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草原演義  作者: 秋田大介
巻六
355/783

第八 九回 ③

タムヤに三雄会盟して東西和合し

ホアルンに両賈(りょうこ)躍動して南北相通ず

 おもしろくないのはクル・ジョルチ部である。今までミクケルの暴政を避けて迂回していた隊商が、ことごとく(ウリダ)を通るようになったのである。徴収していた通行税は激減した。


 しかしこれは当然というもの。衛天王エルケトゥ・カンは通行税など取らなかったし、何よりその版図(ネウリド)のほうが治安において勝っていたのである。すべてはクニメイの計画どおりであった。


 そこでクル・ジョルチ部の上卿会議は、ウリャンハタ領内の通商阻害に乗りだした。数百騎単位の小勢を繰り出して、隊商を略奪させたのである。


 牙狼将軍(チノス・シドゥ)カムカから報を受けたカントゥカは激昂(デクデグセン)して、急火箭ヨツチに助力(トゥサ)を命じた。また麒麟児シンに大権を与えて駐屯させ、これに備えた。シンは勇躍(ブレドゥ)して(ホイン)へ赴き、カムカに呼応して積極的に兵を動かした。


 その勢いに当たるべからず、クル・ジョルチ軍は各処で敗走(オロア)した。上卿たちはあわてふためいて和議を申し出た。商人(サルタクチン)は快哉を叫んで、ウリャンハタを称賛した。上卿会議は切歯扼腕して新たな計策を講じなければならなかった。




 さて、ジョルチ部は兵乱とは無縁かと思われたが、一度だけ大きな事件があった。東南の辺境で牧して(アドゥウラヂュ)いたイタノウ氏のアイルを、何ものかが旋風(サルヒ)のごとく席巻したのである。


 インジャは、よもや神都(カムトタオ)のジュレン部の仕業かと怪しんで、セイネンを派遣して(しら)べさせた。すると驚いたことに、イタノウのアイルを襲ったのは放浪部族ダルシェであった。


 その名を聞いて戦慄せぬものはなかった。中原北半では久しく(チフ)にしていなかった名である。西南彼方に逼塞しているという噂まであった。それが版図を(かす)めたのである。インジャはサノウと(はか)って、辺境の兵の配置を見直した。


 手配がことごとくすむと、ふと十年近く前の初陣(注1)に思いを馳せた。インジャの名を草原(ミノウル)中に知らしめた一戦である。


「あのとき出合った巨躯の将は何という名であっただろう」


 ナオルに尋ねてもすっかり忘れて(ウマルタヂュ)いた。やむなく独りでずっと考えていたが、やがてはっと思い出す。


「そうだ、ハレルヤだ。彼もイタノウ略奪に加わっていただろうか」


 憎むべき敵将であったがなぜか無性に懐かしく思われたので、インジャはイタノウの民を召して尋ねた。


「ダルシェの軍中に身の丈一丈はあろうかという将軍がいなかったか」


 男はハーン直々に(ダウン)をかけられて恐懼していたが、やがて答えて、


「……いました! 敵の大将です。陣頭に立って攻めてきました」


「その将軍の名は聞いたか」


 また少し考えると、


「たしか盤天竜ハレルヤとか云ったと思います」


 インジャは満足すると、男に褒賞を与えて帰らせた。


「大将にまでなっていたか。盤天竜とはまた恐ろしい渾名(あだな)が付いたものだ」


 独り呟いておおいに感心したが、この話はここまでにする。




 さて、ジョルチ部を騒がせたダルシェは、そのあと馬首を転じて西方へ走った。彼らが目指したのは、ヤクマン部の西半に牧するトオレベ・ウルチの次子、オルカク・ウルチのアイルである。


 これはもちろん先に冬営(オブルヂャー)を襲われた報復である。()()は突如現れて、たちまちアイルを蹂躙した。そしてオルカクの首級を易々と上げてしまった。


 家畜(アドオスン)などを奪って風のごとく去り、急報に接して駆けつけた紅火将軍(アル・ガルチュ)キレカは為すところなく引き返さざるをえなかった。


 自ら報告のためオルドを訪れたキレカは、ハーンの怒り(アウルラアス)をまともに浴びた。散々罵られた末にあわや処刑されかねなかったが、これは傍にいた末子ダマン・マンチクの諫止で何とか(まぬが)れた。


 しかしやはり梁公主の進言によって、ダルシェ追討を命じられてしまった。もとよりダルシェはどこに在るか判らないので、その所在を探るために多くの斥候(カラウルスン)を放たねばならない。兵も軍装を解くことができず、人衆(ウルス)の負担は甚大であった。


 もっとも困ったのが糧食(イヂェ)の確保である。これは超世傑ムジカに請願して快諾されたが、これを知った神風将軍(クルドゥン・アヤ)アステルノは、憤怒も(あらわ)に言った。


「ダルシェ追討とは赫彗星のときと同じ(アディル)ではないか! あの奸婦め、次は紅火将を(おとしい)れるつもりか」


 そう言いつつ軍馬(アクタ)の提供を申し出る。キレカは彼ら盟友(アンダ)の助力を得て、努めてダルシェを追ったが、当然のごとく徒労の連続であった。


 好漢(エレ)たちは互いに連絡を取りながらオルドの動きを注視したが、キレカについては害する気がないのか、時機(チャク)を窺っているのか、一向に謀略の臭気(コンシュウ)は感じられなかった。みなこれを測りかねて首を捻ったが、この話もここまでにする。




 ここで目を東原に転じなければならない。河西がジョルチの統一や、ウリャンハタの革命で揺れ動いていたころ、カオロン(ムレン)の東岸は一見平穏(オルグ)であった。大きな(ソオル)もなく、諸部族(ヤスタン)は民力の増大に専念していた。


 ナルモント部の神箭将(メルゲン)ヒィ・チノ・ハーンは、北伐の失敗以来、ときにセペート部と小競り合いを演じることはあったが、竜が淵に潜むがごとく兵を留めていた。ヒィは内政にも卓抜した才幹(アルガ)を発揮して、着実に牧地(ヌントゥグ)を広げた。


 (ホイン)西(バラウン)に軍勢を配して大敵に備えさせ、東南方の小部族(ヤスタン)については調略をもって次々と傘下に収めていった。神箭将の名はあまねく轟いていたから、みな誘えば喜んで馳せ参じた。


 ヒィ・チノの非凡は、これら小部族(ヤスタン)について、旧来のごとく緩やかに支配することで満足することなく、積極的に組織化して完全(ブドゥン)にナルモントの体制に組み込んだことである。


 このためナルモント部の版図は南方に大きく広がった。そのヒィのオルドを、ホアルンのサルチンとヘカトが長躯訪れた。

(注1)【初陣】ジェチェンに命じられてカマヌウトを征伐した帰途に、ダルシェと遭遇してこれを退けたこと。第 四 回④参照。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 難しい漢字によみがなをふってくださってありがとうございます。 [気になる点] 日本語以外のよみがなは何語ですか? [一言] ほんとうに長編ですね。 いつ終わるんですか?早く次の作品読みたい…
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