第九 六回 ④ <アスクワ登場>
ナオル神都にて巧みに捕吏を欺冒し
チルゲイ路上にて卒かに旧知に邂逅す
そこでチルゲイは、ジョルチ部の好漢たちがともに来ていることを話す。応じてヘカトは言った。
「そうか。ならばここに迎えよう」
おおいに喜んで宿に帰る。みなに事の次第を話せば、一同おおいに驚く。すぐに宿を引き払ってヘカトの家に移った。
早速互いに名乗り合って乾杯する。そこに先には見えなかった一人の女が豪勢な料理を盛った大皿を運んでくる。チルゲイがすぐさま反応して、
「おい、いつの間に嫁を貰った!」
問えば答えて、
「いや、彼女は私の妻ではない。事情があってここで匿っている。侠女と云うべき娘だ」
「どういうことだ」
そう尋ねつつ、その人となりを見れば、
身の丈は六尺五寸、肌は白く、胴は丸く、光ある眼、福ある頬、天賦の愛嬌がありながら、凌雲の志気を有し、火眼金睛をもって正邪を識る一個の侠女。その名もアスクワ。
ヘカトはこれを指して、
「アスクワは神都一の料理人、渾名があって『神餐手』と云う。その腕を見込まれて宮廷に仕えていたのだが、現状に怒りを抑えきれず、何と過日、ヒスワの午餐に毒を盛ろうとしたのだ」
好漢たちは瞠目して、恥ずかしそうにしているアスクワに目を遣った。ヘカトは続けて、
「しかしヒスワの悪運は尽きておらず、事前に発覚してしまった。当然処刑されるところだったが、私が密かに救い出してその夫とともに匿っているという次第だ」
一同はおおいに感心してアスクワに敬意を表す。かくして席を与えてともに楽しむこととなった。一方でチルゲイはちょっとがっかりした様子で、
「夫とともに、か。何だ、てっきりヘカトが美人を妻にしたものと思ったわ」
ヘカトは呆れて、
「まだそんなことを。それより食せ。神餐手の名は虚名ではないぞ」
応じて好漢たちは大皿にわっと群がる。その言葉に偽りはなく、料理はいずれもこれまで味わったことのないような美味。みな再び目を瞠る。
みるみる平らげれば、ちょうどアスクワの夫が追加の皿を運んできたのでわっと歓声が挙がる。しばらくは話も忘れて酒食に興じ、口々にアスクワを誉めそやしていたが、漸く腹が満ちたので、やっと本題に返る。
改めて神都への計略の概要を聞いて、初めて一同は得心する。さらにヘカトが言うには、
「まもなく私の任務は完了する。すでに内に人心の離反を招き、外に奸人を孤立せしめた。あとは兵を弱めるだけだ」
方策を尋ねたが、微笑を浮かべるばかり。それもいずれ明らかになること。
ともかく七人の好漢は胸襟を開いて語り合い、おおいに意気投合する。これも無論、みな宿星の一員であったからである。
くどくどしい話は抜きにして、ナオルらはヘカト邸に二泊したのち、馬を調達して城外へと繰り出した。目指すはヒィ・チノ治めるナルモント部のオルドである。
草原は青々とどこまでも続き、風が柔らかく頬を撫でる。一行は実に爽快な気分で馬を駆る。
道中は専らヒィ・チノの人となりについて噂しながら進む。面識があるのはチルゲイとオノチの二人である。とはいえ両者ともヒィ・チノに見えるのは久しぶりである。
オノチはジョルチン・ハーン即位を伝える使者となって以来三年ぶり、チルゲイに至っては南原で別れて以来だから何と六年ぶり(注1)である。
かつては野盗の類が横行していた東原も、今やハーンの威令が行きわたり、治安はすこぶる良い。おかげで格別のこともなくナルモントの版図に入る。出合った牧人に方角を聞きながら、ムヤン氏のアイルへ向かう。
「おお、見えてきた、見えてきた!」
チルゲイが快活に叫ぶ。一行は長旅の疲れも忘れる。哨戒する衛兵に案内を請えば、すぐにオルドに報告されて拝謁を許される。馬を厩舎に預けて、いよいよ戸張をくぐる。
「おお! 久しぶりだな」
凛と張りのある声が飛んでくる。高き座に在るのは、これぞ東原の英傑、神箭飛虎将軍ヒィ・チノ・ハーンである。左右にはその誇るべき能臣、ツジャン・セチェン、ショルコウ、ワドチャ、キセイらが居並ぶ。
五人の好漢は進み出て拱手する。チルゲイが神妙な顔で挨拶して言うには、
「お久しぶりでございます。俄かにオルドをお騒がせいたしまして、まことに恐縮です。こちらにあるのは中原のジョルチン・ハーンの僚友でございます」
そして莞爾と笑えば、ヒィ・チノもまたにやりと笑って、
「おい、奇人。いつの間にそんな仰々しい挨拶を覚えた。堅苦しい礼儀など抜きだ。俺は諸君を歓迎するぞ」
みなそれを聞いてわっと笑う。早速酒食が運ばれてお決まりの宴。東西の好漢は主客の別なく席に着いて、それぞれ杯を満たす。するとハーン自ら高らかに、
「上天眷命、遠来の朋に!」
乾杯を宣言する。
ここナルモントにも、興隆しつつある部族特有の勢いがある。中核たる将領はいずれも年若く、四肢に生気溢れ、心奧に気概盈ち、上下一体となって崇高な志に向けて邁進している。
譬えて云えば、伏竜の機を得たがごとく、鳳雛の時を得たがごとく、旭日昇天の勢は止めるべくもない。東西の好漢交流して草原の情勢は新たな局面を迎えることになる。果たして宿星を負う好漢はいかなる命運に巡り合うか。それは次回で。
(注1)【六年ぶり】第四 一回③参照。