第九 〇回 ①
ヒスワ楚腰道を断ちて光都を囲み
ヒィ・チノ隻眼傑を得て南伯に任ず
光都の繁華を快く思わぬ神都の僭帝ヒスワは、その富を略取するべく周到に計画を運らせた。盛んに傭兵を雇い、小氏族からは軍馬などを脅し取って軍備を増強すると、セペート部の鎮氷河エバに密使を派遣した。
すなわちナルモント部の神箭将ヒィ・チノを牽制するためである。エバは快諾して、女婿である金杭星ケルン・カーンを渡河せしめることを約した。
首尾に満足したヒスワは、呼擾虎グルカシュを大将に任命した。またジャラート氏族長ダルチムカを召して副将とした。ダルチムカは「金毛狗」の異名を持ち、ヒスワが南進の勢を示すや真っ先に臣従してその尖兵となった侫者である。
加えて傭兵軍の首魁キュロイにも将軍の印綬を与えた。キュロイはもともと西域の侠客で、隊商の護衛を生業としていたが、登用されて募兵を担っていた。やはり渾名があって、すなわち「鼎目蛇」。
グルカシュは正規兵一万騎、傭兵三千騎を整えると、二人の将軍を伴ってヒスワに見えた。
「呼擾虎と金毛狗は昼夜兼行して光都を包囲せよ。鼎目蛇は傭兵どもを率いてイルシュ平原に赴き、そこにある駅を奪え。広く哨戒して光都の早馬を通すな」
「承知」
三将は命令を拝して退出すると、すぐに出立した。
鼎目蛇の傭兵軍は影のごとく密やかにイルシュ平原に達すると、易々と駅を制した。詰めていた駅站吏は一人とて逃れえず、急を告げるものはなくなった。
キュロイは満足すると駅に本営を置き、その兵の大半を哨戒に宛てた。以後、往来するものはことごとく殺害した。
呼擾虎と金毛狗も神都をあとにすると、疾風のごとく南下して、瞬く間に光都に偉容を現した。突如出現した大軍に光都側はおおいにあわてた。急いで城門が閉じられたが、その際に城外にいたものの多くが置き去りにされたほど。
あるものは舟で、あるものは馬で逃れようとしたが、呼擾虎はこれをことごとく捉えて斬殺し、城内から見えるように晒した。城楼からこれを望んだ楚腰公サルチンは、
「神都の兵か、酷いことをする!」
そう言って唇を噛んだ。その間にも大軍はひしひしと街を包囲する。
サルチンはヒィ・チノに急使を派遣した。万が一のことを考えて十数騎を幾度かに分けて送り出したが、彼は途中の駅が敵の手に落ちていることを知らない。急使はすべてイルシュ平原で命を落とした。キュロイの街道封鎖は完全であった。
光都はその傭兵はもちろん、人衆も手に手に得物を執って守備に就いた。しかし劣勢は覆しがたく、一丈姐カノンも女衆を率いて一隅を守る有様。
神都の兵はあわてることなく包囲を完成し、刀槍は林のごとく連なった。
「ヒィ・チノの援軍があるとして、どんなに急いでも半月はかかろう」
サルチンの言葉に応えてヘカトが言うには、
「ひと月は堪えねばなるまい。傭兵を常駐させておいてよかった」
「傭兵か……。まあな」
サルチンは曖昧に頷くと、一旦城楼より下りる。
それから三日間、なぜか攻撃は行われず、無言の圧迫が続いた。光都側は敵の意図が判らず、人衆の間には不安が広がりつつあった。サルチンは苛立って、
「さすがは唯一、城塞を有つ大族だ。心得ている」
ヘカトは頷いたものの、言うには、
「攻めてこないなら、それはそれで良いとも考えられる。ナルモントの援軍が間に合うかもしれぬ」
「ヒスワとて援軍を警戒しているはずだが、何か攻撃を急がなくともよい理由があるに違いない……」
そこへ降伏を促す使者が来たが、これは門前で追い返される。断乎として戦う姿勢を示したのは、不安に惑う人衆に心を決めさせるためである。
その後、徐々に攻撃が始まったが、どうやらまともに攻め落とすつもりはなく、多分に威圧が目的のようであった。しかし守るほうは必死である。敵軍が寄せるたびに雨のごとく矢を放ち、四方に気を配って息を抜く余裕もない。
十日が過ぎ、やがて半月が経った。相変わらず攻撃は緩慢だったが、人衆は不安と緊張で疲弊していた。
「おかしい」
憔悴の色を濃くしたサルチンの呟きにヘカトが応えて、
「何がおかしい。まもなくナルモントの援軍も到着する」
その顔をじっと覗いて、
「まことにそうか?」