第八 四回 ④
喪神還りてムジカ梁公主の謀を察し
流星散じてソラ紅火将の懐に入る
こうしてソラは密かにガダラン氏の客人となったが、姉テランの身を案じて鬱々と心の休まる暇もない。そんなある日、キレカに呼ばれたのでゲルを訪ねると、紅火将軍が珍しく青ざめた顔で言うには、
「良くない報せだ。ジョシの妃妾はことごとく処刑された」
「えっ……?」
あまりの衝撃にソラは言葉を失う。キレカも眉間に皺を寄せて目を伏せる。
「……というと、お、俺の姉は……」
「公主を呪いつつ死んだそうだ。酷いことだが……」
「何という……」
ソラはがっくりと崩れ落ちると面を掩った。やがてそれは号泣へと変わり、傍らのキレカもいたたまれずに背を向ける。
と、ソラは卒かに立ち上がるや、脱兎のごとく飛び出す。
「どこへ行く!?」
「もはやこれ以上の非道は恕せん! オルドへ参る」
キレカはあわててあとを追うと、背後より叫んで、
「待て、徒死(注1)する気か!」
「彼奴らと刺し違えてでも仇を討つ!」
キレカはさっと跳躍すると、身を当ててソラを雪上に組み伏せた。
「放せ! 俺の好きにさせてくれ」
「頭を冷やせ! 姉の無念を晴らそうと言うのなら、匹夫の業に走るな」
ソラはしばらく暴れていたが、次第におとなしくなる。それでもキレカはこれを押さえつけたまま様子を見ていたが、やがてそっと立ち上がると言った。
「君の心情も解るが、命を粗略にするな。死ぬのは容易だ。しかし君はジョシの流民の命運も負っているんだ」
ソラは雪の上に頬を埋めたまま再び哭きだした。キレカは彼が自ら立ち上がるのを待った。そしてこれを支えて戻ると言うには、
「捜索も厳しくなっている。今日から私のゲルに隠れよ。近いうちに捕吏が来るだろう」
その言葉のとおり、三日後に一隊の騎兵が現れると、
「族長のキレカ・オトハンはいるか!」
居丈高に叫ぶ近衛の将の出現に、人衆はあわてて注進に及ぶ。キレカは頷くと、
「来たか。待たせておけ」
そしてソラに向かって、
「ここにいれば心配ない。私が追い払ってこよう」
そう言ってすっくと立ち上がる。徒歩で赴き、馬上の将に拱手すると、
「私がキレカ・オトハンです。お勤めご苦労さまです」
丁重な言葉で迎えるも、まるで眼中にない様子で、
「挨拶はよい。叛賊赫彗星ソラが来てないか」
「我がアイルには姿を現しておりません」
「真か。ではひとつずつゲルを改めさせてもらおう」
「そこまでするには及びません。私が責任を持って証言いたします」
「いや、労力は惜しまぬ。人衆に命じて協力させよ」
キレカは気づかれぬよう舌打ちして不承々々頷くと、
「いいでしょう。存分におやりなさい」
「もし叛賊を匿っていたら、お前も同罪だぞ。解っているな」
「無論です。いないものはいないとしか言えない。どうぞお査べください」
近衛兵がわっと散らばり、片端からゲルへ踏み込む。キレカは方々を回って人衆を諭すと、急いで帰って言うには、
「私の言葉だけでは足らず、個別にゲルを回りはじめた。まさかここまでは見ないだろうが……」
そう言ううちにも表から声がして、
「ここも査べさせてもらうぞ!」
側使いの女官たちが瞠目して青ざめる。キレカはあわてて飛び出すと、
「無礼な! ここはこの紅火将軍のゲルだぞ」
「関係ない、そこを退け!」
さすがのキレカも激して言った。
「何だと? まさかこの私を疑うのか。諸君は私の名を知らぬのか」
「知っているとも。赫彗星と懇意だったこともな!」
ぐっと唇を噛むと、これを睨みつけて、
「狗どもめ、礼を知らぬらしいな。よかろう、しばし待て」
「なぜ待たせる。その間に賊を逃がすのか?」
「勘違いするな。婦人が服を着る間ぐらい待てぬのか」
それを聞いた近衛兵たちは一瞬きょとんとしたあと、どっと嗤って囃し立てる。一人が下卑た笑いを浮かべながら言った。
「へへ、我らが寒風の中、賊を追っているというのに昼間からお楽しみかい」
キレカは答えずに中に戻ると、
「まもなく奴らが踏み込んでくる」
「どこへ隠れればよいだろう?」
ソラは困惑してこれを仰ぐ。キレカは少し思案してあることを言ったのであるが、このことから赫彗星は竜のごとく深き水に潜むことになる。
また宿星は運って新たな好漢が義を示す次第となるのだが、まさしく非礼の輩に道理は通らず、義士もたちまち好色の名を被るといったところ。果たして紅火将軍は何と言ったか。それは次回で。
(注1)【徒死】無駄に死ぬこと。犬死に。