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草原演義  作者: 秋田大介
巻六
340/783

第八 五回 ④

ソラ冷泉に伏して碧水将に()

オンヌクド険路を越えて蓋天才に(まみ)

 ソラはおおいに驚く。はっとして(ヌル)を上げると、目瞬き(ヒルメス)忘れて(ウマルタヂュ)これを見返す。


「どうかされましたか?」


 問われて我に返ると、あわてて非礼(ヨスグイ)を詫びる。あたふたと言うには、


「マシゲルとは、あのマシゲルですか。いや(ブルウ)、マシゲル部は先年ムジカらが滅ぼしたとばかり……。えっ? ということは貴公が……」


そうです(ヂェー)。私がマシゲル部ハーン、獅子(アルスラン)マルナテク・ギィです」


 平伏してさらに非礼を詫びると、


「ジョシ氏族長(ノヤン)カンシジ・ソラです。天地に行くところなき身をお救いいただき、ありがとうございます。ハーンの慈悲がなければ今ごろ我が首は胴を離れ、名は(コセル)に堕ちていたでしょう。淫婦奸臣の奸謀に(アミン)を失えばいかにも悔いが残り、幽鬼(シュルム)となって草原(ケエル)を彷徨せねばならぬところでした。このとおり無智蒙昧(ハラング)愚人(アルビン)ですが、仔馬番(ウノガチン)乳搾り(サアリチン)なら十分に勤まりましょう。アイルの片隅にでも置いていただきたく存じます」


 ギィは立ち上がって、その身を助け起こすと、


「このような僻地まで赫彗星の名は轟いております。思わぬ災厄に遭われたと聞いて憂慮しておりました。無事お迎えできて人衆(ウルス)ともどもおおいに安堵しております。このケルテゲイ・ハルハを己のゲルとも思って(くつろ)いでください」


 ソラは幾度も礼を述べる。ギィは酒食の用意を命じて、オンヌクドにも席を勧めた。そのとき奥座(コイマル)より現れたのはアンチャイ・ハトン。嫣然と微笑めば、その美しい容姿(オンゲ)にソラは思わず息を呑む。


 今や人衆は、その玉璧(ダナ)のごとく輝く双眸、花弁のごとく紅き両頬(ハツァル)(たた)えて、「瓊朱雀(けいしゅじゃく)」の名を奉って厚くこれを慕っている。


 従えたる侍女(チェルビ・オキン)もやはり両個の女丈夫。


 一個はチャング氏のウチン。言は必ず正、行は(すなわ)ち範、そもそも氏族(オノル)を導いて誤りなからしめたことから、敬意を込めて付けられた渾名(あだな)が「賢婦人(ボクダ・ウヂン)」。


 一個はもちろんキライ氏の赫大虫(かくだいちゅう)ハリン。アンチャイがマシゲルに嫁帰した当初より側に仕え、その宏量なる心性(チナル)でこれを支えてきた大徳の主。


 またソラを迎えた将も、座に連なって改めて名乗りを上げる。


 聞けばこれぞ賢知(ボクダ)の名高き神都(カムトタオ)のゴロ・セチェン。マシゲルに投じてより諸事に抜群の才略(アルガ)を示して為しえぬことはなかったので、人衆は驚嘆してやはり渾名を奉った。すなわち「蓋天才(上天(テンゲリ)(おお)う才気の意)」。


 ギィの右背に侍する武官は弓射に長ずる上将、ジャルム氏のコルブ。常に先駆けて(ウトゥラヂュ)敵陣に突き入ることから、称して「迅矢鏃(じんしぞく)」。これも席を与えられる。


 かくして主客揃ってお決まりの宴となる。もとよりテンゲリの定めた宿星(オド)、たちまちのうちに意気投合する。酒精(ボロ・ダラスン)の玄妙な効用もあってか、次第にソラは本来の心性を復して無遠慮に問うには、


「マシゲル部が存続していたとは今日まで知りませんでした。ヤクマンでは超世傑と神風将(クルドゥン・アヤ)の遠征で四散したものと思われています。それがこうして健在であるばかりか、ハーンとムジカは盟友(アンダ)であるとか。いったいどういう経緯(ヨス)なのか、教えていただけませぬか」


