第九 九回 ④
ギィ盤天竜を介して黒鉄牛と語り
ソラ双角鼠を知りて赤流星と遇う
翌日、ベルグタイとその一党は、塞を畳んで移動の用意を整えた。夜になって再び篝火を囲んで宴を楽しむと、夜明けとともにマシゲルへ向かう。
道中格別のこともなく無事に還る。戻ってきた彼らを見て、ゴロたちは喜ぶとともにおおいに驚いた。
「いったいこのものたちはどうしたのですか?」
「ははは、かつて神箭将ヒィ・チノは言ったそうだ。『凡夫は出でて帰家を失い、英雄は出でて大功を成す』(注1)と」
「それではわけがわかりません。だいたいバラウンはどうなりました?」
そこでギィはみなを集めて旅の経緯を話した。双角鼠ベルグタイが紹介され、その百人ほどの配下はカンダル氏の所属とされる。
アンチャイが大きな眼をいっぱいに開いて、
「バラウン殿が記憶を失っていたとは。そんな不思議なことがあるなんて……」
「俺も驚いた」
コルブが眉を顰めて、
「装っているのではありますまいな」
「ははは、バラウンにそんな器用な芸当ができると思うか?」
ウチンが口を開いて、
「それでダルシェに置いてきたのですか。今後どうするつもりです?」
「うむ。そのことだが、俺はバラウンを諦める気はない」
「記憶を復する方策があるのですか」
すると諸将を見廻して言うには、
「これはセチェン(知恵者)の力を借りねばなるまい。俺はまた旅に出ようと思っている」
「おや、どちらへ?」
ハリンの問いに答えて、
「神道子に会いにジョルチ部へ参る。今度はゴロ、君が来てくれ」
異論を挟むものはない。彼らはまだナユテが花貌豹サチと結婚してウリャンハタに移ったことを知らなかった。
数日疲れを癒したあと、ギィとゴロは連れ立って北へ向かった。目指すは赤心王インジャの治めるジョルチ部のアイル。
ギィがインジャと最後に会ったのは何と八年も前(注2)のこと。当時、ギィはベルダイの華アンチャイを娶ったばかり。二人はベルダイ左派の陣中で顔を合わせた。
それから情勢は大きく変化した。インジャは、ベルダイ左派をも併せて部族を統一、ついにハーンとなった。かたやギィも、ヤクマン部に追われたものの部族を再建して即位している。
かつては中原のほんの一部しか知らなかった彼らだが、今では東はナルモントから西はウリャンハタまで、大小の差はあれ密接な繋がりを持つに至っている。ときの流れとはまことに測りがたいもの。
「ゴロ、旅はよいな」
不意にギィが話しかける。続けて言うには、
「インジャ殿ぐらいになると、昔日のように自由に草原を駆け回ることはできまい。その点、俺はハーンといっても小さい。おかげで身が軽いというものだ」
莞爾ともせずに答えて、
「いずれハーンは大きくなります。今のうちに備えておくとよろしいでしょう」
「ほう、大きくなるか。君の言う備えとは何だ」
間髪入れず答えて言うには、
「人脈です。ジョルチ部があれほどまでになったのも、人脈の賜物です。ハーンはこれに倣うべきです」
「そうか。君の語りたる言葉は、俺の思うところと一致する」
そう言ってテンゲリに向けてからからと笑う。その後の道中は格別のこともなく、ジョルチ部のアイルを望むところまで辿り着いた。
「あれではないか?」
胸躍らせて駆ければ、彼方より衛兵がわらわらとやってくる。
「そこのもの、止まれ、止まれ!」
素直に手綱を引いて待っていると、近づいてきた将があっと叫ぶ。
「あなたはもしかしてマシゲルのギィ様ではありませんか!」
見ればかつて見知った顔。ギィも頬を綻ばせて言った。
「おお、久しいな。イタノウのマルケではないか!」
このとき哨戒の任に当たっていたのは何と白面鼠マルケであった。
「ご無事で何よりです。ハーンに知らせてまいります。きっとお喜びになります」
言い残して急いで駆け去る。待っていると、マルケは一人の将を伴って戻ってくる。誰かといえばこれぞ胆斗公ナオル。再会を祝してひととおり喜び合うと、
「さあ、ハーンがお待ちです」
そう言って先に立つ。
乱世で培われた交誼はときを経てなお堅く、天下の英傑の来訪に心浮き立たぬものは一人としてない。
往時と立つところは違えども、個々の情には一分の変化もない。宿星は運ってついに再会かなったわけだが、インジャとギィの邂逅はいかなる命運を招き寄せるか。それは次回で。
(注1)【凡夫は出でて……】不浄大虫バーリルを討ったヒィが戻ってきて言った諺。第三 三回②参照。
(注2)【八年も前】ギィはアンチャイの実家に挨拶するため、インジャらはそれを追ってベルダイ左派を訪れた。そこでベルダイ右派との戦に勝ったあと、宴席で顔を合わせた。第一 八回②参照。