第 一 回 ④
草原乱れてジョルチ倶に争い斃れ
族長卒してフドウ忽ち遁れ走る
さて、クル・ジョルチ部とはいかなるものかといえば、メンドゥ河の西北方、ドゥシット山の西麓を牧地とする部族。その名から察しが付くようにもともとはジョルチ部の係累であった。
なぜ今のようにふたつに分かれているかというと、話は七十年ほど前に遡る。
当時のジョルチ部のハーンは、ナヤアというなかなかの豪傑であった。その腹心にウラオスというものがあった。ある日卒かにウラオスはハーンを僭称して叛旗を翻した。当然ながら戦となったが、あえなく敗れた。
彼は敗残の兵を引き連れてメンドゥ河を越えて逃れ、そこを版図とした。それがクル・ジョルチ部(衆いジョルチ部の意)の端である。その後、彼らは西方の漠土と草原を結ぶ要路を押さえ、一大勢力を築くことに成功している。
またタムヤとは、メンドゥ河上流の東岸にある小さな街である。草原にも大河の周辺には僅かながら街があり、漠土を越えてやってくる異国の商人などが市を開いていた。タムヤもそんな街のひとつである。今はメンドゥ河東岸を牧地とするタロト部の庇護下にあった。
そして、ムウチが頼っていかんとするエジシとはいかなる人物であったか。
彼はそもそもクル・ジョルチ部ブリカガク氏の族長の家に生まれたが、長ずるに及んで交易と学問に惹かれ、ついに騎馬の民の暮らしを捨てて、タムヤに移ったという変わりもの。
幾人かの師に付いて学問を修めたのち、南方のイシ、カムタイといった街を巡って見識を広めた。能く諸部族の言葉を解し、西域や中華の言葉まで自在に操るまことに稀有な人物であったが、草原の民の間ではすこぶる評判が悪かった。
一般に草原の民は、商業や学問を生業とするものを軽蔑する傾向がある。自ら草原を捨てて街に定住している彼が良く思われないのは当然といえば当然であった。
ここでひとつの疑問が湧くであろう。なぜそんな人物とフドウ氏の族長フウが懇意となったか。それを知るには三年前のことをお話ししなければならない。
大ズイエ河は、シェンガイ山嶺より流れ出てオロンテンゲル山の東に至ると、ズイエ河とカオロン河のふたつに分かれる。その二本の河に挟まれたところに草原最大の都市、神都がある。
エジシは三年前、神都へ行こうと思い立ち、折よくそこへ向かう隊商があったので通訳として加わった。道中は略奪を好む草原の民が跋扈していたので、傭兵を雇い入れて厳重に警戒していたはずであった。
ところが運悪く、草原最強にしてもっとも兇悪と言われている放浪部族ダルシェに遭遇した。金品はすべて奪われ、商人も傭兵もことごとく殺されてしまった。
エジシはまったく奇跡的にこの難を逃れた。しかし一身を護る刀剣はおろか、食糧もないまま草原を彷徨い、いつか日は暮れて夜になってしまった。まさに「影よりほかに友はなく、尾よりほかに鞭もない」有様。
と、前方に焚火をしている一団がある。藁にも縋る思いで近づけば、それこそまさにフウ率いるフドウ氏の一隊。経緯を話したところ、フウは快くこれを輪に加えて、酒と食事を振る舞った。
図らずも意気投合した二人は、盟友とは言わないまでも義兄弟の杯を酌み交わしておおいに話が弾んだ。翌日はフウ自らわざわざこれをタムヤまで送り、無事に帰り着くことができたという次第。エジシが涙を流さんばかりに感謝したのは言うまでもない。
閑話休題。ハクヒら一行はその後、道中格別のこともなくタムヤに到着した。ムウチはもとより、ハクヒにとっても城壁に囲まれた街を見るのは初めてである。
咎められることもなかったので、恐る恐る門をくぐって中へと入ってはみたものの、さてどちらへ行けばいいものかさっぱり見当もつかない。
行き交う人々はいずれも裾の長い衣服を着ており、馬に騎るものはほとんどない。壁と屋根を持った家が建ち並び、大路沿いでは物売りやら乞食やらが何ごとか叫んでいる。よくよく見れば、青い眼、赤い髪の異国人も混じっている。
ただただ呆然としていると、
「おや、ハクヒ様じゃありませんか」
声をかけてくるものがあった。驚いて顧みれば、一人の壮士が拱手して立っている。
ハクヒがこの男に出会ったことから、英雄は好運にも世に出る機会を失わず、窮余の民もあわや滅亡を免れるということになるのだが、さてこの壮士はいったいいかなる人物であったか。それは次回で。