第九 七回 ③
チルゲイ東原を訪れて神箭将に策を語り
ナユテ書簡に託して飛虎将に命を伝える
ヒィ・チノはそれを聞くと腕を組んで言った。
「そんなことではないかと思っていた。しかしウリャンハタのお前がジョルチとの同盟を勧めるとはいったい……」
「君も知っていると言っただろう。ジョルチ、タロトと我がウリャンハタは兄と弟の関係だ」
「なるほど」
さらに熱心に説いて言うには、
「我らが結べば、両大河を挟んで、東原、中原、西原を繋ぐ強力な線が形成される。神都はそれに呑み込まれよう。またヤクマン部を三方から包囲する形となる。さらにマシゲルを加えれば、南原に打ちこんだ楔となろう。どうだ、壮大な企図だろう」
ううむと唸ってヒィは考え込む。畳みかけるように、
「ヤクマン部を放置すれば、彼奴らはいつか光都を欲するだろう。ジョルチ部と結んでおけばそれも牽制できる。兵法に謂う『掎角の勢を成す』ってわけだ」
光都と聞いて、ヒィ・チノの眉がぴくりと動く。それを看て取ったチルゲイが言うには、
「ヤクマンは草原最大の部族。擁する兵力は少なくとも十万は下らない。今のうちにそれに対抗する術を整えておく必要がある」
黙って聞いていたショルコウがふと思いついて言った。
「それほど強大な部族ならば、これと結ぶのが最善ではありませんか」
するとチルゲイはがらりと顔つきを改めて、正面からこれを見据えて言うには、
「本心からそう言っているのですか? トオレベ・ウルチは中華の狗。草原を乱世に陥れた奸賊ですぞ。これと結ぶなど道理を解する人の発言ではありません」
ショルコウははっとして、
「もちろん本心などであるわけがありません。失礼しました」
素直に謝罪する。チルゲイは莞爾と笑うと、もとの飄々とした顔に戻る。ところがヒィ・チノは相変わらず険しい表情のまま。
「実のところ、司命娘子はどう考える」
「私は賛成です。しかしツジャンらに諮ったほうがよろしいでしょう。実際に盟約を結ぶとなれば、ことは容易ではありません」
「別に即答を求めているわけではない。頭の隅に入れておけばよい」
愉快そうに言うチルゲイを見つめて、ヒィは言った。
「六年前、本来ならともにジョルチのインジャに会いに行くところだったのだがな。結局縁がなくていまだインジャを知らぬ」
「義君ジョルチン・ハーンについては胆斗公のほうが詳しいぞ」
視線がナオルに集まる。応じて口を開いて、
「ウリャンハタに『大カンは我らの太陽』という言葉があるそうです。我らが義君を仰ぐのもこれと同じです。ジョルチ部のみならず種々雑多な人衆が義君を慕って集い、そのためなら命をも惜しみません。あの癲叫子ドクトなども、もともとはジョルチの民ではありません」
「ほう」
これには少なからず感心する。しばらくインジャの話題が続いたが、ふとチルゲイが思いついて言った。
「そう言えば君はかつて神道子に占ってもらったことがあるそうだな(注1)」
「ある」
「何と言われたか覚えているか」
にやにや笑って尋ねれば、やはり笑い返して、
「ふふ、俺を誰だと思っている。無論だ」
「おお、おお、これは愚問、愚問」
大仰に手を振ると、懐中から一個の書簡を取り出す。
「神道子から預かってきた。君に会ったら中を見るよう表に書かれている」
そう言って示したが、ヒィはもとより字が読めない。
「神道子が? 何と言っている」
「待て、待て。それを今から見るのだ」
ゆっくりと書簡を広げる。
「ほほう!」
「何と?」
「君は神道子の卦を覚えていると言ったな。今ここで言えるか?」
ヒィは目を輝かせると、見ておれとばかりに、
「神道子いわく、『貴殿は万余の軍を帥いる一方の将となり、諸方の賊を平らげ、後世に残る功績を顕すだろう。それによって生きては位を極め、死しては神となって乱を鎮める』。また『貴殿は主星を輔ける天将の星を負っている。いずれ主星に出会えば自ずから宿命を悟るだろう』と」
「おう、見事だ。それから?」
「四句を教わった。すなわち、
奇に応じて千里を行き
義に遇いて万氏を制す
華を侵して麗人を得
足を知りて功名を保つ
というものだ。どうだ、間違いあるまい」
「そのとおりだ。その卦に思い当たるところはあったか」
「いや。だが初めの一句はあれだろう。お前の提案に順って中原に旅をした。すなわち『奇に応じて千里を行き』だ」
(注1)【神道子に占って……】第三 四回④参照。