第九 一回 ③
ヘカト東に奸人を瞞して離間を画し
ドルベン南に愚夫を唆して擾乱を誘う
これによってヒスワは勅使を派遣して、鎮氷河エバ・ハーンを黎王に封じることにした。その勅書は「上天眷命、大皇帝ヒスワより、臣エバに勅宣を賜う」より始まるもので、ヘカトがこれを起草した。また、
「かつてすべての人衆は、ジュレン皇帝の民でした。そこで叛乱を為している諸部族のハーンにも、爵位を授けて聖徳の大を悟らせ、入朝を促すべきです」
かくして大皇帝ヒスワの名で四方に勅使が飛んだ。ヘカトは内心大笑いしながら次々と勅書を作成したが、このとき爵位を得たのは次のとおりである。
東 原
ナルモント部 ヒィ・チノ 威 王
セペート部 エ バ 黎 王
ホイン・カリ ケルン 北 伯
ムルヤム氏 シノン 東 伯
ホアルン ヤマサン 光都侯
中 原
ヤクマン部 トオレベ・ウルチ 大 王
ジョルチ部 インジャ 斉 王
タロト部 マタージ 開 王
ダルシェ タルタル 西 伯
西 原
ウリャンハタ部 カントゥカ 秦 王
クル・ジョルチ部 ハヤスン 蒙 王
ヒスワの勅使に接したものは、わけがわからず怒るものもあれば、ただ呆れたものもあった。神箭将ヒィ・チノは、中でも大笑いした一人である。適当に勅使を追い払うと司命娘子ショルコウに向かって、
「鉄面牌め、大活躍だな。かの奸人も目が眩んだか。『大皇帝より臣ヒィ・チノに勅宣を賜う』と来たぞ。いつ俺が奴の家臣となったか、本人に確かめてみたいものだ」
「こんな書を四方に送るとは、怒りを通り越して呆れます。盟友たる鎮氷河辺りは怒り狂うでしょうけど」
「それはそうだ。これを契機に結束は弱まっていくだろう。鉄面牌はなかなかできる奴だ」
ナルモントにおいても計略の内実を知っているのは、ツジャンとショルコウぐらいであった。
中原のジョルチン・ハーン、すなわちインジャは、斉王に封ずるとの勅を受けて、わけがわからず対応に困った。一旦これを退けて諸将に諮ると、みな一様に首を傾げる。独り獬豸軍師サノウが言うには、
「僭帝ヒスワの妄想でしょう。念のため飛生鼠に事情を査べさせましょう」
「うむ。勅使とやらはどうすればよい」
「今はまだ神都とことを構える時期ではありません。適当に接待して追い返せばよろしいでしょう」
かくしてヒスワの勅使は、いたずらにみなを困惑させただけであった。
ただ独りを除いては、である。セペート部のエバ・ハーンはこれに接して誰よりも気分を害した。ズベダイに言うには、
「いったいヒスワはどういうつもりじゃ。わしは奴の臣になった覚えはないぞ!」
「神都で何があったか知る必要があります。この勅使派遣は尋常のことではありません。元来ヒスワは頭は切れますが狂気のものです」
「お前やケルン・カーンまで直臣扱い、この鎮氷河を侮るにもほどがある」
ドブン・ベクがおそるおそる口を開いて、
「もしかすると策謀かもしれません。ハーンを怒らせることで何かを成そうというのであれば、慎重に対処したほうがよろしいかと」
エバはますます怒気を漲らせて、
「わしは神都にとって欠くべからざる盟友ではないのか! それを謀ろうとは何ごとぞ。誰のおかげで今日があると思っているのだ。わしがなければ神都はすでにヒィ・チノのものになっていただろう」
「もとよりこちらから望んで盟を結んだために、考え違いをしているのでは……」
ズベダイが首を傾げれば、
「ふん、臣扱いされるくらいなら、そんな盟約破棄してくれるわ!」
ドブン・ベクがあわてて言った。
「それはなりません! 飛虎将ヒィと戦うには神都からの牽制が必要です。私が行って真意を探ってみましょう」
「よし、委せる。しかし覚えておけ。この鎮氷河は人に屈するものではない」
「承知」
ドブン・ベクは早速神都へ向かった。これは彼にとって不幸であったというほかない。当初、返礼の使者と思われて厚く歓待されたが、そうではないことが知れたために、一転して拘束されてしまったのである。
無論これもヘカトの示唆による。セペートには詰問の使者が送られた。エバはものも言えぬほどに激昂して、卒かに剣を抜き放つとこれを一刀の下に斬り捨てた。
「勅使を斬るとは何たる無礼、ドブンの首を飛ばして鎮氷河に届けよ」
ヒスワはすでに心の奥から大皇帝のつもりであった。ドブン・ベクは斬殺されて、その首級はエバのもとに送られた。ヒスワも愚かだが、エバも一時の激情に駆られて大計を失ったと言えよう。
憐れむべきはドブン・ベクである。自ら献策した神都との同盟によって、その命を縮めたのである。