第九 九回 ③ <ベルグタイ登場>
ギィ盤天竜を介して黒鉄牛と語り
ソラ双角鼠を知りて赤流星と遇う
あっと悲鳴を挙げて盗人は仰け反った。どうと落馬する。瞬時に辺りに殺気が満ちる。
「うぬ、抵抗するか!」
ソラは笑みすら浮かべて彗孛に跳び乗ると、
「ふん、お前らごとき。やれるものならやってみやがれ!」
ギィは小さく舌打ちすると、やはり得物を掲げて馬上の人となる。
「相手はたったの二人だ、かかれ!」
その声を機に、一斉に襲いかかる。ギィは剣を縦横に振るって、たちどころに数騎を斬り伏せる。ソラも近づく敵に片端から礫をぶつける。
「こいつら、できるぞ!」
「赤馬の男は妙な術を使うぞ、気をつけろ!」
野盗は瞬く間にその数を減じる。そもそも二人は草原にその名の轟く英傑、束になってもかなうはずもない。四半刻もせぬうちにほうほうの体で背を向ける。
「待て、待て!」
追おうとするソラを呼び止めて言うには、
「やめておけ。いたずらに血を流させることもあるまい」
「ハーンがそうおっしゃるなら見逃してやりますよ」
「やれやれ、しかたがない奴だ」
二人は野盗どもが仲間を連れて報復に来るのを懸念して、即座に発つことにした。準備を整えていると、彼方から呼びかける声がする。
「お待ちください!」
訝しく思っていると、一騎駆けてくるものがある。ソラはギィを庇うように進み出ると誰何して言った。
「何ものだ!」
すると男は馬を降りて彼らの前に跪いた。その人となりはといえば、
身の丈は八尺には僅かに足らず、額は濶く、目は離れ、鼻は低く、口は小さい貧相な面貌。見るべきは額の左右に角のごとく突き出たふたつの瘤。剛力にして小心、魁偉にして忠直なる豪傑。
二人が面喰らっていると言うには、
「私の配下のものが、英傑様とは知らずに失礼をいたしました」
ギィとソラは顔を見合わせる。男はなおも言う。
「私はこの先の丘に小さな塞を持つ、ベルグタイと云うつまらぬ野盗でございます。近隣のものからは『双角鼠』という渾名を頂戴しております。図らずも英傑様の手を煩わせたお詫びをさせてください。ぜひ我が小塞にお越しください」
そう言って額を地面に擦りつける。
「どう思われますか?」
「おもしろいではないか。招待を受けよう」
ギィはもとより冒険心に富む男、ソラの危惧をよそに快諾する。二人はベルグタイのあとについて丘の裏に回れば、小さな集落があった。
「こちらでございます」
あくまでベルグタイは丁重な様子で先導する。篝火が焚かれていて、中央の卓には酒食が並んでいる。主客分かれて着座すると、
「改めまして、双角鼠ベルグタイと申します。英傑様はいったいどういう方々で」
応じてそれぞれ名乗れば、ひゃあっと声を挙げるや、席を滑り降りて平伏する。
「ま、ま、まったくうちの阿呆どもが、真の英傑とそうでないものの見分けもつかず……」
「ははは、もうよい。座れ」
ギィは屈託なく笑ってこれを許すと、早速饗応を受ける。いろいろ話しているうちに、ベルグタイが愚かで取るに足らぬものではあるが、その心性は正直であることがわかった。
ついにベルグタイが言うには、
「私らは乱世に容れられず野盗に身を窶しておりますが、もともとは良民だったのです。願わくば私らもハーンの高徳の恩恵に浴させてはもらえませんでしょうか」
いまだ警戒心の解けぬソラは、
「厚かましい奴だ」
吐き捨てたが、ギィは呵々大笑して、
「二度と人のものを奪わぬと誓うなら、マシゲルの人衆にしてやろう」
ベルグタイは大喜びで再び地に伏して謝意を述べる。幾度も額を打つものだから、助け起こしてみればふたつの瘤がすっかり赤くなっている。それを見て、ソラも初めて大笑い。
と、卒かに十数人のものが進み出てきて、彼らの前に平伏した。ベルグタイはおおいに怒って、
「客人がいるのだぞ、何ごとだ!」
叱責すれば、一人が顔を上げて言った。
「ソラ様! 我々はジョシ氏のものです。四頭豹の手を逃れて、ここまで流れてきたのです。このような辺境の地で、図らずもお姿を拝見できるとは……」
あとは言葉にならず感涙に咽ぶ。驚いてよくよく見れば、たしかにかつて見知った顔。あっとひと声叫ぶと席を降りて、
「おお、間違いない。よく無事であった……」
その目にもみるみる涙が満ちる。
「野盗にまで落ちてしまい、本来は合わせる顔もないのですが……」
「何を言う。俺の不明のために苦労をかけた」
主従は互いに抱き合って襟を濡らす。
「ああ、俺はこういう話に弱いのだ」
ギィが呟く。見ればその頬にも滴が光る。その後、彼らにも杯が与えられてともに喜び合ったが、くどくどしい話は抜きにする。