第一 〇回 ③
コヤンサン便ち泥酔して大いに神都を賑わし
ハツチ亦た不運にして俄かに冤罪を受く
と、そこでサノウが言うには、
「それはそれとして、その酒乱先生にはちょっと興味があるな」
「おいおい、何を言う」
「私の名をどこで知ったかも聞きたい」
「わざわざ忠告してやってるのに何て奴だ。よせよせ、ろくなことにならんぞ」
「問題ないさ。草原に行く気などさらさらないし、まさか攫おうっていうのでもあるまい」
「君ってやつはくだらないことには……」
そうぼやきかけたときであった。何やら外が騒がしい。
「おや、何かあったらしいぞ」
「まったく騒がしい日だな」
立ち上がって表に出てみると、通りを大勢の人が駈けていく。一人を捉まえて、
「おい、何があったんだ?」
「酒屋のチュイク婆さんが殴られたんですよ。それがまたひどい話でして」
「どういうことだ」
「突然やってきた酔漢がですね、さんざん飲み食いした挙句、代金を払えと言うと『そんなものはない』とて婆さんを殴るわ蹴るわ、おかげで婆さんは虫の息、勢い余ってほかの客にまで手を出す始末。隣の爺さんが訴えて、さっきやっと捕まったとか。そいつが役所へ連れていかれるというので、顔を見にいこうとしていた次第で」
これを聞いたゴロは即座に思い当たって言うには、
「やあ、そいつは件の草原の阿呆に違いない。ははは、見に行ってみるかい?」
サノウはしばらく考える風であったが、やがて頷いて、
「そうだな、よかろう」
「たいした物好きだな」
「嫌なら君は来なければいい」
「行くさ。あの阿呆の顔を見て笑ってやるんだ」
話がまとまったので二人は役所のほうへと向かった。少し行くと大勢の人だかりに出くわした。ゴロは生来の図々しさを発揮して人混みを掻き分けると、サノウを伴って最前列に出た。そこで二人は跳び上がらんばかりに驚いた。
役人が捕縛した男を連行しているのは聞いたとおりだが、その顔を見れば何と長髯の偉丈夫、ハツチ。
「ど、ど、ど、どういうことだ!」
ゴロは手近の役人に詰め寄った。
「我々にもよくわからんので。ただ命令どおりにしているだけで……」
首を振るばかりで話にならない。
「ちょっと待て。少しこいつと話をさせろ」
「いや、いくらゴロ様でもそれは……」
すかさず懐中より銀錠を取り出して握らせる。
「お前らには関係ないことだ」
すると役人たちは、
「喉が渇いたな。少し休んでいこう」
そう言って、ハツチも連れて手近な酒楼に入る。ゴロとサノウも当然のようにあとに続く。席に着くや、ゴロは不満も顕に、
「おい、君がそんな罪を犯すとはがっかりしたぞ」
長髯の好漢はたちまち色を成して、
「わしは何もしておらん!」
「何もせぬ奴が捕まってたまるか。チュイク婆さんに何の恨みがあったんだ」
「誤解している! 婆さんを殴ったのはわしではない。あのコヤンサンだ! わしがそんなことするわけがなかろう」
ゴロはぽかんと口を開けてハツチの髭面を眺めていたが、やがて言うには、
「……では、なぜ君が捕まるんだ?」
「わしも最初はわけがわからなかったが、こういうことらしい……」
ハツチが話したところはこうである。
コヤンサンはハツチに見放されたあと、従者とも別れてふらふらと徘徊していた。そこに鼻をくすぐる芳香、誘われるように入っていったのがチュイク婆さんの酒屋。
どっかと腰を下ろすと片端から注文して飲み続けること半刻、十分に酔っ払ったので片手を振って礼を言い、すっと立ち去ろうとした。
婆さんのほうはたまったものではない。袖を把んで代金を請求したところ、そんなものを持っているはずもないのでたちまち口論になった。
明らかに非のあるコヤンサンが、口で勝てる道理もない。旗色が悪くなったコヤンサンは、えいとばかりに婆さんを殴る。あわれ婆さんはすっ飛んで壁に叩きつけられて泡を吹く。
あとは当たるを幸い、手当たり次第の大暴れ。卓は倒れ、椅子は転び、止めに入ったものは鼻を潰され、手を折られ、店内は阿鼻叫喚の巷と化す。たまらず隣の爺さんが役人を呼び、寄って集って押さえつけた。
「そこまでは我々も聞いた。それと君が捕まったこととはどういう関係がある」
「そこなんだ。あの阿呆め、役人に囲まれたときに嘯いて言うには、『俺を捕まえてみろ、草原から雲霞のごとく大軍が押し寄せ、こんな街は半刻で抜かれようぞ!』……これを聞いた役人は驚いて上に報せたわけだ。兵事となれば疎かにはできぬ。詳しく査べるまでもなく、わしはついさっきまで一緒にいたから仲間と疑われて捕まったと、まあそういうことらしい」