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草原演義  作者: 秋田大介
巻七
375/783

第九 四回 ③

バルマン地利を失いて馬防柵に窮し

ドルベン主命を拝して八旗軍を置く

 叛乱軍(ブルガ)は焦燥の色を濃くした。そもそも人の堪えがたきは飢えよりも渇きである。後背の両道より攻め下ることも検討されたが、こちらはさらに防備が固められていた。為す術もないまま、包囲(ボソヂュ)(ドゥグイー)はじわじわと(せば)められていく。


 士気は目に見えて低下し、全体に疲労感が漂う。三日目の夜には脱走(オロア)するものが現れた。軍馬(アクタ)の衰えはなお激しく、イハトゥは一部の騎乗に堪えぬ馬を潰して、その(ツォサン)を兵に分け与えた。


「座していても死を待つばかり。それどころか兵卒の暴動すら起きかねません。ここは不退転の決意で突撃を敢行するほかありません」


 バルマンも万策尽きてそう言うのがやっと。イハトゥも同意して、全軍に布告して言った。


「今夜、全軍をもって重囲を突破する」


 疲れきった叛乱軍は最後の気力を振り絞って、この一撃に賭けた。馬の口に(ばい)(ふく)ませると、斜面中腹に整列して待機する。本営(ゴル)篝火(かがりび)は無論そのままである。


 ぶうん、と闇を裂いて鏑矢(かぶらや)の音が鳴りわたると、イハトゥ軍八千騎は怒涛のごとく斜面を下った。先頭には勇将バルマン、得物の(ヂダ)を高く掲げて疾駆(ツォギオ)する。夜襲に気づいた敵陣から、怒号とともに矢が放たれるが、たいした量ではない。


「柵を引き倒せ!」


 バルマンの(カラ)に応じて、将兵は一斉に鉤鎌を投げる。柵に引っ掛けると反転して次々にこれを倒していく。激しく抵抗されると予想していたが、思いのほか手応えがない。


「今だ! 進め、進め!」


 八千騎は流水が(せき)を切ったように雪崩(なだ)れ込む。三重(ゴルバン・ダブコル)になった馬防柵を躍起になって引き抜き、奥へ奥へと駆ける。


 ふとバルマンは不安になる。


「何だ、あまりに手応えがなさすぎる……」


 行けども行けども散発的な反抗があるばかりで、あれだけいた大軍が影も形も見えない。


「謀られたか? 止まれ、止まれ!」


 恐怖に駆られて全軍を停止させる。と、視界が(にわ)かに明るくなる。度肝を抜かれてよくよく見れば、いつの間にか(おびただ)しい数の炬火に囲まれている。


「あっ!」


 イハトゥもバルマンも動転して我を忘れる。次の瞬間、矢が驟雨(クラ)のごとく降り注いだ。


「しまった、敵の奸計だ!」


 叫んだもののどうしてよいやらわからず右往左往するばかり。兵卒に至っては混乱のあまり彼我の判別も着かぬ有様。どちらを見ても敵、敵、敵。


 翼でも持たぬかぎり逃れる術とてない。追い詰められた狩りの獲物(ゴロスエン・ゴルウリ)のごとく次々に討ちとられていく。バルマンはやっと手近の数十騎を集めると、何とか生きているイハトゥに言った。


「包囲の一角に突っ込みましょう。とにかくここを逃れるのが先決。逃げて再起を図りましょう」


(たの)む!」


 小さく固まると、薄闇に透かして敵陣の手薄(ニムゲン)な個所を探す。次いで猛然と咆哮を挙げて突撃する。たちまちのうちに味方の騎兵は数を減じる。バルマンはさすがに真の驍将、群がる敵を突き伏せ、叩き落とし、徐々に前進する。


 何とか重囲を突破したと思ったころ、(ようや)(ヂェウン)の空が白くなりはじめたことに気づく。周りはすでに十数騎を数えるのみとなっていた。ほっとした瞬間、鋭い声(クルチア・ダウン)がかかる。


「凡将、どこへ行く」


 はっと声の主を探せば、およそ数百騎の軍勢が現れる。明るくなりゆく空の下に浮かび上がったものは誰かといえば、これぞテンゲリをも欺く奸智の怪人、四頭豹ドルベン・トルゲ。


「待ちかねたぞ。思ったよりここまで来るのにときがかかったな」


 バルマンの身体からどっと(クチ)()ける。すべてこのセチェン(知恵者)の掌の上で踊らされていたに過ぎないことを知ったからである。


「ふふふ、諦めたか。ものども、謀叛人を捕らえよ!」


 あっと言う間にイハトゥたちは縄をかけられて捕虜となり、本営に連行される。ダサンエンはおおいに喜んで、


「おお、軍師。大勝利だぞ。我がほうの損害は軽微だ。これも軍師の妙策があったればこそだ」


「たいしたことではありません。むしろ敵人(ダイスンクン)凡庸(アルビン)だっただけです」


 イハトゥらはぐっと(オロウル)を噛んで嘲弄に堪える。


「軍師、此奴らの処断だが……」


「叛乱は重罪、裁可を仰ぐ必要はありません。ここで首を()ねるべきです」


 間髪入れず答えれば、バルマンがいきなり(わめ)いて、


「この佞臣め! お前はヤクマン部を滅ぼす気か! 我が部族(ヤスタン)は、お前のために牧地(ヌントゥグ)をすべて失うだろう」


 冷ややかな(ニドゥ)でこれを見据えると、


「何たる呪詛(ハラアル)を……。将軍、すぐに刑の執行を」


「うむ、わ、わかった……」


 イハトゥをはじめ叛乱に荷担した諸将はその場で処刑された。三軍は合流(ベルチル)して意気揚々と凱旋した。この報は瞬く間(トゥルバス)に全土を駆け巡り、(オロ)あるものは等しく(オモリウド)を痛めた。

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