第八 七回 ②
チルゲイ会盟を前に大慶に狂喜し
ナユテ好漢に従いて新妻を略奪す
そこでヨツチには、タムヤでマタージ・ハーンに挨拶してから行くよう伝える。ヨツチはその日のうちにミヤーンとともに出立した。
新設の渡し場から渡河して直にタムヤに向かえば、東岸が近づくにつれて大工事の様子が目に入る。ヨツチは、ほうと息を吐くと声もない。仮の渡し場で下船して入城を果たし、無事にマタージ・ハーンに謁見する。
マタージの歓待を受けて翌日、ジョルチン・ハーンのオルドを目指す。何ごともなく到着すると、雪花姫カコに首尾を告げて、ともにインジャに見える。
大カンの言葉を伝えれば、インジャはほっとしてヨツチを労う。さらに物資の供出などを快諾する。サノウを顧みれば無言で頷く。
早速お決まりの宴となり、タムヤの工事や、神道子の近況などが話題に上る。ともかく最大の懸案が解決して、あとは渡し場の竣工を待つばかりとなった。
ところでナユテはあれ以来、チルゲイの言葉の意味を考えて悶々としていた。そこへ突然、笑破鼓クメンが現れる。例によって笑みを絶やすことなく拱手して言うには、
「神道子の助力を請いたい。カオエンに来たれ」
独りで鬱屈していてもしかたないので承諾すると、早速出発する。ひとつにはカオエンに行けば、サチに遇えるやもしれぬと思ったからである。ついでにチルゲイを訪ねて真意を質そうと心に決める。
連れ立ってアイルに達すると、クメンは己のゲルに案内する。これを一瞥するや眉を顰めて言うには、
「君の家には体調のすぐれない人があるだろう」
クメンはおおいに驚いて、
「どうして判った? まさしくそれを諮ろうと思っていたのだ。さすがは神道子、やるではないか」
「調子が悪いのは誰だ」
「父だ。卒かに足が萎えてしまった上に、嘔気が治まらぬ。もちろんアサンにも診てもらったが、さすがの聖医ですら病因が判らない。そこで君を呼んだというわけだ」
ナユテは頷くとゲルを指して、
「ゲルを遷せば治るだろう」
「どういうことだ?」
「ゲルの西北の隅を掘ってみろ。死者が埋葬されているはずだ。君の父親はその毒気に中たったのさ。私なら絶対にこんなところにゲルを建てたりしない」
そう言って身震いする。クメンは吃驚して駈け込むと、家人にそれを告げる。神道子の威名はすでに轟いているので、誰も疑うことなく速やかに解体が始まる。言われた箇所を掘ってみると、はたして言葉のとおりであった。
「どうすればよかろう」
「改めて埋葬したほうがよい。十分に祀れば悪霊を避けることができるだろう」
家人は畏れ慄きながらそれに順って、口々に礼を述べた。クメンもおおいにナユテを称える。そこで急に思い出したように言った。
「花貌豹の母親が、また君に頼みごとがあるようだったぞ」
思いもかけずその名を聞いて心臓が大きく波打つ。動揺を悟られたかとクメンを窺えば、何も気づかなかった様子。ほっとしてまたともに馬上の人となる。
サチのゲルが近づくにつれて次第に鼓動は高まる。その音を聞きつけられやしないかと恐れるほど。やがてゲルとその前に佇む母親の姿が視界に入る。先方もこちらを認めたらしく、何やら騒ぎながら中へと消える。
到着して馬を降りると、また母親が飛び出してきて言った。
「先日はありがとうねぇ。待ってたよ、お入り」
一礼して緊張の面持ちで戸張をくぐったが、サチは不在だった。がっかりするのと、ほっとするのとで複雑な心境になる。
目の前の高き座に髭をたくわえた老人が座している。サチの父親だろうかとあわてて挨拶すれば言うには、
「神道子の高名はかねて聞き及んでいる。そこでわしから頼みがあるのだが、聞いてもらえるかね」
「はい、喜んで承ります」
ひどく緊張しながら答える。と、そのときである。表でがやがやと騒ぐ声がしたかと思えば、例の母親が大声で言うのが聞こえる。
「もう先生はお見えだよ! 間に合って良かったね」
何のことかと訝しんでいると、戸張が開いて手に手に酒食を携えた男女がどっと入ってくる。
ナユテはあっと驚いた。何とそれはかつて知ったる好漢たち、すなわち聖医アサン、奇人チルゲイ、麒麟児シン、知世郎タクカ、矮狻猊タケチャク、蒼鷹娘ササカ、娃白貂クミフといった面々。
老人は驚くことなく鷹揚に頷いて新たな客人を座らせると、ナユテに向き直って言った。
「用件を話してもよいかね?」
呆然自失の体だったナユテは、はっと我に返って謹んで先を促す。老人は莞爾と笑うと言うには、
「わしの一人娘は今なお男のように馬を駆ったり槍を振るったりしているが、あれで一応は女じゃ。齢もすでに二十数歳、このままでは一生嫁に行かぬのではないかと危惧しておる。あれが嫁がねば、わしの家は断絶する」
老人は深い溜息を吐いた。ナユテのほうはみるみる青ざめていく。
「そこで、お前に頼みというわけだ。……わしの娘を誰が嫁に貰ってくれるか、占ってもらいたい」