第八 六回 ③
アステルノ奸謀を測りて超世傑を警め
サノウ兄名を欲して衛天王を度る
もう一方の大族の動静も語っておかねばならない。すなわち中原北半を制する新進の雄、ジョルチン・ハーンと黄金の僚友たちである。
ジョルチ部ではウリャンハタ部との会盟を控えて、準備が着々と進められていた。正使である雪花姫カコと協議が重ねられ、早馬が何度か両部族の間を往来した。
西原には神道子ナユテと奇人チルゲイがあって調整を行っていた。最大の難問だったのが、ジョルチの軍師サノウが発議した問題であった。すなわち、
「会盟にあたって、どちらを兄とするか」
というものである。ジョルチとタロトについてはすでに序列が決していたが、これにどうウリャンハタを加えるかは未決だった。
もとよりカコの一存では決められず、副使ヨツチ自ら帰って、まずは外交を担うチルゲイに報告した。これを聞いた奇人は苦笑して、
「またあの堅物が難しいことを言いだしたぞ。で、先方は何と言っている」
尋ねれば答えて、
「ジョルチン・ハーンはどちらでもいいようだったが、軍師が必ず兄でなければいけないと主張している」
「ははあ、なるほど。さて我が大カンは何とおっしゃることやら」
そう言って首を捻ったが、どこか楽しげであった。ヨツチは訝しく思って、
「なぜそんなに楽しそうにしている。俺はそのとき雪花姫がいなけりゃ、軍師とやらを殴りつけるところだったぜ」
呵々大笑して言うには、
「君は使者に向いてないなあ。要は名と実の話だ。インジャ殿は実を図り、サノウは主君のために名を重んじている。さて、私はどうしたものか。熟考、熟考」
そこでまずアサンを訪ねると、笑いながら事の次第を伝えた。アサンは眉を顰めて、
「それで貴公はどう対処されるおつもりですか」
「まあ、大カンの意向にもよるがね。私としては心は決まっている」
「伺ってもよろしいですか」
「ははは、もとより聞いてもらおうと思って来たのだ」
咳払いひとつすると、
「実を取ろう。ジョルチン・ハーンを兄として会盟に臨む。ただしタロト部よりは席次を上にしてもらう。つまり次兄ってわけだ。それと、会盟に必要なものは兄であるジョルチ部に供出してもらう。もともとタムヤの渡し場に関しては我々が負担しているからな」
アサンは熟考した末に答えた。
「それでよいかと思います。大カンもおそらく名分には拘らないでしょう。ただ……」
続きを促せば言うには、
「麒麟児辺りが得心するでしょうか。人の下風に立つのを嫌う人ですから」
「ちょうどよい機会だ。大カンの権威というのを認識してもらうさ」
「そのためには大カンの意向を確かめておかねばなりませんね」
「それはそうだ」
頷くと、その足で大ゲルへ向かった。ことを告げると、案の定あっさり答えて、
「そんなものはどちらでもいい。わざわざ確認するには及ばん」
その場にいた潤治卿ヒラトも、アサンの了承も得ていると聞いて異議は唱えなかった。チルゲイはおおいに喜んで、
「諸将のうちで反対するものがいたら、私のほうへ回してください」
それからチルゲイは、ナユテを訪ねる。話を聞くとナユテは驚いて、
「軍師の言いそうなことだ。兄弟の順など瑣末なことだと思っていたが、まさか兄でなければ会盟しないとは」
ここでもチルゲイはおもしろがって、
「我が大カンの度量に感謝してもらいたいね」
などと言う。ナユテは舌打ちしたが、すぐに大笑い。そして言うには、
「軍師は個人で交際するにも慎重だが、よもや部族規模で相手を試すとは恐れ入った。もし大カンが首肯しなかったら、どうするつもりだったんだろう」
「そのときこそ我らの才略が問われたのさ。殆うい、殆うい」
そこでナユテははっと顔を上げると、
「来る早々そんな話をするものだから、酒を出すのを忘れていた」
側使いに命じて酒食を用意させる。もとより奇人は無類の酒客、おおいに喜んで杯を受け取る。酌み交わすうちに酒興自ずから至り、やがて言うには、
「そうだ、神道子。君に糺すことがあるぞ!」
「おや、何の話か、さっぱり判らぬが」
「ほほう、身に覚えがないと言うか。然らば尋ねよう、君は……」
そう言いかけたとき、表から案内を請う声がして制される。チルゲイは口を尖らせて戸張を見遣ったが、入ってきたものを見て瞠目する。
そのものもまた奇人の姿を認めると、あっと驚いて立ち尽くす。
「奇人じゃないか、こんなところで何をしている」