 獅子の主従は顔を見合わせて大笑い。ギィが言うには、


「たしかに我々はムジカと戦って敗れました。しかし今は堅き石(チェウゲン・チラウン)のごとき盟約を結んでいます。(いぶか)しく思われるのも無理はありません」


 ゴロが話を引き取って、


「これには複雑な事情(アブリ)があるのです。話せば長くなりましょう」


 是非にと頼めば、それではとばかりに語り起こす。すなわち内乱(ブルガルドゥアン)に始まって、マシゲルとヤクマンの会戦、ギィとヒィ・チノの一騎射ち(注1)がそれを彩り、ついにカラバルの同士討ち(注2)へと至る。


 やがてギィはケルテゲイ・ハルハに逃れ、留守陣(アウルグ)はアステルノに接収されてアンチャイは虜囚(注3)となる。すべてはムジカの下に(ヂョチ)であったチルゲイの建策によるところ。


 今度は彼らがギィを訪ねたが、道中野盗と化したコルブが合流(ベルチル)(注4)する。彼らとともにジョナン氏のアイルへ赴けば、ムジカ、アステルノと意気投合、ついに「チェウゲン・チラウンの盟(注5)」が成ったという次第。


 その後、密かにタロトの故地にて部族(ヤスタン)を再建して数年、友誼(ナイラムダル)は厚くなるばかり。激減した家畜(アドオスン)援助(トゥサ)を得て()えつつあるという。


 まったく知らなかった北方の実情を聴いて、ソラは言葉(ウゲ)も出ない。話中の俊傑(クルゥド)の知略勇武に(ツォサン)は沸き立ち、羨望の情が募る。


 さらに両部族(ヤスタン)(また)がって飛び回った客将、すなわちチルゲイ、ナユテ、ミヤーンとはいったいいかなるものどもかと興味を搔き立てられる。呆然としているとゴロが言った。


「赫将軍、貴殿も話してください。なぜ、かかる災難に遭われたのか」


 勃然(ぼつぜん)憤怒(アウルラアス)の情が(よみがえ)り、思わず杯を(つか)(ガル)(クチ)が入る。それを看たアンチャイが(ニドゥ)でゴロを(たしな)めたが、ソラは(オロ)を決して奸婦への恨みを吐露しはじめる。


 こちらは梁公主が政事に介入する不条理に始まり、長吏バンフウの誅殺を経てソラが嫌疑をかけられた段に及ぶ。


 ドルベン、ムカリが登場し、ダルシェと干戈を交えたあとで、追討の(ヂャルリク)が下されたことを知らされ、キレカに投じたところで(エグチ)テランの処刑を聞かされる。


 ここで一旦語を切って、(セトゲル)を落ち着かせんとて杯を(あお)る。ギィらはあまりのことに何も言えない。


 二、三杯飲んで再び(アマン)を開くと、近衛(ケシク)の探索をオラルのおかげで(まぬが)れて、ついにムジカやアステルノの助けによって部族(ヤスタン)を脱し、ここに至ったことを語り終える。


 好漢(エレ)たちはおおいに唸って(いきどお)りの(ダウン)を挙げる。特にコルブの(アウルラアス)りは凄まじく、(シレエ)を叩いて激昂(デクデグセン)する。ウチンも(オロウル)を震わせて(フムスグ)(ひそ)める。


 ともに奸婦奸臣の非道を(そし)り、テンゲリにこれを亡ぼさんことを誓って杯を干せば、僅かながらソラの鬱憤も晴れる。そのまま話題は天下の奸人侫者に移って、上は神都(カムトタオ)の僭帝ヒスワから、下は巷間(オルチロン)の小人まで排撃して()むことがない。


 そのうちにふとギィが思いついて、ソラにあることを尋ねたのであるが、まさしく宿星(オド)の運行は知りがたく、テンゲリの意思は測りがたいもの。


 新たな客人(ヂョチ)に古き僚友(ネケル)(もと)めて神道の是を(あか)し、奇卦の象を明かさんと欲したわけだが、果たしてギィは何と言ったか。それは次回で。

(注1)【ギィとヒィ・チノの一騎射ち】第三 七回①参照。


(注2)【カラバルの同士討ち】第三 八回④参照。


(注3)【アンチャイは虜囚】第三 九回②参照。


(注4)【コルブが合流】第四 〇回①参照。


(注5)【チェウゲン・チラウンの盟】第四 一回②参照。ちなみにアステルノは結盟には参加していないが、ギィとヒィ・チノは翌日二人でこれを訪ねている。第四 一回③参照。

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