第八 八回 ④
花貌豹ナユテを援けて宴筵に大喝し
赤心王タムヤに入りて城塞を検分す
何と花貌豹サチが、すっくと立ち上がって座を睥睨していたのである。傍らのナユテも意表を衝かれて、開いた口が塞がらない。サチはゆっくりと瞋恚(注1)を込めて一同を睨み回すと、
「黙って聞いていれば好きなことを言いおって。男と女が互いに好いて契りを結んだのだ。余人にとやかく言われる道理はない」
それだけ言い放つと、愕然としている諸将はもはや眼中になく、インジャに非礼を詫びて着席する。
しばらくは誰も言うべき言葉も知らなかったが、やがて高らかな笑い声が響きわたる。それはほかならぬ赤心王インジャのもの。言うには、
「ずっとみなの議論を聞いていたが、花貌豹の発言がもっとも正しい。まったく見事だ。さすがはウリャンハタの大将、さすがは神道子が選んだ妻だ」
そしてまたからからと笑う。と、次第にそれが伝染して、いつしか満座は笑いに包まれる。サチ自身は顔を真っ赤にして、ひたすら杯を干している。インジャは、サノウに向かって言った。
「軍師はずっと黙っていたが、何か意見があるか」
するとこれ以上ない顰め面で言うには、
「神道子は君恩を知らぬものであり、まったく恕せませぬ。中原に留め置く必要はありません。よく肥えた羊と駿馬でも与えて、西原に放逐するべきでしょう」
ナユテははっと顔を上げる。その目に映ったチルゲイが、にやりと笑って大きく頷く。やっとナユテの頬も緩む。インジャも我が意を得たりとばかりに喜んで、
「聞いてのとおりだ。神道子、今後は大カンに仕えてメンドゥの架橋となれ。私は軍師の進言に順って、二歳羊百頭と駿馬五十頭を贈って祝いの品としよう」
「ハーンの聖恩、生涯忘れませぬ」
ナユテはそう言って平伏した。インジャはまたサチに言葉を賜って、
「我が僚友を一喝にて退けた気概、まことに敬服に価する。今後も神道子を佐けて、善き伴侶となるように」
サチもまた平伏して、
「非礼を責められぬどころか、親しくお言葉を賜り、身の置きどころもない心地です。重ねて非礼をお詫びいたします」
顔を上げさせると、改めて二人のために乾杯を唱えた。居並ぶ好漢たちは花貌豹を称えて、心から祝福した。
こうして神道子にまつわる一連の騒動は幕を閉じ、いよいよ春の会盟を待つばかりとなった。もとよりヤクマン部との対立に備えての会盟ではあったが、まだ諸将の間には平和な空気が漂っていたのである。
チルゲイ、クメンの二人は再会を約して西帰し、ナユテ夫妻は会盟の日まで中原に滞在することにしたが、この話はここまで。
さてタムヤのマタージから、ついに渡し場が竣工したとの報が届いた。それを受けてナユテが吉日を占い、会盟の日が定められた。すでにタムヤに赴く諸将は準備を了えており、予定に順って出立した。
すなわち義君ジョルチン・ハーン、鉄鞭アネク・ハトン、胆斗公ナオル、獬豸軍師サノウ、百策花セイネン、癲叫子ドクト、雷霆子オノチ、飛生鼠ジュゾウ、呑天虎コヤンサン、豬児吏トシロル、霖霪駿驥イエテン、石沐猴ナハンコルジ、金写駱カナッサ、旱乾蜥蜴タアバ、長旛竿タンヤン、往不帰シャジの総じて十六人。
率いる兵は約一万騎である。神道子ナユテ、花貌豹サチ、雪花姫カコ、急火箭ヨツチの四人も同行する。
一方西原からは、衛天王エルケトゥ・カン、聖医アサン、潤治卿ヒラト、奇人チルゲイ、紅大郎クニメイ、麒麟児シン、一角虎スク、知世郎タクカ、矮狻猊タケチャク、蒼鷹娘ササカ、笑破鼓クメンの十一人が約八千騎とともにタムヤへ向かった。
そのタムヤで待つのは、通天君王マタージ・ハーン、美髯公ハツチ、左王ゴルタおよびミヤーン、イェスゲイの五人。
東西併せて三十数名の英傑が一堂に会することになる。余の諸将はそれぞれ留守陣の防衛を命じられる。
インジャは城外に夜営を築くと、ズラベレン三将を残して入城した。ハツチがこれを出迎えて、早速完成したばかりの西門へ案内する。その偉容を見て、一同は等しく嘆声を挙げる。
城壁は拡張されて河岸に接しており、中央に巨大な水門がある。手前には広大な池が横たわり、多くの舟が繋留されている。そこへ至る道も整備されて幅も広がった。市場も近くへ移されており、まさに面目を一新している。
「お気に召しましたか」
振り向けばミヤーンが拱手して立っている。口々に讃えれば、得々とした様子で言うには、
「対岸も河底を浚って、大船の往来に備えております。新たに建造した舟は大小併せて百艘。現在二百人の子弟が、操船造船の技を学んでおります」
またも一同はおおいに感心する。ミヤーンは続けて、
「しかし工事を監督したイェスゲイによれば、まだ真の完成は見ていないとのことです」
「それはどういうことかな」
ナオルが尋ねれば、答えて言った。
「彼の計画は、水路を城塞の周囲に環らせることによって防備を堅くするというものでした」
そのあまりの壮大さに諸将は声も出ない。彼らはおよそ城塞自体に馴染みがなかったので、いったいそれがどういうものになるのか想像できなかったのである。
「その計画はおそらく次の冬までにイシで実現すると思います。まったくイェスゲイの発想は我らの知力の及ばぬところです」
一行はひとしきり感心したあと、内城に入ってマタージの歓待を受けた。明日にもウリャンハタの諸将が入城するとのことであった。
いよいよメンドゥの両岸に割拠する二大族が、宿星の運り合わせによって親しく会盟することになる。
譬えて云えば大鵬の両翼の相揃うがごとく、上下の唱声の相和するがごとく、いずれが欠けても大志を陳べることはできない。果たしてジョルチン・ハーンとエルケトゥ・カンの会盟はいかなる顛末を辿るか。それは次回で。
(注1)【瞋恚】怒り。