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草原演義  作者: 秋田大介
巻七
368/783

第九 二回 ④

超世傑妄動を戒めてオンヌクドを(つか)わし

梁公主閨房に(ささや)いてダマンを惑わす

 夕刻(ヂルダ)、ダマンは後宮へと(フル)を運んだ。すでにチンラウトが待っていたので、尋ねて言った。


「公主はどちらにいらっしゃる」


「これはこれは……。公主は(コイマル)でお待ちです」


「奥へはハーン以外入れぬはず。ここで待っているから、そうお伝え願いたい」


「そうおっしゃられるとは思っておりましたが、重要な話なので余人に聞かれることのなきよう、中へお通しせよとの仰せでございます」


 渋るダマンの(ノロウ)を押すようにして奥へ導き入れる。


 初めて踏み込む後宮に緊張しつつ進めば、辺りには香木を焚く香りに混じってどことなく(ブスクイ)の匂いが漂い、(オモリウド)が詰まりそうなほど。濃密な空気に眩暈(めまい)すら覚えそうになる。


「さあ、こちらでございます」


 ダマンは我に返ると、ぼんやりしていたのを悟られまいと咳払いしてあとに続く。戸張(エウデン)を幾つかくぐれば芳香はいよいよ強く、ともすれば(タルヒ)(もや)がかかりそうになる。


「むむ……」


 唸り声でやっと己の在ることを確かめる。それも次の瞬間には曖昧になり、どこか異界に向かっているかのような錯覚に(おちい)る。


 そして、最後にくぐった戸張の奥に天女のごとき梁公主の姿(カラア)があった。


「よくいらっしゃいました。公子殿」


「…………」


 思わず返辞も忘れて(ウマルタヂュ)、その妖艶な美貌(オンゲ)に見とれる。寝台(オル)に腰かけた公主は、面を白く装い、(オロウル)には紅を引き、身には薄衣を(まと)っている。(にわ)かに小鳥が(さえず)るように(ほが)らかに笑うと、


「何を(かしこ)まっておいでです。どうかおかけになって寛いでくださいな」


 やはり言葉(ウゲ)は出ず、操られるように腰を下ろす。いつの間にかチンラウトは退出している。


 しばらく公主は何も言わず、潤いを含んだ(ニドゥ)でじっと見つめる。ダマンは恥ずかしくなって、そっと視線を逸らす。何か言わねばと焦ったが、(アマン)の中は渇ききってしまっている。内心では思うに、


「話があると言ったのは公主ではないか。なぜ私が焦る必要がある」


 気づけば公主が立ち上がっている。はっと身を固くすれば、やはり嫣然と笑いながら、


「あら、そんなに緊張なさらないで。今、お飲みものを差し上げましょう」


 その(ダウン)もどこか遠く(ホル)から響いてくるよう。渡された杯をひと息に干せば、得も言われぬ甘美な味が広がる。しかし(ホオライ)の渇きは一向収まらず、かえって(ハツァル)が火照っていかんともしがたい。思わず呟いて、


「わ、私は……」


「何もおっしゃらないで。こうして貴殿に会うのを楽しみにしていたんですもの」


「えっ……?」


「今夜はハーンはお戻りになりませぬ。ときはたっぷりとあります」


 ダマンはますます混乱して、思考もひとつところに留まることを忘れてしまったかのよう。視界もぼやけはじめて、ただ公主の姿だけがくっきりと際立っている。


 公主は呆然としているダマンの(ガル)を取り、己の(サーハルト)(いざな)う。一瞬、躊躇しかけたが、どうしても(あらが)うことができず、導かれるままに寝台に座る。


 と、その途端により濃い女の香が(ハマル)を突いた。はっとしてこれを見れば、薄衣の下の豊かな姿形(ウヂェスグレン)が目に飛び込んできたので、あわてて視線を逸らす。


「あ、公主。何を」


 そのほっそりとした白い(ホロー)が、ダマンの袍衣(デール)の下をくぐっていた。驚いて見れば、公主はこれまで見せたことのない艶冶(えんや)な表情で、


「ふふふ、まことに草原(ケエル)丈夫(エレ)……。私の思っていたとおり……」


 ダマンはとうに一切の思考を失って、一寸たりとも動けずにいる。と、もう一方の手がダマンの手を取って、その熱き処(カラウン)へと(いざな)った。


 それは脂肉(オウクン)のごとく、湿原(ヌウ)のごとく、動か(ヌン)ざる(ヂ・)生鋼(シレムン)の心(・オロ)をも招き呼べる(ダルバアン・ウリャア)、一個の聖なる(ボグド・)関門(カアルガ)。ダマンは鳩尾(オレ)(みぞおち)の辺りを締めつけられるような、それでいて陶然たる心地。


「さあ、貴殿の望むままになさい。安らか(オルグ)に、沈み込まんまで(バクタ・アルダタラ)……」


 (ささや)くように言えば、ダマンの最後の理性も消し飛んだ。荒々しく薄衣を引き裂くなり、両の(ムル)(つか)んでこれを押し倒す。女は(アラアタヌイ)のごとき勢いに(あらが)うことなく、むしろ喜悦(ヂルガラン)さえ見せれば、若き丈夫は咆哮を(ほとばし)らせて衝動のままに挑みかかる。


 たちまちのうちに奔流(キヤト)のごとき快楽に(ビイ)を委ねると、まさしく「(えき)」に謂うところの「天地絪縕(いんうん)して万物化醇(かじゅん)す」といったところ。


 上になり下になり翻雲(ほんうん)覆雨(ふくう)柳腰(りゅうよう)脈々として春(こま)やかに、桜桃呀々(ああ)として気(あえ)ぐ。星眼朦朧、酥胸(そきょう)蕩漾(とうよう)、ときの経つのも忘れて幾度となく雲雨の情を相結ぶ。


 もとより梁公主は中華(キタド)の後宮にて房事を習練したる妖婦。その手練を駆使すれば、いかな大丈夫といえども抗することは至難の業。独りダマンを責めるのは酷というもの。果たしてダマン・マンチクはいかなる運命を辿るか。それは次回で。

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