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草原演義  作者: 秋田大介
巻六
356/785

第八 九回 ④

タムヤに三雄会盟して東西和合し

ホアルンに両賈(りょうこ)躍動して南北相通ず

 まずサルチンがヒィ・チノに進言して、


「ハーンの牧地(ヌントゥグ)は日に日に増え、まもなくホアルンに達せん勢い。そこで提案があるのだが、オルドとホアルンを駅站(ヂャム)で結びたい」


駅站(ヂャム)とは何だ?」


 サルチンが説いたのは、先述したジョルチ部のそれとほぼ同じ(アディル)もの。ヒィはおおいに喜んで、早速これを許可した。


 実はこれはタムヤ会盟に先立つこと一年以上前の話。カオロンの東岸にはすでに駅站(ヂャム)制の原形が存在したことになる。ただサルチンのそれは、駅馬吏(ウラアチン)の制を含まないものであった。


 だが、南北を結ぶ公道が確立していた意味は小さくない。のちにインジャの覇権が成ったときに、東原が速やかに西方と一体化できたのも、この「サルチンの道」のおかげである。


 また別の提案があってヘカトが言うには、


神都(カムトタオ)のヒスワが、カオロン沿いに勢力を伸ばしている。河西のヤクマン部もホアルンの富を狙っている気配。そこでハーンに我が(バリク)の保護を(たの)みたい。駅站(ヂャム)を敷くのは、連絡を容易(アマルハン)にするためでもある」


 建設以来、商人(サルタクチン)(バリク)として独立不羈(ふき)を誇っていたホアルンだが、ついに情勢はそれを許さなくなったのである。従来、中華(キタド)草原(ミノウル)を結ぶ商業都市ではあったが、規模は小さく人口も少なかった。


 ところがヒスワの独裁を嫌った多くの民が流入したせいで、(バリク)は俄かに拡大してしまった。隊商も不穏な神都(カムトタオ)を避けて集まるようになり、今や東原でもっとも繫栄する(バリク)となっていた。


 人は(ホイン)の「神都(カムトタオ)」に対して、ホアルンを「光都」と呼んだ。その名はもちろん拓末菲絲(たくばつ・ひし)の伝承(注1)に基づくものである。


 またその付近にはもともと大族はなかったが、近年ナルモント部とジュレン部(神都(カムトタオ))の南進によって小部族(ヤスタン)が統合されたために、それら強大な部族(ヤスタン)と境を接することになってしまった。そもそも彼らはヒスワを逃れてきたから、ヒィ・チノと結ぶのは当然のことである。


 ヒィ・チノは即答せずに諸将の意見を求めた。ツジャンなどは難色を示したが、そのとき末席から司命娘子ショルコウが立ち上がって言った。


「ハーンは北伐をお忘れか」


 ヒィはおおいに頷くと、すぐに了承(ヂェー)言質(げんち)を与えた。北伐云々とは、ヒスワに留守地(アウルグ)を襲われたときに、光都(ホアルン)が舟を送って(注2)ヒィ・チノを救ったことを指す。二人の商人は喜んで帰っていった。




 サルチンとヘカトは当初から光都(ホアルン)市政の中枢(ヂュルケン)にあった。なぜ神都(カムトタオ)出身の彼らがそうなったかと云えば、もちろん卓越した才能(アルガ)と莫大な財力が評価されたからでもあるが、決してそれだけで認められたわけではない。


 そもそも彼らはもっとも早い時期に神都(カムトタオ)を去ったうちの一人であった。殊にサルチンは、ヒスワがミクケルと結んで出征した直後、すなわちヒスワが旭日の勢にあるときに出奔している。


 彼は光都(ホアルン)に逃れると、まず在郷の有力者(バヤン)たちに贈物(サウクワ)を送って、商売を始める許可を得た。周囲は名高い神都(カムトタオ)のサルチンが何を始めるか興味津々で見守っていたが、彼が始めたのは食糧(イヂェ)の輸入であった。


 それも従来にはありえない莫大な規模だったので、期待していたものは失望して「あの小僧(ニルカ)阿呆(アルビン)か」と(あざけ)った。なぜならすでに必要(ヘレグテイ)な食糧は十分に確保されており、今さら手を広げる余地はないと思われたのである。


 やがてヘカトが逃れてくるとこれも誘って、さらに規模を拡大した。無論当初は利益の出るわけもなく、食糧庫(サン)には余剰の品が溢れた。周囲はそれ見たことかと侮蔑を浴びせたが、まもなく状況は一変する。


