第九 六回 ①
ナオル神都にて巧みに捕吏を欺冒し
チルゲイ路上にて卒かに旧知に邂逅す
さてウリャンハタ部の奇人チルゲイは、神都へ向かう途中でジョルチ部を訪れた。ジョルチン・ハーン以下好漢たちの歓待を受けたが、席上で獬豸軍師サノウは、癲叫子ドクトの発言を捉えて、おおいにインジャとその僚友を諫めた。
すなわち主従の別が曖昧で、国家を治める自覚に欠けることを責めたのである。それはまさしくウリャンハタ部にも通じることであった。そこでチルゲイはからからと笑って言うには、
「まあ、だからこそジョルチとウリャンハタは会盟できたのだ」
続けてナルモント部とマシゲル部も内実が似ていることを示して、これとの同盟を説けば諸将はおおいに驚く。セイネン、サノウの危惧をよそにみなを見回すと、
「私は神都へ行かねばならぬ。ついでに神箭将に挨拶してくるつもりだ。そこでだ……、ともに東原へ行くものを募りたい」
おう、と座はどよめく。
「無論、ハーンが許したものに限るし、神都に参るゆえ美髯公は遠慮願いたい」
ハツチがぐっと声を詰まらせたので、一同大笑い。インジャが言った。
「我々も神都の勅使については真意を量りかねていたところ。奇人殿が行かれるのなら誰か同行せよ」
応じたのはすなわち胆斗公ナオル、癲叫子ドクトの二名。インジャは快くそれを許す。加えて雷霆子オノチが指名される。というのもオノチは、かつてヒィ・チノに弓射を伝授されていた縁があったからである。
翌日、四人は早々に出発する。途中、ベルダイ氏のアイルに寄って霹靂狼トシ・チノらに挨拶すれば、石沐猴ナハンコルジも東原行きに志願する。もちろん異存はなく、トシ・チノの許諾を得てこれに加わる。
一夜明けて五人の好漢はひたすら神都指して駆ける。道中格別のこともなくカオロン河の渡し場に辿り着く。大河の彼方に見えるはジュレン部の街たる神都である。
例によって馬の渡河は禁じられているので、乗馬を厩舎に預けて舟に乗り込む。チルゲイが溜息を吐いて言うには、
「神都と光都が結べば、カオロンの流れはいかなる道にも勝る大道となる。二都を得たものこそ東原に覇を唱えるだろう」
ナオルが答えて、
「神都を治めるのは奸人ヒスワ……。そして光都と携えるは神箭将ヒィ・チノ……。今はいずれが有利とも言いがたいな」
「いかにも。しかし先のヒスワの勅使が盟友たるエバ・ハーンにも送られているとすれば、局面は一挙にヒィ・チノに有利になるだろう」
ナハンコルジが首を傾げて理由を問えば、
「明快、明快。君は同格と思っていた盟友から『王に封じてやる』などと言われたら怒らないか?」
「それは怒るだろう」
「もし神都とセペート部の掎角の勢(注1)が崩れたなら、彼らはヒィ・チノの敵ではない」
オノチが呟いて、
「東原はヒィ・チノのものになるか」
「そのとおり。そして二都を得たヒィはカオロンの流れを支配して、東原に強力な覇権をうち建てるだろう。先にも言ったが、この大河はすなわち大道。もっとも破りがたく、もっとも長大な防壁でもある。西から東原を侵すことはほぼ不可能になる。だからこそナルモント部とは早めに結ぶことを考えたほうが得策なのだ」
余の四人はこれを聞いて漸くチルゲイの構想に得心する。
舟は順調に対岸に着く。五人は意気揚々と岸に上がると、巨大な西門をくぐった。高い城壁を顧みて、ナハンコルジは感嘆の声を挙げる。
「おお、そうか。石沐猴は神都は初めてだったな」
ナオルが言えば、ドクトが胸を反らして、
「はぐれるなよ。黙って俺についてこい」
むっとしたのを見てナオルが言うには、
「癲叫子、君も初めて来たとき(注2)は青ざめていたではないか」
一行は大笑いしながら先へ進む。だが行くうちに何だか様子がおかしいことに気づく。人の数があまりに少ないのである。
稀に出合うものは、五人を見ると一様にぎょっとしてこれを避ける。言葉を交わし合うものはほとんどなく、むしろ目線を逸らして蒼惶(注3)として行き違う。
「何やら感じの悪い街だな」
ナハンコルジが言えば、余の四人は首を捻って、
「以前はもっと賑やかだったんだが」
などと言い合う。市は閉鎖されていて酒楼の類も見当たらない。次第に薄気味悪くなってくる。チルゲイも自然と声を低くして、
「ともかく宿を決めようではないか」
一同賛成したので適当に小さな宿屋に入る。不意に五人を迎えた主人は、さっと顔色を変えた。癲叫子ドクトはいよいよ辛抱できず、かっとなってその襟を拏むや、怒鳴りつけて言うには、
「やい、いったいどういうことだ! どいつもこいつも俺たちを見ると顔色を変えやがる。言いたいことがあるなら堂々と言え!」
主人はがたがたと震えて、しきりに首を振る。
(注1)【掎角の勢】前後呼応して敵を制すること。
(注2)【初めて来たとき】コヤンサンを救出してくれた礼をサノウに伝える使者としてナオルらと神都を訪れたこと。第一 三回③参照。
(注3)【蒼惶】あわてふためくさま。あわただしいさま。