第九 七回 ④
チルゲイ東原を訪れて神箭将に策を語り
ナユテ書簡に託して飛虎将に命を伝える
チルゲイはさらに尋ねて、
「ほほう。では二の句は?」
ヒィ・チノは眉を顰める。
「それは判らぬ」
「では『主星』とやらには出会ったか?」
「それもまだだな」
にこりともせずに答えれば、チルゲイは嬉々として、
「それはまずい! 神道子は言わなかったか? 卦に逆らえば福は転じて禍となり、身を滅ぼすと」
「言ったが……?」
何を言い出すのかと警戒している様子。
「君は今やハーンとして東原に覇を唱えようとしている。だが、そのまま主君たれば卦に背くぞ。ふふ、君とて彼の占卜の威力を知っているだろう」
傍らのショルコウにはさっぱりわけがわからない。かまわず続けて、
「君はそろそろ主星を探さねばならん。少なくとも、あと五年以内に主星に巡り合う必要がある」
断言してにやりと笑うと、
「それが神道子の言葉だ」
ヒィはううむと唸ったきり考え込む。ショルコウもまた眉を顰めて、
「どうしたのです。たかが占卜ではありませんか。なぜそう深刻に受け止めるのですか」
「司命娘子は神道子を知らないからな。彼の予言はいまだかつて外れたことがない。彼がそう言うなら、そうしなければならないだろう」
ショルコウは唖然として口を噤む。
常々、ヒィは巫者や卜人の予言を、妄説と断じて嫌っているのである。その思考は道理を基としており、怪異を語るものは人衆を惑わすとして罰するほどだった。
ヒィ・チノは彼女が疑念を抱いているのを察して、ふと笑うと、
「神道子は妄語を弄ぶ輩とは違う。そもそも俺が巫者どもを嫌うのも、神道子のごとき真の技能を知っているからだ」
「ならば話は早い。主星を探そう」
奇人が快活に言えば、苦笑して、
「容易く言うな。お前には良策があるのか」
「ふふふ、神箭将よ。君だって少し考えればわかる。ヒィ・チノの主星ともあろうものが、いまだ寸土も持たず世間に埋もれているということがあろうか。すなわち草原に割拠する群雄の中にこそ、君の主星がいると考えるのが順当ではないか?」
「ううむ」
「ま、実際は違うかもしれぬ。しかし主星を索めんとするなら、まずは群雄を当たったほうが理に適っている」
「まあな。俺だって突然平民を上に戴くことができるとは思わん」
「そうだろう。では考えてみよう。第一に君はまだ主星には出会っていない。なぜなら神道子によれば君は『主星に出会えば自ずから宿命を悟る』ことになっているからだ。つまり、かつて知ったるものはみな除外してよい。すなわち東原に主星はいない。奸人ヒスワ、鎮氷河エバ、楚腰公サルチンなどだ。加えて中原の雄、マシゲルのギィ、ヤクマンのムジカ、アステルノ、そしてここにいるナオルも除こう」
「なるほど」
「となれば残りは少ない。君の知らぬ群雄は数人。ジョルチの義君インジャ、タロトの通天君王マタージ、我がウリャンハタの衛天王カントゥカ。それからクル・ジョルチのハヤスン、ヤクマンの英王トオレベ・ウルチ、ダルシェのタルタル・チノ。これぐらいなものではないか」
さらに続けて、
「このうち、ハヤスンは消そう。彼は上卿会議の傀儡に過ぎず、ヒィ・チノの主星たる輝きはない。トオレベ・ウルチとタルタル・チノも不適格だ。これを主星と仰ぐのは義に反する」
「ちょっと待った。随分乱暴だな。義に反するとは主観に基づく判断ではないか」
ところがチルゲイはひらひらと手を振ると言った。
「おっと私が云う『義』とは何も徳目の話ではないぞ。神道子の四句の第二句を見よ。『義に遇いて万氏を制す』とあるだろう。殊更に『義』を持ちだしたのはそれがあるからだ。この句はきっと主星のことを指している。だから不義の世評ある二人を省くのだ」
「ふうむ、まあよい。ということは……」
「そう。インジャ、マタージ、カントゥカの三人が残る。これは先にタムヤで会盟した三君だ。だから君は我らと早く結んで、その中に主星があるかどうか確かめればよい。たとえ見つからなくとも、先に言った『遠交近攻』の利を得ることができる。もし主星が見つかれば神道子の卦にも背かぬ」
ヒィは腕を組むと、
「うまく騙されている気がするぞ」
チルゲイは大笑して、
「ははは。なぜ君を騙さなければならないのだ」
「まあ、それはそれとして中原と結ぶことは一考に価する。ただいかに神道子のものとはいえ、占卜を理由に部族を動かすことはできぬ」
「それはそうだ。もちろん私が同盟を勧めるのも占卜のためではない。ただ主星を索める一助にもなるだろうと言っているだけだ。もしかすると君の主星はいまだ隠れているのかもしれんしな。草原の民ですらないかもしれん」
「さすがにそれは……」
そこで傍らからナオルが言った。
「チルゲイの云う『義』が必ず人を指すとは限らぬではないか。また句自体が主星とは関係のないことかもしれないだろう」
「ははは、胆斗公にはいつも教えられる。君の言うとおりだ」
一同は欣然として笑う。
そもそも三部族会盟にナルモントも加えるというのは、奇人と神道子の策であったが、今巧みに占卜に絡めて神箭将に訴えたのである。
しかしいざ会盟となれば部族の将来を定める一大事、いかに神箭将といえども即答はできぬこと。だがもし盟約が成れば、草原の情勢を揺り動かす壮挙であることは疑いようもない。果たしてこの件はいかなる顛末を辿るか。それは次回で。