第一〇二回 ①
盤天竜バラウンに生鋼の餞別を贈り
鉄面牌ヒスワに最後の上奏を作す
チルゲイの策によって、カラバルの同士討ちをほぼ忠実に再現したところ、バラウンはおおいに衝撃を受けて遁走を図った。そこにギィらが現れてこれを制したので、平伏して寛恕を請う。言うには、
「お恕しください! お恕しください! 私は奸者に陥れられて……」
ギィは呵々大笑すると、
「それはこのものらのことか」
チルゲイらを示せば、あっと驚いて言葉もない。呆然とするバラウンにギィは指を突きつけて言うには、
「ここはカラバルではないぞ!」
ますます混乱してわけがわからない様子。ギィは表情を和らげると、
「バラウンジャルガル、憶い出したか」
しばらくその脳裏には雑然とさまざまな事象が去来していたようだが、卒かにかっと目を見開くと、
「つ、つ、繋がりました! すべて憶い出しました!」
「そうか、よかった!」
居並ぶ好漢たちは、わっと声を挙げて喜ぶ。チルゲイが嬉しそうに言った。
「聖医に感謝だな」
ミヤーンだけは眉を顰めて、
「これだけ大仰にやっておいて失敗したらどうするつもりだったのだ。イシの政務がどれだけ滞ったことか……」
チルゲイはその肩を力いっぱい叩くと、
「ははは。あれだけ暇を持て余していた奴が何を言う! 獅子殿の役に立って嬉しかろう」
みなで喜び合っていると、バラウンは再び平伏して言った。
「俺のおかげで人衆を危地に陥れておきながら、罰を恐れて逃走した罪は償いきれません。いかようにもご処断ください。もう逃げも隠れもいたしません」
そしてはらはらと流涕する。ギィはそれを助け起こすと、
「今さら詫びたところでどうなる。私はお前を罰しようとて記憶を復したわけではない。ただ以前のように私の手足となって草原を駆けてもらいたいのだ」
バラウンは驚いて顔を上げると、おいおいと声を挙げて哭きだす。言うには、
「こんな恩義を知らぬ小輩に何と優しきお言葉。非才なれど贖罪のつもりで尽くします。ギィ様の剣となって敵人を討ち、盾となって御身をお守りします」
「ははは。贖罪など考えるな。旧のとおり佐けてくれ」
彼らはうち揃って帰還した。心配したアンチャイやハリンが、人衆とともに出迎える。バラウンが決まり悪そうな顔で記憶が戻ったことを告げれば、みな躍り上がって喜び、早速祝宴の準備を始める。
そもそもマシゲルの人衆は、略奪と報復を専らとする草原にあって、珍しく旧怨に拘らない心性を有している。それは独りギィのみの徳ではない。のちに義君インジャが嘆じて、
「すべての人衆がマシゲルのごとくあらば、天下に『戦』という語はなくなるであろう」
そう従臣に語ったほどである。
久しぶりに一同揃ったマシゲルの好漢たちは、おおいにうち興じた。バラウンは恐縮しきりであったが、漸く笑顔が頬に上るようになった。チルゲイら客人も存分に楽しんだことは言うまでもない。ギィが言うには、
「今日あるのは諸君のおかげだ。厚く礼をしたい」
しかしチルゲイは拱手して言うには、
「知ってのとおり我々は褒賞を期待して動くものではない。志は嬉しいが、その言葉だけいただいておこう」
「それでは私の気が収まらぬ。遠慮せずに望むものを言え」
「ならばひとつ聞いてもらいたいことがある」
姿勢を正して言うには、
「渾沌とした草原の情勢に鑑みれば、マシゲルの進む道はひとつしかない。すなわち義君ジョルチン・ハーンと結ぶべきだ。ともに奸賊を討ち滅ぼし、天下に平和をもたらそうではないか。それが私の望むものだ」
ギィはここでそう来たかといった表情。ちらりとゴロを見遣れば、小さく首を振ってこれを戒める。目で応えると険しい顔つきで、
「ジョルチン・ハーンはたしかに英主だ。私とてこれと結ぶことに不満があるわけではない。しかし……」
一旦言葉を切って杯を干すと、
「我々は義君とともにヤクマン部と戦うほど余裕があるわけではない。部族は復興の途上にある。よって同盟のことは即答しかねる。いずれときが来れば考慮せぬでもない」
チルゲイは再び口を開きかけたが、傍らからナユテがそっと袖を引く。はっとして莞爾と笑うと、
「ならば強いては言うまい。時勢の変化を待つとしよう」
以後はいつもの宴会に戻ったが、くどくどしい話は抜きにする。