第九 九回 ①
ギィ盤天竜を介して黒鉄牛と語り
ソラ双角鼠を知りて赤流星と遇う
さて、突如魔軍ダルシェにクルベイ氏のアイルを襲われたマシゲル部ハーン、獅子マルナテク・ギィは、敵軍の中にかつての宿将バラウンの姿を見たという証言を得た。
そもそもバラウンは、六年前にヤクマン部と戦った際、当時ムジカの幕下にあったチルゲイらの謀計に嵌まったあげく逃走していた。のちに神道子がその行方を占ったが、消息は杳として知れなかった。
迅矢鏃コルブは、バラウンがすっかり叛したと思い込んで激怒した。ギィはそれを宥めると、瓊朱雀アンチャイ・ハトンに諮ってある決意をした。諸将を集めて自らダルシェに乗り込むことを告げる。
周囲の反対を押し切ったギィは、ひと月の刻限を定めて、赫彗星ソラとともに魔軍を索める旅に出たのである。
十日ほど過ぎたころ、ついにダルシェの哨戒兵に出合った。アルスランの名を聞いた盤天竜ハレルヤは首を傾げて、
「ふうむ、まさかとは思うが……。よし、ここへ通せ」
そう言って客座を用意させる。ギィとソラは戸張をくぐって、ついにハレルヤと対面する。巨躯の好漢は一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐに満面の笑みとなる。席を勧めると言うには、
「よくぞここを探しあてられた。高名なマシゲルの獅子が、護衛も附けずにいかなる用で参られたのかな」
それを聞いて周囲に侍した衛兵は肝を潰す。ハレルヤは呵々大笑して言った。
「礫公も一緒か。これはおもしろい」
ソラはぐっと唇を噛んだが、堪えて目を伏せる。ギィは臆する様子もなく拱手して言うには、
「マルナテク・ギィです。武名轟く盤天竜殿に見えて、これに勝る喜びはありません。今日はひとつ確かめたいことがあってお騒がせいたしました」
ほう、と感嘆の息を漏らすと、
「まあ、酒でも飲みながらお聞きしよう」
応じて側使いが酒食を運んでくる。卓上が賑やかになったところで、互いに杯を満たして乾杯する。
「さて、用件を聞こう。最初に言っておくが、先日奪った家畜については、お返しすることはできぬ」
「ええ、そのような些細なことで伺ったわけではありません」
ハレルヤは黙って杯を干す。ギィは莞爾と笑って、
「こちらにバラウンジャルガルなる男がいるかと思うのですが」
「バラウンジャルガル?」
「そうです。かのものはマシゲルの上将でしたが、戦で失策を犯して遁走しました。私は人を惜しみこそすれ、一度の過ちでこれを罰しようとは思いません。そこでバラウンと話し合おうとて参ったのです」
ハレルヤはそれを制すると、首を傾げて言った。
「用件はよくわかったが、獅子殿、バラウンという男はここにはいない。何か思い違いをしているのではないか」
ギィは内心ひどく驚いたが、面には出さずに、
「そんなはずはありません。我が部族のものが、たしかに見たと言うのです」
「ふうむ。しかしいないものをいるとは言えぬ。決して隠しているわけではないのだが……。見間違いではないのか」
「バラウンをよく知るものが幾人も目撃しているのです」
ハレルヤは腕を組んで考え込む。ギィは密かにそれを観察したが、挙措に偽りがあるようには見えない。再び口を開いて、
「バラウンとは名乗っていないかもしれません」
そこでその人となりを詳しく述べて言うには、
「彼が出奔したのは六年前です。そのころこちらに投じた将領のうちに、該当するものはおりませんか?」
すると、はたと膝を打って言うには、
「なるほど。一人心当たりがある」
傍らの衛兵に告げて、
「黒鉄牛を召せ」
「承知」
すぐに衛兵は飛び出していく。ギィらはそれを見送ると向き直って、
「黒鉄牛とはどういった人でしょう?」
問えば、ハレルヤは彼との不思議な邂逅(注1)について語る。すなわち崖の上から落ちてきた男を救ったところ、記憶を失っていたため、これに「黒鉄牛」の名を与えたという話である。
「あれがたしか六年ほど前のことだったと思う」
ギィはソラを顧みて、
「記憶を失っていたとは……。きっとバラウンに違いない」
語り合ううちに黒鉄牛が何ごとかと駆けつけてくる。戸張をくぐって姿を現したのを見て、ギィはおうと歓喜の叫びを挙げる。立ち上がって言うには、
「間違いない! この男がバラウンです!」
(注1)【不思議な邂逅】詳細については、第八 二回④参照。