第一〇〇回 ④
獅子北に遊んでインジャと旧交を温め
義君西に幸してタムヤに軍事を議す
ではタロト部に氏族がないのはなぜか。それはその母体となったのが、草原全体に散らばる巫覡たちだったことに起因する。
天王の名の下にさまざまな巫術、呪法を為す一団である。彼らは自由に各地のハーンに仕えて術を行った。ゆえに牧民たちのように、その原籍を共有するための伝承を必要としなかったのである。
その技能は秘法として代々口伝され、部族の外には決して漏らさなかった。また草原全体に巫覡たちが散っていることから情報の収集および伝達に卓れていたため、間諜としてはたらくものもあった。
いずれにしても特殊な技能を持つ集団として重宝されていたのである。
かつてのタロトの版図はその中枢である。そこは「天王の心臓」と呼ばれ、言わば聖地であった。聖地であるがゆえに大軍をもって武装する必要もなかった。
ジェチェンは巫覡としては世俗の欲望に溢れた男だった。彼は「天王の心臓」を掌握すると、全土の巫覡を呼び戻して兵とした。瞬く間に大軍を得たジェチェンは、豊富な知識と情報を駆使、乱世の時流にも乗って躍進したのである。
その間、僅か十年。
しかし彼自身、晩年は部族のそうしたあり方に疑念を抱いていたようでもある。その証左に、後継として期待したのは武人の資質を有するチャルトー、マジカンではなく、通天君王と称される末子マタージだった。本来の巫覡集団への回帰を想定したからではなかろうか。
そうしたわけでサノウが軍を解体したと云っても、単にジェチェン以前の姿に返しただけである。タムヤを衛るべく最小限の兵力として数千騎を残したのである。
余談が過ぎたが、これがタロト部の兵が過少である所以である。
本題に返る。軍議はなおも続いたが、やはり兵力差はいかんともしがたい。しかも敵は奸智に長けた四頭豹と武勇に優れた亜喪神である。南征は不可能ではないか、という声すら挙がる。そこで初めてインジャが口を開いた。
「ヤクマン部は草原を害う奸賊。誰かがこれを討たねばならぬ。時日を経れば、四頭豹の権勢はますます確固たるものとなり、何人たりとも抗えぬようになるだろう。今をおいて機会はありえない」
その言葉で誰もが気概を復す。しかし軍議は紛糾し、三日間に亘ってまだ決着しなかった。
一方、獅子ギィは、軍議に参加しない好漢たちと連日酒宴に興じていた。おかげでオノチやカトラとはすっかり意気投合したが、内心では軍議の行方が気になっていた。
というのも彼はヤクマン部の超世傑ムジカと「チェウゲン・チラウンの盟」を結んだ間柄だったからである。
戦になれば、最初に前線に送られるのはおそらくムジカとアステルノである。快活に酒を酌み交わしながらも、ギィはマシゲルの採る道について考えを運らせていた。ゴロがそれに気づいて、散会したあと言うには、
「中立、しかないでしょう」
「蓋天才もそう思うか」
「はい。本来はジョルチ部に与してヤクマン部を討つべきですが、それでは超世傑殿と干戈を交えることになります」
それを聞いてううむと唸ると、
「本来はジョルチに与するべき、か……」
「軍議が終わればチルゲイ辺りが何か言ってくるでしょうが、適当にあしらっておくことです」
ギィは自嘲混じりに笑うと、
「心配要らぬ。我らはまだ戦を考える時期ではない。ジョルチとの会盟など笑い話にもならぬ」
「しかし、まことにジョルチとウリャンハタが南征するのであれば、草原を揺るがす大事です。かつてミクケルが神都と結んで中原に侵攻したとき以上に耳目を集めるでしょう」
ゴロは低い声で言ったが、この話はここまでにする。
そうこうするうちに軍議は終了した。あとは来年に向けて準備を進めるばかりである。インジャとカントゥカは奸賊覆滅をテンゲリに誓った。決議の詳細はまだ明らかにせぬが、いずれわかること。
その夜は両部族の好漢たちが顔を揃えて、盛大な宴が行われた。ギィにはお呼びがかからず無聊を託っていたが、そこに突然チルゲイとナユテが訪ねてくる。
「やあ、獅子殿。宴席を抜けてきたぞ」
「おお、それは申し訳ない」
「いやいや。こちらこそ客人を放っておいてすまぬ」
ナユテが答える。チルゲイが満面の笑みを浮かべて、
「宴席からいただいてきた」
酒甕を掲げれば、ギィは大喜び。そして言うには、
「バラウンのことだが……」
「案ずるな、案ずるな。さすがは聖医だ。良策を教わってきたぞ」
ここでチルゲイが語った言葉から、好漢うち揃って旅路に就き、竜に見えて再び策を試みるということになる。
まさしく気を失うに本あり、辿って顧みれば忘れたる忠心相通ずといったところ。果たしてチルゲイはどんな策を授けられたか。それは次回で。