第一 〇回 ①
コヤンサン便ち泥酔して大いに神都を賑わし
ハツチ亦た不運にして俄かに冤罪を受く
さて、禁酒の戒めを巧みに言い逃れて、まんまと酒にありついたコヤンサン。三日と空けずに飲む彼にとって、この十日の禁酒はどんな罰より重かったので、乾杯の音頭をとるやたちまち飲み干す。
あとは飲むわ飲むわ、瞬く間に運ばれてきた酒を空にしてしまった。ハツチは半ば呆れて、
「いやはや草原の民が酒豪とは聞いていたが、かくまでとは」
「これしきはまだ嘗めた程度。どんどん持ってきてもらってよいぞ。久々の酒は格別だ、ははは!」
傍らの従者は気が気ではない。ハツチはもとより眼前の男が酒乱とは知らぬから躊躇がない。先に倍する量の酒を注文してしまった。こうして次から次に飲み続けて一刻あまり、コヤンサンは首まで赤く染めて上機嫌。
「ハツチ殿、神都はさすがの都じゃのう! 貴公に遇わねばどうなっていたことやら!」
これには苦笑するほかない。なぜならこの話はすでに七度目、従者はおろおろして目でしきりに合図を送っている。ハツチも漸くこれはまずいと察して、席を立つこととした。
「おや、もう行くのか。まだ飲みはじめたばかりではないか、ははは」
「まあ、今日はこのくらいにしておこう」
「いや、まだ飲む! 胃袋が酒を欲して泣いているのだ。ははは」
辺りを憚らぬ大声に従者は首を竦め、ハツチは辟易する。恐る恐る従者が声をかけて、
「コヤンサン様、もうその辺で。これからサノウ様を訪ねるのに酒の匂いをさせていては失礼に当たりましょう」
それを聞いてぼんやりながら得心したのか、ふんふんとて席を立つ。ところがすでに足に来ていて、またよろよろと腰を下ろしてしまう。従者がまた遠慮がちに、
「肩をお貸しいたしましょうか」
「うるさい! お前ごとき小者に用はない。触るな、触るな!」
差し延べられた手を払い除けると、今度はしっかり立ち上がって出口に続く階段へと向かう。あわててそれを追う従者を見ながら、ハツチはやれやれと首を振る。
給仕を呼んで会計していると、突然銅鑼を一度に十も鳴らしたような轟音が響いた。
驚いて見遣れば、階段の下でコヤンサンがひっくり返っている。どうやら足を踏み外したらしい。
「おい、大事ないか?」
と、やにわに起き上がるや、転げ落ちた階段をはっしと睨みつけた。目が据わっている。
おもむろに拳を振り上げたかと思えば、次の瞬間、どおんという音とともに楼がぐらぐらと揺れた。コヤンサンが力いっぱい壁を殴ったのである。
「何をする。や、やめろ!」
叫ぶうちにもまた、どおん。楼上のハツチらは思わず欄干にしがみつく。何という剛力。
「こら、やめろ!」
そう叫ぶばかり、壁を撃たれるたびに肝を冷やす。あろうことか、壁はめりめりと音を立てて裂けはじめる。
この騒動に楼の前は、いつしか大勢の人だかり。楼の上には喚き叫ぶ人々、楼の下には壁を撃ち続ける男、こんな光景はいかに天下の神都とてそう見られるものではない。
そのとき、人混みを掻き分けて一人の男が現れた。ハツチはそれを見るなり安堵の表情を浮かべて、
「おお、ゴロ! そいつを止めてくれ!」
言われるまでもなく、というのも実はその酒楼はゴロのものだったから、おおいに怒って袖を捲り、コヤンサンに拏みかかる。
ゴロは商人であったが、幼少のころより鍛錬を積んでいたので容易にこれを引き倒すと、組み伏せて二、三発殴りつけた。
コヤンサンもいきなり殴った相手が先のゴロ・セチェンだと知って怒り心頭に発し、これを撥ね除けると怒号を挙げて襲いかかった。
二人の好漢の争いは、譬えれば蛇と鷹のごとく、撃っては受け、蹴っては躱し、組んでは払い、互いの奥義を尽くしていつ果てるともしれない。観衆も盛んに声を挙げて熱狂する有様。
楼上のハツチはここではっと我に返り、あわてて駆け降りると二人の間に割って入った。するとさすがは八尺の巨人、たちまち両雄を分けてしまった。
すかさず従者が飛び出して、コヤンサンを羽交い絞めにして押さえる。観衆を追い払うと、ハツチはゴロに詫びた。怒りは治まらず罵って言うには、
「何だ、こいつは! 先には渡し場で無礼をはらたいたかと思えば、今度は私の楼に来て大暴れ。いったい何の恨みがあるっていうんだ!」
ハツチが経緯を説いたが、ゴロはますます腹を立てる。
「サノウに会うだと? 寝言を言うな。だいたいそのフドウの族長とやらも、こんな男を選ぶとは間の抜けた奴だ。そんな阿呆のために、のこのこ街を出ていくお人好しがいてたまるか! さっさと帰れ、いつまでもうろうろしていると訴えて牢にぶち込むぞ!」
コヤンサンはその悪態を聞いてまた飛びかかろうとしたが、従者が必死で止めるのでそれもならず、ただわあわあと喚き散らす。
ハツチはとにかくこの場を離れるにしくはないとて従者と二人がかり、コヤンサンを両脇から抱え込んで、ひたすら謝りながらずるずると引き摺っていく。ゴロは最後に、
「あまり関わらんほうが身のためだぞ」
言い捨てて楼に上がっていった。
ハツチも内心もっともだと思ったが、元来ものごとを途中で放り出す性分ではなかったので、もうしばらく面倒を見ることにした。