第九 五回 ④
トオレベ塞外に初めて皇太子を立て
サノウ宴筵に努めて赤心王を諫む
途端に座は静まりかえる。チルゲイすら黙ってことの推移を窺っている。そこでナオルが口を開くと、
「軍師の考えもよく解る。たしかにジョルチ部は統一成って国家としての体裁を整えつつある。中には草原の民と街の民が混在し、統治には非常な困難があろう。だが、そもそも我々はハーンの徳の下に結集し、これを義兄と慕ってともに困苦を乗り越えてきたのだ。諸将の間には兄弟の情があり、またハーンの僚友としての自負がある。ゆえに俄かにこれを改めることは難しい。道理としては軍師の言うとおりだが、このことについてはむしろジョルチの美点としてもらえぬだろうか」
サノウは黙していたが、やがて言った。
「右王がそうおっしゃるのであれば強いては申し上げません。しかし私は己が誤っているとは思いませぬ」
ついチルゲイが口を出して言う。
「獬豸軍師、君もなかなか強情だな。だがきっと君は正しいのだ。ただナオルらの言葉もまた正しい」
タンヤンが首を傾げて、
「どういうことだ。さっぱり解らぬ」
「ははは。部族の将来を慮れば、やはりサノウに順ったほうがいいだろう。だから正しい。……しかしだ、部族の現在を鑑みれば、みなの心情を重んじたほうがよい。だから君らもまた正しいのだ」
さらに続けて言うには、
「我がウリャンハタ部も同じようなものだ。創業の労苦を経た新興の部族に共通することだと思う」
それぞれに考えていると、奇人はからからと笑って、
「まあ、だからこそジョルチとウリャンハタは会盟できたのだ」
するとシズハンがその顔を見て、尋ねて言うには、
「まだ何か考えがありそうだね」
「ほほう、さすがは小白圭! 鋭い、鋭い。ではお聴きください」
嬉しそうに言って立ち上がると、
「草原には我々に似た部族が幾つかあります。近年、創業あるいはそれに近しき苦難を経ていること。草原と街の民が協同していること。ハーンをはじめ中枢にある将が若いこと。近隣に強大な敵があること……。これらの条件を満たしている部族が我々のほかに少なくともふたつあります」
セイネンが顔を上げて、
「ナルモントとマシゲルだな」
「いかにも!!」
嬉々として手を叩くと、
「ナルモント部は翻天竜ダコン・ハーンが戦死して、神箭将ヒィ・チノがあとを継ぎました。西隣には神都があり、ズイエ河を挟んでセペート部と対峙しています。一方で光都とは駅站で繋がり、昨年にはヒスワの攻撃を退けました」
諸将の顔を見わたして先を続ける。
「またマシゲル部は、ほとんど滅亡の淵に追い込まれながら獅子ギィによって漸く復興が成りました。その片腕と恃むのは神都の富豪ゴロ・セチェン。しかしいまだヤクマン部の脅威を脱したわけではありません」
両手を広げて、
「いかがです? ジョルチ、ウリャンハタ、ナルモント、マシゲルの四部族は、よく似ているでしょう」
ジュゾウが焦れて言うには、
「つまりは何が言いたいのだ」
莞爾と笑うと答えて、
「先にも言っただろう。ジョルチとウリャンハタは通ずるところがあったからこそ易く会盟できたのだ。ならばナルモントともマシゲルとも同盟できる、とは思いませんか」
最後は再びみなに問いかける。これには一同おおいに驚嘆する。チルゲイは得意そうに続けて、
「無論、今すぐにというわけにはいかないでしょう。しかしいずれはそうなるはずです。ヒスワもトオレベ・ウルチも、どちらも草原に寇なす奸賊。ならば対抗するべく結ぶのは理の当然です」
そして付け加えて、
「これは独り私の考えではなく、神道子と諮ったものです」
好漢たちは、それぞれ胸のうちでこれを反芻する。真っ先に口を開いたのは百策花セイネン。
「たしかに壮図であることは認めよう。しかしそううまく運ぶだろうか」
「さあ、それは天王様のみが知るところ。幸い神箭将も獅子も知らぬ仲ではないから探りを入れてみても損はない」
サノウが語気鋭く、
「部族の外交と、個人の交遊は別のものだ」
チルゲイはいささかも怯まず、
「もとより承知。とりあえず私は神都へ行かねばならぬ。ついでに神箭将に挨拶してくるつもりだ。そこでだ……」
奇人は好漢たちを見回してあることを言ったのであるが、この言葉から好漢東遊して都城に入り、果ては旧知に見えておおいに快哉を叫ぶこととなる。
まさしく定められし宿星は俄かにその運行を速め、苦境にあっては手を携えるといったところ。果たしてチルゲイは何と言ったか。それは次回で。