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草原演義  作者: 秋田大介
巻一
35/783

第 九 回 ③ <ヘカト登場>

コヤンサン神都に往きて(しん)に二商と争い

ハツチ大道を巡りて楼に一将を(いざな)

 やむなく別に舟を見つけて従者(コトチン)と乗り込む。やがて舟は静か(ヌタ)(エルギ)を離れる。


 コヤンサンは、ゴロのことを思い出すにつけ無性に腹が立ってきた。あの男は草原(ケエル)の民を侮っているに違いない。自分は弓もろくに扱えぬ商人(サルタクチン)のくせに……。


 次第に怒り(アウルラアス)(こう)じて、


「ひと泡吹かせてやる!」


 あまりに突然大声で叫んで、しかも舟底をどんと叩いたものだから、ほかの(ヂョチ)はおおいに驚く。船縁(ふなべり)にいた一人に至っては、どぶんと(ムレン)に落ちる始末。


 あわててみなで(ガル)を差し延べて助けたが、期せずして冷たい水(フイテン・オス)に浸かったその男は身体(ビイ)が冷えて、くしゃみが止まらなくなる。コヤンサンは内心おかしくてしかたなかったが、(テリウ)を掻きつつ謝った。


「やあ、これは失礼した。申し訳ない」


「気を付けてくれ。寒くて死にそうだ、ああ、寒い寒い……」


 ぶつぶつ言いながら震えている男をよく見れば、どこか尋常ならざるところがある。もしかすると並のもの(ドゥリ・イン・クウン)ではないかもしれんとて話しかけて言うには、


「やあやあ。少しは落ち着いたか? (アルヒ)があるといいんだが、あいにくと禁酒中でね。ほかの客に分けてもらおうか」


「うるさいな。放っておいてくれ」


「まま、そう言わずに」


 傍ら(デルゲ)の客に酒を分けてもらって勧めれば、当惑しながらもひと息に飲み干す。みるみる(ヌル)に朱が差して、(ようや)く落ち着いてきたようである。


「やや、顔色が良くなったぞ。よかったなあ。ところで名は何というのだ」


 男は面倒そう(ヤルシグタイ)に答えて言うには、


「俺の名はヘカト。神都(カムトタオ)で店を開いている」


「すると商人か」


「そういうことになるな」


 するといきなりコヤンサンがこれに(つか)みかかろうとしたので、舟がぐらぐらと揺れる。船頭が泣きそうな顔で、


「お客さん、お願いだからおとなしくしといてください。舟がひっくり返っちまう!」


 はっとしてまたまた謝ることとなる。いったい神都(カムトタオ)へも着かぬのに何回謝ったことやら、これから(バリク)に入ってサノウを捜し、しかも連れて帰るとなると、この先何度頭を下げることになるか計り知れない。


 一方のヘカトも何が何やらさっぱり解らぬが、(つか)みかかられて喜ぶ道理(ヨス)もないので、むっつりと黙り込んでしまった。そうこうするうちに何とか東岸へ着いた。コヤンサンはさっさと降りて城門(エウデン)を目指す。


 言い忘れたが、(アクタ)は西岸に設けられた厩舎(アラチュグ)に繋いである。神都(カムトタオ)は防衛上、自軍の馬を除いては原則として渡河を禁じている。


 それはさておき、このとき颯爽(オキタラ)神都(カムトタオ)に乗り込もうとするコヤンサンの(ムル)(つか)むものがあった。先のヘカトである。地上に立って改めて見れば、


 身の丈は七尺半に少々足らぬくらい、四角い面に光る(ニドゥ)(ウネゲン)(チノ)のごとく、恰幅の良い胴回りはコヤンサンに比べても遜色ない。


「何だ、何か用か」


 ヘカトは細い目をかっと見開いて、


「何だではない。先の非礼(ヨスグイ)を詫びよ」


 詰め寄ったが、コヤンサンはきょとんとして、


「お主を(ムレン)へ落としたのは詫びたではないか」


「それではない! そのあと私に暴力(ハラ・クチ)を振るおうとしたではないか!」


「やかましい、商人ごときがでかい口を叩きおって! やるか!」


「道理の解らぬ奴め」


 渡し場(オングチャドゥ)の空気はたちまち殺気を帯び、周りにはあっという間に人だかり。コヤンサンの従者があわてて押し止めて言うには、


「セイネン様の戒めをお忘れになりましたか。騒ぎを起こしてはいけません、ここは(こら)えてください」


 またヘカトに向き直って、


「お(ゆる)しください。主人(エヂェン)は気が短く、先ほどある商人と口論しましたのを思い出して、関わりのないあなた様に手を出そうとしてしまったのです。草原の武辺の為すこととてお(ゆる)しください」


 従者が一心に頭を下げたのに加えて、ヘカトも生来はつまらぬ争いは好まぬ心性(チナル)だったので、ぶつぶつ言いながらもその場をあとにした。


「待て、逃げるか!」


「セイネン様に報告せねばなりません。自重してください!」


 その名を出されては矛を収めざるをえない。やはりぶつぶつ不平を唱えながらも怒りを鎮める。集まった観衆も期待が外れて、がっかりしながら散っていく。


「さあ、三日しかありません。早く参りましょう」


 従者に(うなが)されて、コヤンサンはしぶしぶ歩を進めることにした。

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