表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草原演義  作者: 秋田大介
巻一
33/783

第 九 回 ①

コヤンサン神都に往きて(しん)に二商と争い

ハツチ大道を巡りて楼に一将を(いざな)

 さて、首尾よくサルカキタンに勝利を収めたものの、インジャは自死して果てたジュマキンのことを思って鬱々としていた。そうするうちに思い出したことがあって、セイネンを呼んだ。


「何か御用ですか」


「ジュマキンが(とら)えられてくる直前に話していたことだが……」


 一瞬何のことかわからない様子だったが、すぐに思い出して、


「ははあ、覚えております」


「君の言った同門の賢者(セチェン)のことをもう少し詳しく聞きたい」


「イェリ・サノウのことですね」


「それがその方の名か」


はい(ヂェー)。サノウの出自(ウヂャウル)は、草原(ミノウル)ではなく長城(ツェゲン・ヘレム)(ウリダ)にあります」


中華(キタド)(イルゲン)か」


 インジャは僅かに(フムスグ)(しか)める。


はい(ヂェー)。イェリはその姓です」


 ここでイェリ家について知ってもらうのも決して無益ではないだろうから、しばし回り道をすることにする。


 イェリは、中華(キタド)では「耶律」と表記される。そもそも中華(キタド)に一字姓は多く、二字姓は少ないもの。現在の皇帝(グルハーン)も「梁」を姓とする一族である。


 二字姓の由来にはいろいろあるが、当の「耶律」について云えば源流を辿れば化外の民、すなわち異民族(カリ)の姓であった。耶律氏は長城北方の遊牧民(マルチン)で、その点ではジョルチ部やタロト部と同じ(アディル)である。


 それがなぜ草原(ミノウル)を離れて中華(キタド)に居るのかと云えば、史書を紐解かねばならない。今を去ること約三百年前のことである。耶律家に一世の英雄が現れた。名をアルバクという。


 アルバクは、ズイエとガムール両大河(ムレン)に挟まれた地で力を蓄えるや、分裂していた諸氏を瞬く間に糾合し、一大帝国(ウルス)を築くことに成功した。国名を中華(キタド)風に「大興」と名付けると、初代皇帝(グルハーン)の位に就く。すなわち大興の太祖である。


 当時、中華(キタド)は李氏の陳朝が治めていたが、太祖アルバクが即位した翌年に呉魁・林桂冲の乱(注1)が起こり、国勢は衰運に向かっていた。


 太祖はその後の群雄割拠の形勢に介入して長城の南に二十四州を得ると、十万の人衆(ウルス)を率いて遷都を敢行した。すなわち草原(ミノウル)の民として初めて長城の南に拠点を(うつ)したのである。遼州の興京がそれである。


 太祖は中華(キタド)に根を下ろそうと考え、積極的に部族(ヤスタン)中華(キタド)化を図った。その端緒として、遷都した翌年に姓名を中華(キタド)風に改めるよう命じた。そのとき太祖(みずか)ら選んだ姓こそ「耶律」にほかならない。


 その後、大興は二代太宗、三代武宗を経て、中華(キタド)の北半を支配するに至る。だが耶律氏はじめ大興の貴族たちの中華(キタド)化が進むにつれて、草原のこと(ケエリイン・ウィレ)(おろそ)かになってしまった。そのために元来の剛強さを失って、その兵は弱体化していった。


 そして太祖から数えて九代目の(びん)宗のとき、ついに新興の張朝に滅ぼされてしまう。愍宗の従弟である耶律建拓は、草原(ミノウル)に拠って大興を再建しようとしたが(北興の忠孝帝)、すでにジュレン部の建てた遊牧帝国(ウルス)があったため、夢は(つい)えた。


 こうして大興の遺民の多くは長城の南に取り残され、張の世では迫害されながらも中華(キタド)の民として生きるほかなかった。太祖アルバクの遷都より九代、草原(ミノウル)はすでに彼らの故郷ではなくなっていたのである。


 しかし時を経るにつれ、彼らの中からも政権の中枢に(しょう)たるものが現れた。英宗に仕えた耶律宜建、中宗の代の拓羅穣且、神宗・僖宗の寵臣である耶律馬漢など、いずれも大興の貴族の後裔である。


 張から梁に移ると、彼らの地位はさらに向上した。なぜなら梁の太祖梁世貞を、興京にいた大興民族が援けて大きな功績を挙げたからである。特に耶律懿徳は「建国の十六功臣」に数えられ、興京を中心とした八州の都督に任命された。


 かくして耶律氏は、今や中華(キタド)の名門として各地に散らばっていたのである。




 閑話休題。インジャとセイネンの話。


中華(キタド)のものがなぜ神都(カムトタオ)にあるのだ」


「そこでございます。サノウとは何とも変人でして……」


「というのは?」


 苦笑しつつ、


「お会いになればすぐに解ります。(アマン)で言うのは難しい」


「ははは、神都(カムトタオ)に行けということか。どうするかな」


「それも難しいでしょうな。さて」


 そのとき、


「今の話、聞きましたぞ!」


 外から大きな(ダウン)がして、一人の偉丈夫(エレ)がぬっと(ヌル)を出した。

(注1)【呉魁・林桂冲の乱】870年に起こった大規模な農民叛乱。陳朝滅亡の遠因となった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