第八 四回 ②
喪神還りてムジカ梁公主の謀を察し
流星散じてソラ紅火将の懐に入る
チンラウトは内廷を統べる宦官の長である。これに意を含めて早速テランの房に踏み込ませる。
テラン・ゴアは突然の宦官どもの闖入にわけがわからず猛然と抗議したが、彼らはかまわず寝台やら家具やらをひっくり返し、ついにはその床を掘りはじめる。
そこから呪器の類が発見されるに及んでテラン・ゴアの混乱は極に達する。チンラウトは呪器を手に罵って言った。
「ハーンを呪詛するとは大罪じゃ!」
もちろんこれも梁公主の奸計、まったく覚えのない物証を突きつけられて、テランはおおいに驚く。
「私は知りませぬ! 何かの間違いです。そのようなもの、見たこともありません!」
「嘘を吐くな! 言い逃れはできぬぞ」
チンラウトはすぐに戻って報告する。
「おのれジョシめ、姉弟揃って異心を抱くとは畏れを知らぬものどもだ。オルドに在るかの忌まわしき民をすべて捕縛せよ!」
たちまち捕吏が差し向けられてテラン・ゴアをはじめことごとく捕らえられる。泣き叫んで冤罪を訴えたが、もとより周囲はみな公主の息がかかっている。容赦なく引き摺りだして檻車に押し込む。
トオレベ・ウルチは漸く安堵したが、怒りはいまだ治まらない。爪を噛みながら言うには、
「公主の慧眼に助けられたわ。あとはあの小僧だ。どうしてくれよう」
「そこまでは私も判りかねます。知恵者がいるではありませんか」
目で示したのは、四頭豹ドルベン・トルゲ。ハーンはおおいに喜んで、
「公主の助言は違うことがない。四頭豹、策を出せ」
応じて進み出ると、
「ジョシ氏は西方の大族、加えて赫彗星は尋常の才略の主ではありません。風のごとくこれを襲い、火のごとくこれを滅ぼさねばなりません。一将を派してその留守陣を収めるとともに、亜喪神に兵を授けてかの賊軍の帰路を討たしめるのがよろしいでしょう。賊をオルドへ近づけてはなりません」
この答えにおおいに満足すると即座に勅命を下して、
「ダサンエン、卿は軍を率いて賊のアイルを襲え」
拱手して拝命したのは七卿の一人ダサンエン。答えて言った。
「承知。では三軍の一、緑軍を率いて直ちに参ります」
彼の云う「三軍」とは軍制の称である。ヤクマン部の中でも特に強大なヤクマン氏は、その軍をみっつに分け、旗の色をもって呼び分けている。すなわち白軍・緑軍・赤軍である。それはさておき、トオレベ・ウルチは次に命じて、
「亜喪神はコルスムスとともにわしの侍衛軍を率いて賊を討て」
「承知」
ムカリと、やはり七卿の一人であるコルスムスがともに答える。コルスムスは武芸全般に秀でた侍衛軍の帥将である。侍衛軍は全氏族から集めた子弟を訓練した、軍の中核となる強兵である。
かくして二手の軍勢はその日のうちに軍備を整えて、翌日には出立した。
さて超世傑ムジカは、そもそもソラの出兵に疑いを抱いていたので、密偵を放って内情を探っていた。するとこれらの凶報を得たので、あわててオンヌクドらを差し向けたという次第。
聞き終えたソラは激昂した。
「そんな道理に合わぬ話があるか! 軍を殆うきに陥れ、大事を誤ったのは彼奴らだぞ! だいたい我が姉が呪詛だと? ふざけるのもほどほどにしろ!」
オンヌクドは沈痛な面持ちでなおも説いて、
「ですから最初から公主と四頭豹の罠だったのです。魔軍と戦わせて赤流星を疲弊せしめたあと、賊の汚名を着せてこれを討つ算段だったのでしょう。亜喪神らは使い走りに過ぎません。同時にテラン様も陥れられたのです」
「かかる非道が横行してよいものか! 戻って奸臣を斬り、ハーンに釈明しよう。彼奴らの舌先三寸で逃げだすなどそんな話はない!」
頭を抱えて喚き散らす。オンヌクドが言いにくそうに、
「ただ彼奴ら二人の讒言なら覆せましょう。しかし公主が謀議の首魁ではどうにもなりませぬ。テラン様の房より出たという呪器も、奸策と実証することは不可能です。いくら将軍が潔白とはいえ、まさか公主を斬るわけにもいきますまい」
「毒婦が!」
ソラは吐き捨てる。マクベンが進み出て、
「さあ、紅火将軍のアイルへ参りましょう」
そう迫れば、ひとつ息を吐いて言った。
「独り俺の身を護るは易い。しかしそれではジョシの人衆はどうなる。ここにある将兵はどこへ逃れればよいのだ?」
これには三人も返答に詰まる。
「聞けばすでに緑軍が留守陣へ向かったとか。家族や財産を失って、天地に行くところもない彼らはどうする?」
やはり答えられずにいると、後ろに控えていた諸将が歩み出て口々に言うには、
「我らにはかまわず逃げてください。将軍さえ健在であれば、またともに戦うことができましょう」
「この広い草原です、何処かに安住の地もあるでしょう。心配は無用です」
「奸臣の狙いは将軍の命です。お逃げください! 生きていれば必ず再会できましょう」
ソラは滂沱と涙を流して、
「俺のような暗愚な主を、まだ見捨てずにいてくれるか……」
あとは言葉にならない。アルチンがそっと言うには、
「将軍、酷なことを言うようですが、一刻の猶予もなりません」
「解っている。ではここで赤流星は、一旦解散する」