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草原演義  作者: 秋田大介
巻七
377/783

第九 五回 ①

トオレベ塞外に初めて皇太子を立て

サノウ宴筵(えんえん)に努めて赤心王を諫む

 さて梁公主と四頭豹の謀略は、ついに実を結んだ。三子ダマンは刑死、長子イハトゥは叛乱(ブルガ)に追い込まれてケルド台地で殺された。


 それを機にハーンの公子(クウヘド)は大量に粛清され、のみならずハーンを(そそのか)して、四頭豹は多大な権限を得ることに成功した。すなわち丞相(チンサン)として政事を壟断できるようになったのである。


 軍制も改編された。従来の三軍を廃して、新たに「八旗軍(ナェマン・トグ)」が置かれた。これにより七卿の一人、ダサンエンの権勢は大幅に縮小された。


 代わって四頭豹が擡頭(たいとう)し、ヤクマン軍十余万を自在(ダルカラン)に動かす(クチ)を得た。七卿はおろかハーンすらも凌駕する権能が、独り四頭豹に集中したのである。


 超世傑ムジカら四人の好漢(エレ)は、(いきどお)りを感じつつも(あらが)う術はなく、気づけば八旗軍に組み込まれていた。たしかに名誉(フンドゥ)は得たが、様々な責務(アルバ)も課せらることになった。神風将軍(クルドゥン・アヤ)アステルノなどは憤懣やる方なく、


勅命(ヂャルリク)と云うが、結局は四頭豹の命令(カラ)ではないか。なぜ俺が彼奴のためにはたらかねばならぬのだ」


 そう吐き捨てたが、彼とて大勢をいかんともしがたい。諸将は互いに軽挙を戒め、己を保つほかない有様。


 (ヂル)が明けて最初の大会議(イェケ・クラル)が開かれた。このところ大会議のたびに意表を衝かれるので、好漢たちは陰鬱な気分でこれに臨んだ。ひととおり新年を祝うと、丞相ドルベン・トルゲが進み出て言った。


「これよりハーンから重大な発表がある。心して聴け」


 そら来た、と緊張していると、おもむろにハーンは(アマン)を開いて、


「先年、不肖の息子どもが騒ぎを為して、部族(ヤスタン)(エイエ)を乱したことは、おおいに遺憾である。かかる騒乱を未然に防ぎ、無用(ヘレググイ・)の争い(ブルガルドゥアン)が起こらぬよう、中華(キタド)の制に(なら)って皇太子(ホンタイジ)を立てようと思う」


 座にあるものは等しく息を呑んだ。そもそも草原(ミノウル)部族(ヤスタン)は、その大小を問わずハーンの選出をクリルタイに()るのが慣習(デグ・ヨス)である。かつて皇太子なるものが存在したことはなく、草原(ミノウル)の民にとってはまさに驚天動地の怪事であった。


 唖然とした諸将も、次の瞬間にはそれぞれ疑義の(ダウン)を挙げる。トオレベ・ウルチはみるみる不快を(あらわ)す。そこでドルベン・トルゲが一喝して、


「静まれ! ハーンのご決定である」


 やむなくみな口を閉ざすが、不満は依然として(くすぶ))り続ける。委細かまわず宣言して言うには、


「皇太子は、ジャンクイである。同時に梁公主をハトンに冊立する。この決定に関して異を唱えるものはことごとく重刑に処す」


 座はしんと静まりかえり、やがて絶望の溜息が広がる。恐れていたことが現実になったのである。


 好漢諸将は、公主がジャンクイをハーンにするのではないかと危惧していたが、実のところ年端(としは)の行かぬ幼子(チャガ)を即位させる手立てなど皆無であるとも思っていた。誰一人として皇太子に指名するなど思いも寄らなかった。


 慣習に反すると声を挙げるのは容易だったが、周囲は衛兵(ケプテウル)に囲まれている。そんなことをすればたちまち(アミン)を失うのは目に見えていた。ここでも四頭豹に先んじられて、ただただ悔やむほかない。


 以後、ジャンクイは「ジャンクイ・ホンタイジ」と敬称されることになる。この「ホンタイジ」は草原(ミノウル)言葉(ウゲ)ではなく、中華の「皇太子」の音を借用したものである。そもそも皇太子の概念自体がないのだから当然のこと。


 それを言うなら丞相も同様である。丞相の称を採っていたのは、広い草原(ミノウル)で僅かにウリャンハタ部があるだけである。


 例えばジョルチ部の官制の頂点は断事官(ヂャルグチ)であり、獬豸(かいち)軍師サノウがその任に就いている。ジュレン部(神都(カムトタオ))では閣卿、クル・ジョルチ部では上卿である。


 ナルモント部に至ってはそうした官制すらなく、ハーンたる神箭将(メルゲン)ヒィ・チノが内政をも総覧していた。ナルモント部は軍制は整備されているが、内政の機構はいまだないのである。


 余談はさておき、好漢たちは四頭豹に翻弄され続けていた。人衆(ウルス)のうちには不平を表すものがあとを絶たなかったが、間者がこれを摘発したので次第に鎮静に向かった。


 公主はついにハトンの地位に登り詰めて殊の外喜んだ。密かに四頭豹を召し出して言うには、


「さすがは草原(ミノウル)一のセチェン。江魁(ジャンクイ)が皇太子になれたのは貴殿のおかげです」


「ふふふ、そして公主はハトンです……」


そう(ヂェー)、私はハトン。いずれハーンの(エケ)になります。そうなれば貴殿はますます栄華を極めるでしょう。なぜなら……」


 公主の(ハツァル)にすっと赤みが差す。


「貴殿こそ江魁のまことの父親(エチゲ)なのですから」


 四頭豹は笑いながらそれを制して、


「迂闊なことを口にしてはいけません。テンゲリには(ニドゥ)、エトゥゲンには(チフ)がございます」


「もうテンゲリもエトゥゲンも恐れませんわ。私と貴殿の江魁が皇太子になったのですもの……。ああ、私の(ウルドゥ)よ……」


 二人は常にもまして激しく雲雨の情(注1)を結んだのであるが、くどくどしい話は抜きにする。

(注1)【雲雨の情】男女の交情。性交。

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