第九 七回 ①
チルゲイ東原を訪れて神箭将に策を語り
ナユテ書簡に託して飛虎将に命を伝える
さて奇人チルゲイの提案により神都へ向かった好漢たち、すなわち胆斗公ナオル、癲叫子ドクト、雷霆子オノチ、石沐猴ナハンコルジの五人は、鉄面牌ヘカトに遇って所期の目的を果たした。
続いては東原へと繰り出す。神箭将ヒィ・チノに会うためである。道中格別のこともなくオルドに達した彼らは、おおいに歓待された。
ナルモントの錚々たる諸将と、主客の別なく座して盛り上がる。ツジャンの語り口はすこぶる軽妙、ショルコウの応答は才気に溢れ、キセイの笑声は場を和ませてやまぬ。
何よりヒィ・チノ・ハーンの英明には誰もが感嘆する。初めて接したジョルチ部の面々は大喜び。たちまち意気投合して、さながら旧知の朋のごとく睦み合う。もとよりテンゲリの定めた宿星なのだから当然のこと。
話題はいつしかヘカトのこととなる。ナオルが言った。
「それにしてもハーンの深遠なる謀計には驚かされました。居ながらにして神都と北原を離間せしめるとは、まったく凡人の及ぶところではありません」
ヒィはにやりと笑うと、
「ほう、よくぞ気づかれたな」
傍らからチルゲイが口を挟んで、
「わけのわからぬ勅使が来たから神都を探ってきたのだ。偶々ヘカトに会って、やっと計略の全貌を知ったというわけだ」
ヒィはさも愉快そうにからからと笑う。
「そうか、わけがわからなかったか。それはそうだ。鉄面牌は息災だったか」
そこでチルゲイらは初めてヘカトの渾名を知る。加えてサルチンが楚腰公、カノンが一丈姐と呼ばれていることを聞く。いずれも的を射ていることに感心しつつ答えて言うには、
「鉄面牌はむしろ以前より息災に見えたぞ。少しばかり胴回りが増えているやもしれぬ」
ナハンコルジが、
「手許に神餐手がいるからな。つい食べすぎているんだろう」
そこでチルゲイがアスクワのことを話せば、みな得心して大笑い。
ところで、ナルモントの将でもヘカトの光都追放が計略だと知っていたのはツジャンとショルコウだけだったが、おかげでみなに知れてしまった。ワドチャなどは驚いて目を円くする。ヒィは呵々大笑したが、笑い収めて言うには、
「ヒスワとエバの結束が崩れた今、我々は長年の悲願を成就せねばならぬ」
途端に緊張が走る。
「北伐だ。ズイエ河を渡ってセペート部を駆逐する」
周囲はおうとどよめく。みな先年の屈辱を想起して気を奮い立たせる。
五年前(注1)、ナルモント部は即位したばかりのヒィ・チノを戴いて北伐を敢行した。しかし勝ちを収めえなかったばかりか、留守をジュレン軍に襲われて殆うく帰処を失うところだったのである。
このときは司命娘子ショルコウの活躍と、光都のサルチンらの助力で何とか凌ぐことができた。以来、外征を控えて力を蓄えてきた。牧地はほぼ倍になり、家畜や人衆も飛躍的に増えた。
南方で隻眼傑シノンを加え、光都とも結んだ。かつてとは比べものにならないほどの国力を有するに至ったのである。
今や神都と北原の同盟は瓦解した。となればもはや彼らは敵ではない。セペート部は辺境にある中規模の部族に過ぎず、神都などは草の海に浮かぶ一点でしかない。だがツジャンは言った。
「北伐はせねばなりません。しかしもうしばらくお待ちください」
「ほう、なぜだ」
「鉄面牌の計が完了してから動くのが賢明です」
ショルコウが口添えして、
「ヒスワは希代の奸人。セペート部との密約がなくとも、ナルモントの精鋭が渡河すれば留守を襲ってくるかもしれません」
またツジャンが言うには、
「せめて鉄面牌が脱出するのを待つべきです」
「いつになるかな?」
「秋には」
ヒィは少しく考えていたが、軽く膝を打つとさらりと言うには、
「よし、待とう。ここで焦ってこれまでの苦労を無にするのは愚かしい」
これを聞いて、チルゲイは密かにおおいに感心した。
(注1)【五年前】ヒィ・チノの第一次北伐については、第四 三回④~第四 七回①参照。