。


「ウリャンハタは先年の革命以来、ジョルチと交誼(ナイラムダル)がある。その(ブルガ)はクル・ジョルチか、ミクケルの遺児が在る我がヤクマンのみ。ジョルチに背後を託して北へ向かうか、それともこのままメンドゥを押し渡ってくるか……」


 キレカはその渾名(あだな)の示すとおり火攻に長じた将であったが、もともとムジカらに比べて情勢を俯瞰する(アルガ)()けていた。ゆえにみなこれを(たの)みとしているのである。思うに、


「私がウリャンハタのカンならどうだろう。クル・ジョルチを放ってメンドゥを渡るか? ……しかし亜喪神も捨て置けぬ。どちらも討たねばならぬとすれば、当然易きほうを狙うだろう」


 ふと顔を上げると、


「そうか。我らの政変については西原でも聞き及んでいるだろう。乗ずる隙があると看るやもしれぬ。しかも四頭豹はジョルチの仇敵(オソル)、ヤクマンを攻めるなら助力(トゥサ)を期待できる。そもそもクル・ジョルチ方面はひとまず安定していることだし……。しかし」


 また目を伏せると、


「四頭豹が遠くクル・ジョルチの上卿どもと結べば、一瞬に窮地に(おちい)る。これはもう少し(しら)べてみないといけないな」


 さしものキレカも戦の予感(ヂョン)こそあれ、明確に判ずることはできなかった。

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