第八 八回 ③
花貌豹ナユテを援けて宴筵に大喝し
赤心王タムヤに入りて城塞を検分す
インジャは幾度も頷きながら言った。
「なるほど。その娘とともに帰ってくるわけにはいかないのか」
ナオルは首を振って、
「そうもいかないのです。実はその娘というのがウリャンハタ部では高名な女将軍で、今や軍を統べる大将の位にあるのです」
インジャはおおいに驚き、かつ感心すると、
「我がハトンのごとき女性だな」
そう言って呵々大笑する。続けて言うには、
「これはチルゲイらが画策して神道子を奪ったわけではないのだろう。ナユテが選んだ娘が、偶々そういう娘だったのだな」
「はぁ、まあ……」
座はさらに盛り上がっており、インジャらはしばらく無言でそれを見守る。すると傍らのアネクがおおいに怒って、その袖をぐいと引くと、
「ハーンはどうなの!? 神道子を許すの? 許さないの? はっきりして!」
顧みてナオルに言うには、
「ついに私にも火の粉が飛んできたぞ」
「火の粉とはどういうこと!?」
笑って謝ると、つと立ち上がった。途端に喧騒が静まっていく。それを見て両手を広げて言うには、
「さまざまに意見はあろうが、まずは神道子の帰還を待とう。奇人殿の言うとおり、我々にとっても吉報かもしれぬ。一時の感情で、本来祝うべき慶事をとやかく言うものではない」
それで両派矛を収めて、元の宴に戻った。クメンは感心して、
「おやおや、この騒ぎを容易く収めてしまった」
カコが言った。
「中原の好漢たちは、ジョルチン・ハーンを慕うことテンゲリに仕えるがごとくです。多くの氏族がひとつにまとまっているのも、その人徳の賜物です」
まさに草原において、ジョルチ部ほど多彩な人衆を抱えた部族はない。本来の六氏族のほかに、数多の小氏族が加わっており、さらに大勢の街の民もともに草原で起居している。
誰もが独りジョルチン・ハーンに惹かれて集っているのだから、何とも奇特なことではある。
さて、ナユテとサチが到着したのは、それから五日後のことである。早速オルドに伺候してインジャに謁見する。初めて花貌豹サチを見たインジャは、その尋常ならざる人となりにおおいに感心して言った。
「聞けば神道子の夫人は、ウリャンハタの大将軍とのことだが」
答えて言うには、
「お恥ずかしいことですが、分に合わぬ待遇を受けております」
その声には張りがあり、一向に臆する様子もない。ますます気に入って、
「神道子、君は佳き人を得たな」
「ハーンに伺いも立てずに申し訳ありません。万死に価する罪を犯し、弁明のしようもございません」
インジャは莞爾と笑うと、すぐには何も言わない。とりあえず使いを遣って諸将を召集する。報を受けてすぐに駆けつけないものはなかった。到着した順に夫妻に挨拶する。
サチは一人一人に丁重に返礼する。挙措は堂々としていささかも狼狽えることなく、弁舌は爽やかで僅かの逡巡もなかった。諸将は少なからず感嘆する。
すでに夫人がウリャンハタの革命で活躍した大将であることは伝わっていたから、みななるほどと得心したのである。
最後にサノウとチルゲイが踵を接して現れた。ナユテは思わず面を伏せたが、サノウは何も言わずに目礼しただけで座る。チルゲイは何やら笑いを堪えきれぬ様子で軽く礼をすると、与えられた席に着く。酒食が並べられて乾杯が唱えられた。
インジャはサノウに視線を遣ったが何も言わない。チルゲイはというと、ナユテにそっと囁いて、
「さあ、神道子。好漢諸将にご報告と行こうぜ」
応じて立ち上がったので、みなこれを注視する。ひとつ咳払いすると、
「みなさん、私は西原で一人の娘を妻といたしました。ここにあるサチです」
サチは無言で頭を下げる。
「事後の報告となってしまいましたが、願わくばこれを容認していただきたいと思います」
真っ先に立ったのは百策花セイネン。言うには、
「君は義兄の命を拝して公務に携わっていたはずだ。先方の子女を娶るとは何を考えているのだ。聞けばウリャンハタの柱石たる大将だとか。つまり君は義兄を捨てて西原の民となるわけだ。そんな大事を独断で行うとは軽率ではないのか」
これを契機にまた賛否両論が群がり起こる。ナユテはそれを制して、
「セイネンの言うとおりで、弁明はできません。公務は公務として怠りなく務めたつもりですが、ハーンに背くことになろうとは思いも寄りませんでした。軽率との批判ももっとも、反省しています」
「謝ったとてすまされぬぞ。君はジョルチにとって欠くべからざる人材だ」
堪えきれずに呑天虎コヤンサンが声を荒らげて、
「よいではないか! 細かいことを抜かすな!」
セイネンはこれを睨みつけると、インジャに向き直って言った。
「私は神道子の婚礼を無に帰そうと言っているのではありません。ただ然るべき順を踏まえなかったことを責めているのです」
癲叫子ドクトが大杯を手に叫んだ。
「女を奪うのに順も何もあるものか! 好きにさせろ!」
方々から笑い声が挙がったが、これはナオルに目で制される。しかし喧騒は収まらず、また各々議論を始める。中でももっとも憤っていたのは、何と鉄鞭のアネク。ハトンの身分も忘れて争う。
と、そのときであった。
「それぐらいにしておけ!!」
卒かに耳を裂かんばかりの大声が挙がり、みなびくりとして口を噤んだ。声の主を顧みて、一同はあっと驚く。




