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草原演義  作者: 秋田大介
巻七
404/783

第一〇一回 ④

チルゲイ一たび聖医に託して病理を解明し

バラウン再び妙策に(かか)りて絶澗(ぜっかん)に動揺す

 黒鉄牛(ハラ・テムル・ウヘル)(こら)えきれずに言った。


「チルチル、いるか」


「ここにおります。ご心配なく」


「そ、そうか。ならよい」


 強がる黒鉄牛の(マグナイ)には脂汗が浮かぶ。緊張を保ったまま、ときは流れる。かつてのカラバルと同様である。


 突如、金鼓の音が轟き、静寂(ヌタ)を破った。わあっと喊声が挙がり、(アクタ)(いなな)き、刀槍の交わる音が巻き起こる。黒鉄牛は思わず立ち上がる。闇の中からチルゲイが現れて言った。


先鋒(ウトゥラヂュ)(ブルガ)と遭遇しました。座してお待ちを」


 そして再び視界から消える。


「あ、チルチル、どこへ行く!」


 次いで現れたのはミヤーン。


「敵はあわてておりますぞ。定めのとおり金鼓を鳴らしてください」


 そう言ったかと思うと、もうそこにはいない。


「えっ、定めとは何だ! 知らぬぞ!」


 (わめ)くと同時に鼓が八つ、(かね)が三つ、交互に轟いた。驚いていると、


「合図はすみました。さらに一隊を投入します」


 もともとそれはオンヌクドの役であったが、今はセイネンの(ダウン)。彼もまたすぐに去る。


「いったいどうなっているのだ!」


 焦って叫んだが、絶え間ない怒号と干戈の音にかき消される。大地(エトゥゲン)は鳴動し、生きた心地もしない。ナユテが近づいてきて、


「バラウン様、我が軍の優位は動いておりません。(チャク)を見て、先の合図を出してください。鼓八つ、鉦三つです。いずれ捷報がもたらされるでしょう」


「チ、チルチルは……」


「督戦しております。私も参らねばなりません」


 制止も聞かずに彼もまた視界の外に去る。黒鉄牛は為す術もなく右顧左眄(うこさべん)するばかり。激戦が展開されているようだが、どんなに(ニドゥ)を凝らしても何も判らない。一向に干戈の響きは止まず、(チフ)(ふさ)ぎたい衝動に駆られる。


 人馬の悲鳴は入り乱れて渦巻き、テンゲリから降ってくるかと思えば、エトゥゲンから湧いてくるようでもある。


「ど、どうなっているのだ……」


 泣きそうな(ヌル)で立ち尽くす。そうするうちに何やら(ゲデス)の底から抑えがたい不安が、黒雲(ハラ・エウレン)のごとく()り上がってくる。荒く息を吐きながら、


「こ、これは……。俺は前にもこのような……」


 理由は判然とせぬものの(あらが)いがたい恐怖を覚える。襲い来る既視感に震え(おのの)きつつ、いつしかテンゲリに祈りはじめる。


 やがて、ゆっくりと空気が流れはじめた。視界は徐々に青く、そして白く変わり、(ようや)く明るくなってくる。東方から涼風が吹き、(ブダン)を払っていく。


「あ、朝か……?」


 黒鉄牛は呟く。しかしその目は堅く閉じられたまま。


 (サルヒ)(デール)()ぐように霧を散らす。おそるおそる目を開く。まだ(おぼろ)げな世界へじっと視線を注げば、(にわ)かにそれは飛び込んできた。


 すなわち、散乱するマシゲルの(トグ)


「あ、ああ、ああっ!」


 言葉(ウゲ)にならない叫びを挙げて、黒鉄牛はがっくりと崩れ落ちる。次の瞬間、猛烈な頭痛に襲われてのたうち回る。(うめ)きつつやっと言うには、


「や、夜襲に友軍相討てば、必ず、敗れる……」


 必死の思いで身を起こすと、


「俺は、俺は何ということを……」


 あとは意味のない語を並べつつ、よろよろと戦場とは逆の方向へ去ろうとする。そこに鋭く声がかかった。


「待て、バラウン!」


 びくりとして足を止め、ゆっくりと振り返れば、何と獅子(アルスラン)ギィが颯爽(オキタラ)と立っている。その左右には蓋天才、迅矢鏃(じんしぞく)、赫彗星、双角鼠(エベルトゥ・クルガナ)が居並ぶ。


「わ、わあっ!!」


 バラウンは悲鳴を挙げて腰を抜かす。そのまま伏して幾度も叩頭しつつ、


「お(ゆる)しください! お恕しください! 私は奸者に(おとしい)れられて……」


 ギィはからからと笑うと、


「それはこのものらのことか」


 背後を指し示せば、奇人、神道子、百策花、飛生鼠、そしてミヤーンが立っている。バラウンはあっと驚いて声も出ない。(ヂガスン)のごとく(アマン)をぱくぱくさせて、目瞬き(ヒルメス)すら忘れた様子。


 もとより策謀は人の忌むところなるも、ことによりては一個の人材を蘇生せしめ、天下万民を益することもある。古言には「聖を断ち、智を棄てよ。民の利は百倍せん」とあるが、今ここにセチェン(知恵者)なければ、妄者をして()く正道に還らしめることができただろうか。


 これこそまさに詩に謂う「智は用いるべし、賢は貴ぶべし」といったところ。果たしてバラウンの記憶は復しただろうか。それは次回で。

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