第 九 回 ② <ゴロ・セチェン登場>
コヤンサン神都に往きて津に二商と争い
ハツチ大道を巡りて楼に一将を誘う
見ればズラベレン氏族長のコヤンサン。彼らはまもなくズレベン台地に帰ることになっていた。興奮して言うには、
「聞きましたぞ。俺がインジャ殿に代わって神都に参りましょう。その何とかいう学者の首に縄を付けてでも連れて帰ってきます」
セイネンがおおいにあわてて、
「こら、お迎えしようと話しているのだ。攫ってこいなどと誰が言った」
「はい、はい。インジャ殿、ぜひ俺にお委せあれ。きっと意に沿うことができましょうぞ」
「君は神都に行ってみたいだけだろう。義兄、そのうち私が自ら訪ねます。しばらくお待ちください」
「インジャ殿、『駿馬を得るには寸時も惜しまず、千里も遠しとせず』と謂うではありませんか。なに、ちょっと往って帰ってくるだけ、心配ありませんや」
インジャは、やれやれという顔で二人を見比べた。そして言うには、
「セイネンの危惧もわからんではないが、コヤンサンの言うことにも一理ある。まことに『寸時も惜しまず、千里も遠しとせず』だ。ここは彼に委せてみよう。その代わり神都で遊び呆けていてはならんぞ」
コヤンサンは跳び上がらんばかりに喜んだ。すぐ戻ることを誓うと挨拶もそこそこに出ていく。セイネンがすぐさまこれを追って言うには、
「おい、約束してほしいことがある」
「何だ。どうも信用がないな」
セイネンは眉間に皺を寄せると、指を立てつつ、
「一、従者は一人しか連れていってはならん。
二、神都には三日以上滞在してはならん。
三、サノウに無礼をはたらいてはならん。
四、騒ぎを起こしてはならん。
五、往き帰りの道中は酒類を飲んではならん。
この五事を守れるか?」
「『ならん』ばかりだな。まあよい、承知した。学者殿を連れて帰るのを楽しみにしておれ」
とて豪快に笑って去る。あとに残ったセイネンは、まるで安心できぬままその後ろ姿を見送ったが、くどくどしい話は抜きにする。
翌日、コヤンサンは意気揚々と出立した。まずは言いつけどおり従者は一人。神都までの道程は片道十日である。
途中ベルダイ氏の牧地を抜け、大ズイエ河に沿って下っていくと、大ズイエ河は南北ふたつの流れに分かれる。北の流れはそのまま大ズイエ、南の流れをカオロンと云う。
河を渡れば、この二流に挟まれるように草原最大の都市、神都がある。
この神都は先に述べたジュレン部の三代目ハーン、ウムゲが諸国に誇るべく建設したもので、以来商業都市として栄えている。張の袁光が和平の使者となってここを訪れたとき、その威容に感心して、
「神都は竜の舌下の玉なり」
そう絶賛したという。ズイエ、カオロンの二流を竜の口に見立てたのである。
さて、当のコヤンサンはそんなことなどは知る由もなく、ただ噂の都に行けると大喜びで馬を走らせた。道中は言われたとおり酒は一滴も口にしなかったが、ほかは飢えては喰らい、渇いては飲み、陽が沈めば休み、夜明けとともに発つというお決まりの行程。
格別のこともなく、十日目にカオロン河の渡し場に着いた。
渡し場からは何艘もの舟が、人やものを載せて往来している。コヤンサンは適当に舟を選んでいざ乗り込まんとしたところ、いきなり呼び止められた。
「こら、私がいるのが見えんのか」
「何だと!」
振り向けば、人品卑しからぬ一人の男が立っている。その後ろには大勢の小者が従っている。その人となりはというと、
身の丈七尺半、面は陽に焼けて浅黒く、歯は皓く、双眸には光ある一見してそれとわかる好漢。
だがコヤンサンはかっとして、
「誰だ、お前は」
尋ねれば、男もこれを睨みつけて、
「誰だとは何だ、人の舟に無断で乗ろうとしていながら無礼な奴め。どこの野人か知らぬが早々によそへ行くがいい」
語気鋭い男の言葉に、漸くただならぬ気配を察したコヤンサンは、ひとまず怒りを収めて、
「貴殿の舟とは知らずに失礼した。これより神都にあるお方を訪ねるもので、ジョルチ部のコヤンサンと申す。非礼は詫びるゆえ、ご芳名をお聞かせ願いたい」
「お前に名乗る必要もないが教えてやろう。神都にその人ありと言われたゴロ・セチェンとは私のことだ。たった今、西域より帰ってきたところ、お前が人の舟に乗ろうとしているのに出遭ったというわけよ」
「そうであったか。西域へは何の用で?」
ゴロは苛々した様子で、追い払うように手を振ると、
「お前の知ったことではない。さあ、もう退いてくれ。暇じゃないんだ」
「舟に空きがあれば我々を乗せてくださらんか」
するとゴロは目を剥いて、
「何だと? 空きなどない、ない。帰れ、帰れ」
コヤンサンはゴロの人を見下した態度にいちいち腹が立ったが、相手が数多の小者を連れているのに加えてセイネンの戒めもあったので、言われるままに道を開けた。ゴロは小者を指揮して荷を積んでしまうと、さっさと行ってしまった。