第八 三回 ④
ダルシェ赤流星を撃ちて喪神を嗤い
ハレルヤ赫彗星と語らい飛礫を誘う
ハレルヤは汗ひとつ掻いておらず、ムカリの醜態に大笑い。近づいた黒鉄牛に言うには、
「戦を知らぬ小僧のおかげで今日も楽に勝てそうだ」
その言葉に違うことなく、ダルシェの精鋭は布陣の乱れたジョシ軍をおおいに撃ち破って、追撃に移っていた。
またもソラは為す術もなく撤退せざるをえない。それもハレルヤの機を捉えた攻撃が奏功したからであるが、命を待たずに飛び出したムカリの軽率が大勢を決したと言えよう。
結果を見れば、二日に亘って魔軍が赤流星を一蹴したことになる。
恐るべきは盤天竜の驍勇、かのウリャンハタの好漢たちが手を焼いた亜喪神をまるで赤子の手を捻るようにあしらうあたり、さすがは草原最強を誇るダルシェの大将といったところ。
ムカリは震える膝をもどかしく感じながら、戦場を這いずり回っていた。赤い鎧を纏った味方を見つけたので、これを怒鳴りつけて言うには、
「馬を寄越せ!」
当然ながら断られる。するとムカリはおおいに怒って躍りかかるや、鞍上から兵を突き落として馬を奪った。あまりのことに兵はわあわあと喚いて抗議したが、ムカリは唾を吐きかけて馬腹を蹴る。
一目散に逃走して、途中撤退を指揮するソラを見かけたがそれも無視して、ただ己の身を保つことに専心した。
ソラは二度の失態に気も狂わんばかりだったが、被害を最小限に止めるべくまたも殿軍となった。その雄姿を認めて、さしもの魔軍も慎重になる。そこへハレルヤがやってきた。将兵が口々に告げて言うには、
「あれです! あれが例の礫を投げる将です!」
「ほう、なるほど。たしかに尋常のものではないな……」
無造作に馬を進めて、ソラと対峙する。黒鉄牛がその背に向かって、
「礫にお気をつけください!」
声をかけたが、意に介する風でもない。大刀もだらりと下げたままで、どんどん間合いを詰める。ソラは内心おおいに怒ると、嚢中に右手を忍ばせて機を計った。と、突然ハレルヤは歩を止めて言った。
「礫公に尋ねたいことがある」
ソラはおおいに驚いたが、威儀を繕うと答えて、
「俺は赫彗星カンシジ・ソラ。礫公などと呼ぶな」
「赫彗星か、なるほど」
にやにやしながら頷く様子に苛立ったソラは、
「お前は何ものだ! 人にものを尋ねる前にまず名乗れ!」
「ふふふ、失礼。俺はダルシェの大将、盤天竜ハレルヤ」
その名を聞いたソラは、これがまさしくムジカの言っていた猛将かと改めてその偉容を注視する。ハレルヤはおもむろに口を開くと、
「さあ、名乗ったからには答えてもらうぞ。赫彗星の兵はすべて赤で統一されているようだが、なぜその中に異物が雑じっている」
「くっ!」
面と向かって痛いところを指摘されて、思わず言葉に詰まる。
「それも昨日は左翼、今日は先鋒と要所に配するとはいかなる道理か」
これにも答えられず、みるみる顔を朱に染める。
「次からはかの雑軍を除くことを勧めておく。さもなくんば戦にならぬ」
ソラは恥辱に堪えがたくわなわなと身を震わせると、いきなりさっと右手を振るって礫を発した。
が、次の瞬間、ソラは我が目を疑った。ハレルヤは俄かに大刀を掲げて、軽く礫を弾き落としたのである。かん、と乾いた音が響いただけで、その巨躯は何ごともなかったかのように佇立している。
「な、何だと? 俺の礫を落とすとは……。まぐれに決まっている」
ソラは激しく動揺し、ハレルヤは悠然と笑みを浮かべる。かっとしたソラは目にも留まらぬ早業で次の礫を飛ばした。
が、これも易々と叩き落とされる。ソラは目瞬きも忘れて呆然とする。これまで礫を逃れたものはなかったので、その衝撃たるや計り知れない。従う将兵も目の前で起こった奇跡に息を呑む。
逆にダルシェ軍からはどっと歓声が巻き起こり、盤天竜の神業を讃えた。ハレルヤはさらに二、三歩馬を進ませると言った。
「赫彗星か。なるほど、おもしろい芸を見せてもらった」
「何っ? 芸だと!」
頭の中が怒りのあまり真白になって、嚢中より幾つも礫を取り出すと、
「ならばこれが避けられるか!」
叫ぶや否や、次々と礫を飛ばす。それぞれ違わず急所を襲う必殺の一撃。ところが、かかかん、と空しい音が連なり、ことごとく地に落ちる。ハレルヤは嬉しそうに言った。
「ははは。狙いは正確だが、やはり芸に過ぎぬ」
呵々大笑すれば、ダルシェの将兵もわっと囃し立てる。ジョシ軍はどっと浮足立って、我先に背を向ける。
「さあ、お遊びはここまでだ。追え!」
号令一下、魔軍は咆哮を挙げて襲いかかる。ソラも今はこれまでとばかりに馬首を転じる。胸中には恥辱と憤怒が渦を巻き、混乱のあまり兵を統率することもかなわない有様。
まさしく天与の異能も真の天将には及ばず、流星散じて雪原に堕つといったところ。そもそも軍に和を欠けば勝を制しがたく、加えて魔軍に盤天竜があっては、古詩に謂う「邂逅を悔ゆ」の言葉どおり。
果たして赫彗星は首尾よくダルシェの猛追を逃れうるか。それは次回で。