 神都(カムトタオ)から続々と民衆(ウルス)が流れてきたのである。光都(ホアルン)を治めるものたちはおおいに当惑した。急激な人口増加でたちまち食糧不足に(おちい)ったのである。


 そこで初めてサルチンは食糧庫を開いた。それまでの損を取り返して余りある利を得た上に、人衆からはおおいに感謝された。ほかの商人もあわてて食料を手に入れようと試みたが、すでにサルチンによる輸入路が確立していて割り込む余地もなかった。


 これによって誰もが彼の先見の明(デロア・オルトゥ)と果断に心服して、ヘカトとともに市政の中枢に迎えたのである。ヒィ・チノのために大量の舟を調達できたのもそのためである。サルチンは称賛を浴びるたびに(うそぶ)いて言うには、


「足りないものを売れば利が出るに決まっている。私はただ、今ではなく将来足りなくなるものを用立てただけだ。商道の基本に過ぎぬ」


 人衆は感心して彼に渾名(あだな)を奉った。華奢で挙措が婦人のようにたおやかであることから、すなわち「楚腰公」。よって彼の考案した駅站(ヂャム)も「楚腰道」と呼ばれることになる。


 ヘカトは、ものに動じない性格(チナル)である上に、中華(キタド)から伝わった牌戯(フズル)に巧みだったから「鉄面牌(テムル・フズル)」と称された。彼は一画に劇場や酒楼、遊楼などを集めて、中央(オルゴル)の牌戯場でこれを統括した。それはさながら神都(カムトタオ)の歓楽街がそのまま移転したかのようであった。


 もう一人、神都(カムトタオ)から逃れたもので忘れてはならないものがある。


 すなわち女丈夫カノンである。彼女は不義不正で困った人があると飛んでいって助けたので、次第に一目置かれるようになった。持ち前の威勢のよい気性は、(バリク)(オキン)たちの憧憬の的で、やがて「一丈姐(オルトゥ・オキン)」の渾名で親しまれることとなった。


 こうして光都(ホアルン)は空前の活況を呈した。当然、これを快く思わないものがいた。神都(カムトタオ)の僭帝ヒスワである。神都(カムトタオ)昔日(エルテ・ウドゥル)の繁栄が嘘のように人口は減り、残った民も物資の不足に(あえ)いでいた。


 ヒスワは人衆の辛苦(ガスラン)を顧みることなく、傭兵(ヂュイン)を雇って盛んに南方へ進出した。(クチ)のない小氏族(オノル)はやむをえず臣従したが、ヒスワはこれを搾取するばかりであった。反抗すれば容赦なく殲滅(ムクリ・ムスクリ)し、家畜(アドオスン)や婦女を奪った。


 このころの神都(カムトタオ)は、実はこうした略奪の上に成立していたと言ってもよい。怨嗟の(ダウン)は内外に満ちたが、さらに後宮を拡張して奢侈を極める有様。


 ヒスワは、光都(ホアルン)がヒィ・チノと結んだことを知って激怒(デクデグセン)した。そして光都(ホアルン)を攻略するべく奸智を(めぐ)らせた。暴戻の(エルキム)とはいえ、セチェン(知恵者)と称される男である。慎重に策を練り、周到な準備が行われた。


 すべての計略が成ったので北原のエバ・ハーンに密使を(つか)わした。()しくもタムヤで三部族(ゴルバン・ヤスタン)会盟が行われたのとほぼ同じころである。まさしく西(バラウン)に安寧を喜べば、(ヂェウン)に騒擾を憂うるといったところ。


 そもそも奸人と英傑(クルゥド)が隣り合えば和合(エイエ)の道はなく、盗人(クラガイ)財宝(エド)が近く接すれば乱れない理はない。常に草原(ミノウル)を混乱に(おとしい)れてきたヒスワの次の一手はいかなるものか。また光都(ホアルン)好漢(エレ)神箭将(メルゲン)ヒィがこれにどう対するか。それは次回で。

(注1)【拓末菲絲(たくばつ・ひし)の伝承】約百年前に、拓末菲絲が夢の中に現れた神人のお告げに従ってホアルンを建設した故事。第三 三回③および第三 三回④参照。


(注2)【光都(ホアルン)が舟を送って】第四 六回③および第四 六回④参照。

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