第八 九回 ④
タムヤに三雄会盟して東西和合し
ホアルンに両賈躍動して南北相通ず
まずサルチンがヒィ・チノに進言して、
「ハーンの牧地は日に日に増え、まもなくホアルンに達せん勢い。そこで提案があるのだが、オルドとホアルンを駅站で結びたい」
「駅站とは何だ?」
サルチンが説いたのは、先述したジョルチ部のそれとほぼ同じもの。ヒィはおおいに喜んで、早速これを許可した。
実はこれはタムヤ会盟に先立つこと一年以上前の話。カオロンの東岸にはすでに駅站制の原形が存在したことになる。ただサルチンのそれは、駅馬吏の制を含まないものであった。
だが、南北を結ぶ公道が確立していた意味は小さくない。のちにインジャの覇権が成ったときに、東原が速やかに西方と一体化できたのも、この「サルチンの道」のおかげである。
また別の提案があってヘカトが言うには、
「神都のヒスワが、カオロン沿いに勢力を伸ばしている。河西のヤクマン部もホアルンの富を狙っている気配。そこでハーンに我が街の保護を嘱みたい。駅站を敷くのは、連絡を容易にするためでもある」
建設以来、商人の街として独立不羈を誇っていたホアルンだが、ついに情勢はそれを許さなくなったのである。従来、中華と草原を結ぶ商業都市ではあったが、規模は小さく人口も少なかった。
ところがヒスワの独裁を嫌った多くの民が流入したせいで、街は俄かに拡大してしまった。隊商も不穏な神都を避けて集まるようになり、今や東原でもっとも繫栄する街となっていた。
人は北の「神都」に対して、ホアルンを「光都」と呼んだ。その名はもちろん拓末菲絲の伝承(注1)に基づくものである。
またその付近にはもともと大族はなかったが、近年ナルモント部とジュレン部(神都)の南進によって小部族が統合されたために、それら強大な部族と境を接することになってしまった。そもそも彼らはヒスワを逃れてきたから、ヒィ・チノと結ぶのは当然のことである。
ヒィ・チノは即答せずに諸将の意見を求めた。ツジャンなどは難色を示したが、そのとき末席から司命娘子ショルコウが立ち上がって言った。
「ハーンは北伐をお忘れか」
ヒィはおおいに頷くと、すぐに了承の言質を与えた。北伐云々とは、ヒスワに留守地を襲われたときに、光都が舟を送って(注2)ヒィ・チノを救ったことを指す。二人の商人は喜んで帰っていった。
サルチンとヘカトは当初から光都市政の中枢にあった。なぜ神都出身の彼らがそうなったかと云えば、もちろん卓越した才能と莫大な財力が評価されたからでもあるが、決してそれだけで認められたわけではない。
そもそも彼らはもっとも早い時期に神都を去ったうちの一人であった。殊にサルチンは、ヒスワがミクケルと結んで出征した直後、すなわちヒスワが旭日の勢にあるときに出奔している。
彼は光都に逃れると、まず在郷の有力者たちに贈物を送って、商売を始める許可を得た。周囲は名高い神都のサルチンが何を始めるか興味津々で見守っていたが、彼が始めたのは食糧の輸入であった。
それも従来にはありえない莫大な規模だったので、期待していたものは失望して「あの小僧は阿呆か」と嘲った。なぜならすでに必要な食糧は十分に確保されており、今さら手を広げる余地はないと思われたのである。
やがてヘカトが逃れてくるとこれも誘って、さらに規模を拡大した。無論当初は利益の出るわけもなく、食糧庫には余剰の品が溢れた。周囲はそれ見たことかと侮蔑を浴びせたが、まもなく状況は一変する。
神都から続々と民衆が流れてきたのである。光都を治めるものたちはおおいに当惑した。急激な人口増加でたちまち食糧不足に陥ったのである。
そこで初めてサルチンは食糧庫を開いた。それまでの損を取り返して余りある利を得た上に、人衆からはおおいに感謝された。ほかの商人もあわてて食料を手に入れようと試みたが、すでにサルチンによる輸入路が確立していて割り込む余地もなかった。
これによって誰もが彼の先見の明と果断に心服して、ヘカトとともに市政の中枢に迎えたのである。ヒィ・チノのために大量の舟を調達できたのもそのためである。サルチンは称賛を浴びるたびに嘯いて言うには、
「足りないものを売れば利が出るに決まっている。私はただ、今ではなく将来足りなくなるものを用立てただけだ。商道の基本に過ぎぬ」
人衆は感心して彼に渾名を奉った。華奢で挙措が婦人のようにたおやかであることから、すなわち「楚腰公」。よって彼の考案した駅站も「楚腰道」と呼ばれることになる。
ヘカトは、ものに動じない性格である上に、中華から伝わった牌戯に巧みだったから「鉄面牌」と称された。彼は一画に劇場や酒楼、遊楼などを集めて、中央の牌戯場でこれを統括した。それはさながら神都の歓楽街がそのまま移転したかのようであった。
もう一人、神都から逃れたもので忘れてはならないものがある。
すなわち女丈夫カノンである。彼女は不義不正で困った人があると飛んでいって助けたので、次第に一目置かれるようになった。持ち前の威勢のよい気性は、街の娘たちの憧憬の的で、やがて「一丈姐」の渾名で親しまれることとなった。
こうして光都は空前の活況を呈した。当然、これを快く思わないものがいた。神都の僭帝ヒスワである。神都は昔日の繁栄が嘘のように人口は減り、残った民も物資の不足に喘いでいた。
ヒスワは人衆の辛苦を顧みることなく、傭兵を雇って盛んに南方へ進出した。力のない小氏族はやむをえず臣従したが、ヒスワはこれを搾取するばかりであった。反抗すれば容赦なく殲滅し、家畜や婦女を奪った。
このころの神都は、実はこうした略奪の上に成立していたと言ってもよい。怨嗟の声は内外に満ちたが、さらに後宮を拡張して奢侈を極める有様。
ヒスワは、光都がヒィ・チノと結んだことを知って激怒した。そして光都を攻略するべく奸智を運らせた。暴戻の主とはいえ、セチェン(知恵者)と称される男である。慎重に策を練り、周到な準備が行われた。
すべての計略が成ったので北原のエバ・ハーンに密使を遣わした。奇しくもタムヤで三部族会盟が行われたのとほぼ同じころである。まさしく西に安寧を喜べば、東に騒擾を憂うるといったところ。
そもそも奸人と英傑が隣り合えば和合の道はなく、盗人と財宝が近く接すれば乱れない理はない。常に草原を混乱に陥れてきたヒスワの次の一手はいかなるものか。また光都の好漢と神箭将ヒィがこれにどう対するか。それは次回で。
(注1)【拓末菲絲の伝承】約百年前に、拓末菲絲が夢の中に現れた神人のお告げに従ってホアルンを建設した故事。第三 三回③および第三 三回④参照。
(注2)【光都が舟を送って】第四 六回③および第四 六回④参照。




