第九 三回 ①
ダマン姦通に罪を得て権勢を虚しくし
イハトゥ凶報に算を乱して甲馬を列ぬ
さて梁公主と四頭豹の手は、ついにダマン・マンチクの身にも及んだ。まずトオレベ・ウルチを閨房にて巧みに欺き、一旦オルドから遠ざけた。
その隙に公主はダマンを後宮に招き入れ、梁の内廷で習得した房中の秘技を駆使して、若き公子を過ちに導いたのである。
ダマンはかつて味わったことのない快楽にすっかり身を委ねて、公主の身体を貪った。あまりに夢中だったので、閨房の外に人の気配があることにまったく気づいていなかった。
一方、公主はもとより冷静、あらゆる狂態もみな演技であったから、すぐに気配を察した。突然大声で悲鳴を挙げて抗う様子を見せる。ダマンは愚かにも、公主があまりの快感に堪えがたくなったのだとておおいに喜ぶ。
するとさっと戸が開いて、一人の男が怒声とともに飛び込んできた。ダマンの首を驚くほどの強力でぐいと拏んで、力一杯に引き剝がす。
当然かっとして、闖入者を怒鳴りつけてやろうと振り向く。が、そのまま凍りついた。そしてやっとのことで言うには、
「なっ、父上!? こ、これは……」
その目の前には、怒りのあまり顔を紫色にして荒く息を吐いているトオレベ・ウルチ・ハーンが立っていた。唇はわなわなと震えて、すぐには言葉も出ない様子。漸く正気を復したダマンは、真っ青になってがくがくと震えだすと、
「……父上! いや、これは、違うんです! 私は……」
それを遮るように公主がわっと泣きだす。寝台を下りてハーンに駈け寄るなり、目に大粒の涙を浮かべて訴えるに、
「ダマン殿が不意に押し入って、嫌がる私を強引に……」
最後まで言うことはできず、へなへなと伏して泣き崩れる。
「こ、こ、この……」
トオレベ・ウルチは鬼のごとき形相で我が子を睨みつけると、あとは言葉にならず卒かにこれを殴りつけた。一発では収まらず二発、三発と殴り続ける。
閨房には鈍い音が響きわたり、ダマンの顔はみるみる腫れ上がる。鼻は曲がり、唇が切れてなおハーンはこれを恕さない。公主がその腰に縋って、
「おやめください! 死んでしまいます」
そして頭を抱えて、わっと叫ぶと、
「ああ、私は舌を噛んで死にます! このように穢れた身では、もうハーンにお仕えすることはできません!」
脱兎のごとく走り出ようとすれば、トオレベ・ウルチはあわてて抱き留めて、
「おお、お前は悪くない。わしはお前なしでは生きていけぬ。どうか早まったことはしないでおくれ」
すでにダマンは気を失って仆れている。トオレベ・ウルチは顔を歪めて、
「それにしても父の妻を襲うとは何という恥知らずだ。絶対に恕さぬ」
公主はうずくまって肩を震わせていた。これに声をかけて、
「恐ろしい思いをしたであろう。わしがもう少し早く戻っていれば……。さあ、嫌なことは忘れておしまい。お前は悪くないのだから」
それを聞いた公主は思わず声を立てて笑いそうになる。と、ばたばたと足音がして、息を切らしたチンラウトが駈け込んでくる。
「おお、ハーン。ダマン様は……」
仆れているのが目に入ったので、汗を拭いつつ弁明して、
「私は極力お止めしたのですが……」
「もうよい! この忌々しい奴を獄に繋いでおけ。明日、処断する」
恐縮の体で失神したダマンを抱き起こすと、あたふたと退く。そのときちらと公主と目配せを交わしたことには、ハーンは無論気づかない。
翌日、群臣の前に姿を現してみなを驚かせたハーンは、即座にダマン・マンチクの死刑を宣告した。群臣はさらに驚愕したが、質問すら許される気配がなかったので、やむなく口を噤んだ。
ダマンは釈明の機会すら与えられず、即日処刑された。この報はすぐに四方に伝えられた。これを聞いて驚かぬものはなかった。到底信じられずにオルドに家臣を派遣したものも大勢あった。
ダマン刑死を伝える使者が至る少し前、ジョナン氏のアイルにオンヌクドがあわてて帰還していた。ムジカにゴロ・セチェンの見解を伝えれば、
「なるほど、さすがは蓋天才。一理ある。よし、私が直に参ってダマン様にオルドを離れるようお勧めしてこよう」
傍らからタゴサが言った。
「離れるって、名分は考えているの?」
「道々考えるさ。ともかく早いほうが善かろう。奔雷矩、帰ったばかりですまないが一緒に来てくれ」
「無論です。さあ、準備をお急ぎください」
そうしてあわただしく旅装を整えているところに、件の使者が来たのである。