表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草原演義  作者: 秋田大介
巻一
37/783

第一 〇回 ①

コヤンサン便(すなわ)ち泥酔して大いに神都を賑わし

ハツチ()た不運にして俄かに冤罪を受く

 さて、禁酒の戒めを巧みに言い逃れて、まんまと(ボロ・ダラスン)にありついたコヤンサン。三日と空けずに飲む彼にとって、この十日の禁酒はどんな罰より重かったので、乾杯の音頭をとるやたちまち飲み干す。


 あとは飲むわ飲むわ、瞬く間(トゥルバス)に運ばれてきた酒を空にしてしまった。ハツチは半ば呆れて、


「いやはや草原(ケエル)の民が酒豪とは聞いていたが、かくまでとは」


「これしきはまだ嘗めた程度。どんどん持ってきてもらってよいぞ。久々の酒は格別だ、ははは!」


 傍ら(デルゲ)従者(コトチン)は気が気ではない。ハツチはもとより眼前の男が酒乱とは知らぬから躊躇がない。先に倍する量の酒を注文してしまった。こうして次から次に飲み続けて一刻あまり、コヤンサンは首まで赤く染めて上機嫌。


「ハツチ殿、神都(カムトタオ)はさすがの(ゴト)じゃのう! 貴公に()わねばどうなっていたことやら!」


 これには苦笑するほかない。なぜならこの話はすでに七度目、従者はおろおろして(ニドゥ)でしきりに合図を送っている。ハツチも(ようや)くこれはまずいと察して、席を立つこととした。


「おや、もう行くのか。まだ飲みはじめたばかりではないか、ははは」


「まあ、今日はこのくらいにしておこう」


いや(ブルウ)、まだ飲む! 胃袋(ホドウド)が酒を欲して泣いているのだ。ははは」


 辺りを(はばか)らぬ大声に従者は首を(すく)め、ハツチは辟易(へきえき)する。恐る恐る従者が(ダウン)をかけて、


「コヤンサン様、もうその辺で。これからサノウ様を訪ねるのに酒の匂い(コンシュウ)をさせていては失礼(ヨスグイ)に当たりましょう」


 それを聞いてぼんやりながら得心したのか、ふんふんとて席を立つ。ところがすでに(フル)に来ていて、またよろよろと腰を下ろしてしまう。従者がまた遠慮がちに、


(ムル)をお貸しいたしましょうか」


「うるさい! お前ごとき小者(カラチュス)に用はない。触るな、触るな!」


 差し延べられた(ガル)を払い()けると、今度はしっかり立ち上がって出口に続く階段へと向かう。あわててそれを追う従者を見ながら、ハツチはやれやれと首を振る。


 給仕を呼んで会計していると、突然銅鑼を一度に(アルバン)も鳴らしたような轟音が響いた。


 驚いて見遣(みや)れば、階段の下でコヤンサンがひっくり返っている。どうやら足を踏み外したらしい。


「おい、大事ないか?」


 と、やにわに起き上がるや、転げ落ちた階段をはっしと睨みつけた。目が据わっている。


 おもむろに拳を振り上げたかと思えば、次の瞬間、どおんという音とともに楼がぐらぐらと揺れた。コヤンサンが力いっぱい(ハナ)を殴ったのである。


「何をする。や、やめろ!」


 叫ぶうちにもまた、どおん。楼上のハツチらは思わず欄干にしがみつく。何という剛力(クチュトゥ)


「こら、やめろ!」


 そう叫ぶばかり、壁を撃たれるたびに(エレグ)を冷やす。あろうことか、壁はめりめりと音を立てて裂けはじめる。


 この騒動に楼の前は、いつしか大勢の人だかり。楼の上には(わめ)き叫ぶ人々、楼の下には壁を撃ち続ける男、こんな光景はいかに天下の神都(カムトタオ)とてそう見られるものではない。


 そのとき、人混みを掻き分けて一人の男が現れた。ハツチはそれを見るなり安堵の表情を浮かべて、


「おお、ゴロ! そいつを止めてくれ!」


 言われるまでもなく、というのも実はその酒楼はゴロのものだったから、おおいに怒って(カンチュ)(まく)り、コヤンサンに(つか)みかかる。


 ゴロは商人(サルタクチン)であったが、幼少のころ(バガ・ナス)より鍛錬を積んでいたので容易(アマルハン)にこれを引き倒すと、組み伏せて二、三発殴りつけた。


 コヤンサンもいきなり殴った相手が先のゴロ・セチェンだと知って怒り(アウルラアス)心頭に発し、これを()()けると怒号を挙げて襲いかかった。


 二人の好漢(エレ)の争いは、(たと)えれば(マングス)(シバウン)のごとく、撃っては受け、蹴っては(かわ)し、組んでは払い、互いの奥義を尽くしていつ果てるともしれない。観衆も盛んに声を挙げて熱狂する有様。


 楼上のハツチはここではっと我に返り、あわてて駆け降りると二人の間に割って入った。するとさすがは八尺の巨人(アヴラガ)、たちまち両雄を分けてしまった。


 すかさず従者が飛び出して、コヤンサンを羽交(はが)い絞めにして押さえる。観衆を追い払うと、ハツチはゴロに詫びた。怒りは治まらず罵って言うには、


「何だ、こいつは! 先には渡し場(オングチャドゥ)無礼(ヨスグイ)をはらたいたかと思えば、今度は私の楼に来て大暴れ。いったい何の恨みがあるっていうんだ!」


 ハツチが経緯(ヨス)を説いたが、ゴロはますます腹を立てる。


「サノウに会うだと? 寝言を言うな。だいたいそのフドウの族長(ノヤン)とやらも、こんな男を選ぶとは間の抜けた奴だ。そんな阿呆(アルビン)のために、のこのこ(バリク)を出ていくお人好しがいてたまるか! さっさと帰れ、いつまでもうろうろしていると訴えて牢にぶち込むぞ!」


 コヤンサンはその悪態を聞いてまた飛びかかろうとしたが、従者が必死で止めるのでそれもならず、ただわあわあと(わめ)き散らす。


 ハツチはとにかくこの場を離れるにしくはないとて従者と二人がかり、コヤンサンを両脇から抱え込んで、ひたすら謝りながらずるずると引き摺っていく。ゴロは最後に、


「あまり関わらんほうが身のためだぞ」


 言い捨てて楼に上がっていった。


 ハツチも内心もっともだと思ったが、元来ものごとを途中で放り出す性分(チナル)ではなかったので、もうしばらく面倒を見ることにした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