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草原演義  作者: 秋田大介
巻一
36/783

第 九 回 ④ <ハツチ登場>

コヤンサン神都に往きて(しん)に二商と争い

ハツチ大道を巡りて楼に一将を(いざな)

 ところが、神都(カムトタオ)(フル)を踏み入れた途端、さっきまでの鬱屈した気分も吹っ飛んでしまった。噂に(たが)わぬ神都(カムトタオ)の盛況にまずは圧倒されたのである。


 このコヤンサン、勇んで(ガル)を挙げたはよいが、実は(バリク)というものを見たことがない。タムヤでも草原(ケエル)の民を驚かせるには十分だというのに、いきなり神都(カムトタオ)である。驚かぬはずがない。先にはコヤンサンの妄動を制した従者(コトチン)も、硬直して(ニドゥ)(みは)っている。


「な、何だここは……。今日は祭か?」


 コヤンサン主従、(エウデン)をくぐったはよいが、先より足が震えて一歩も進めないでいる。大路(テルゲウル)中央(オルゴル)で立ち尽くしているのだから、往来に(さわ)ってしかたがない。偶々(たまたま)巡回していた市の役人(ドゥシメット)が、それを見咎(みとが)めて大声で叫んだ。


「こら、そこの二人、さっさと行かぬか(ヤブ)!」


 主従は呆然としていて(チフ)に入らない。業を煮やした役人は歩み寄って言うには、


「何をしておる。大路の真ん中に立っていては通行の(さまた)げになろう」


 (ようや)く気づいて(うつ)ろな目で眺めやれば、侮りがたい異形の人物。


 身の丈は八尺に達し、(ムル)はゲルの屋根のごとく、四肢はゲルの(トゥルグ)のごとく、(フムスグ)(セウル)のごとく、眼は豺狼(チョエ・ブリ)のごとく、耳は扇を広げたがごとくして、(エリウン)には威風堂々たる長髯(オルトゥ・サハル)(なび)かせている。一見して並のものではない。


 今や主従の前に(ヘレム)のごとく佇立している。


「聞こえんのか。そこは通行に(さわ)るゆえ、退()くなりなんなりしてくれ」


 はっとして答えて言うには、


「申し訳ない。実は人を捜して来たのだが、草原の武辺ゆえ途方に暮れていたところ。貴殿はどういう方で?」


「わしか。わしはこの辺の市を統轄するもので、ハツチというものだ。誰を捜しているんだ、知っていれば案内できようぞ」


 コヤンサンは目を輝かせて、


「やや、これは天祐。ではお尋ねしよう。貴殿はイェリ・サノウなる方を存じているか」


 その名を聞いて、今度はハツチが驚いた。


「存じているも何も、サノウとは親しい(カラウン)間柄。ま、ここは先にも言ったように往来の妨げ、そこの楼に上がって話そうじゃないか」


 二人の好漢(エレ)と一人の従者は、連れ立って二層建ての酒楼に入る。コヤンサンはきょろきょろと辺りを見回して、


「ここは貴殿の家か? 豪壮な建物だが……」


いや(ブルウ)、ここは酒楼。お代を払って飲食をするところだ」


 もちろんコヤンサンにはさっぱり意味が判らない。ハツチは諦めて給仕を呼ぶと、料理を注文して、


「まあ、会計はわしがするから気にしなくてよい。そう言えばまだ名を聞いてなかった。素性の知れぬものをサノウに会わせるわけにはいかんからな」


「これは失礼。ジョルチ部ズラベレン氏の族長(ノヤン)でコヤンサンと申すもの。フドウ氏のインジャの意を受けてイェリ・サノウ殿に会いに参った次第。これはそれがしの従者にて」


 ハツチはズラベレンもフドウも知らなかったが、挨拶を返して、


「それは遠い(ホル)ところからわざわざ……。しかし会ってどうするか知らぬが、あまり多くを望まぬほうがよろしかろう」


「そりゃまたどうして?」


 太い眉を(しか)めつつ言うには、


「サノウという男、桁外(けたはず)れの人嫌いでな。会えるかどうかも判らん」


「それは困る。そこをハツチ殿に何とか……」


「わしが行っても会えぬことがある。偶々(たまたま)機嫌が良いのを祈るほかない」


 どうやら相当偏屈(コキル)な男らしい。コヤンサンは少々不安になってくる。


 と、その(ハマル)を得も言われぬ芳香がくすぐった。これこそ愛する(ボロ・ダラスン)の香り。顧みれば隣席の商人(サルタクチン)がちびりちびりとやっている。目の前でうまそうに飲んでいるのを見て、次第にたまらなく欲しくなってくる。


 ところが禁酒を言い渡されている手前、少しばかりうしろめたい。だが一度(セトゲル)に浮かんだ欲はなかなか(こら)えがたきもの。さて酒は飲みたい、されど禁酒を破ったとあらば信が立たない。どうしたものか……。


 俚諺にも「窮すれば通ず」と謂うとおり、進退窮まれば自ずと知恵も浮かぶというものである。コヤンサンもその例に漏れず、何ごとか思いついたらしい。はたと膝を打つと、


「ちっとばかり酒などいただいてもよろしゅうございますか」


 やけに丁寧に尋ねる。何も知らないハツチは大喜びで、


「おお、草原の民は酒豪が多いとか。早速注文しよう」


 従者があわてて、


「コヤンサン様、たしか禁酒の戒めもあったかと思いますが」


 そこで好漢、得意げに答えて言うには、


「ははは、あれは『()()』でのこと。今やこうして神都(カムトタオ)に着いたからにはもう『()()』ではない。飲もう、飲もう」


 従者は呆れてものも言えない。


 こうして卓上(シレエ)に酒杯が並ぶこととなった。運ばれてくる料理はどれも西域(ハラ・ガヂャル)風のものばかり、食器(ウンダン・イデエ)からして色鮮やかで美しく、来るもの来るものがいちいち珍しい。


 すっかり上機嫌になって先の不安はどこへやら、杯を挙げて自ら乾杯を唱え出す始末。飲む前からこの調子ではいったいどうなるか、セイネンの心配も首肯できるというもの。


 ひとつ明かせば、コヤンサンは人並外れた酒豪ではあるけれども、また人並外れた()()でもある。


 それを思えばこそ禁酒を命じたのであるが、希代の知恵者(セチェン)もつい「道中」という語を選んだばかりに口実を与えてしまったことになる。「智者も千慮に一失あり」とはまさにこのこと。


 さて、コヤンサンが酒飲みたさに小知恵をはたらかせたわけだが、このことがあとあとまで響いて大騒動を巻き起こすことになろうとは、もちろん知る(よし)もない。


 まさに小智は小欲を満たすも大事を失わせ、集まりかけた星々(オド)も一度は散ずといったところ。さてこのあとどうなるのか。それは次回で。

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