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草原演義  作者: 秋田大介
巻六
328/783

第八 二回 ④

トオレベ・ウルチ赫彗星に命じて宝珠を欲し

タルタル・チノ盤天竜に託して流星を迎う

 そう答えたハレルヤは、戦斧を(かざ)して諸将に言うには、


「一刻ののち、発つ。遅れたものは断罪に処す」


 居並んだ猛者たちはおうと応えて一散に駈けだす。


 かつて先鋒(ウトゥラヂュ)を務めていたハレルヤは、その卓絶した武勇で大将の任を授けられるまでになっていた。人は彼を称して、盤天竜(天に(わだかま)る竜の意)、または太極柱(天の極を支える柱の意)と呼んだ。


 それはさておき、彼はゲルに戻ると(ハラ)の軍装に身を包み、その巨躯を大馬(トビチャグ)()せて真っ先に走り出る。


 次々と豪勇のものども(ヂオルキメス)が参集して、一刻を待つことなく五千騎ことごとくうち揃った。ハレルヤは無表情にそれを眺めていたが、ふと傍ら(デルゲ)の一将に言った。


黒鉄牛(ハラ・テムル・ウヘル)、大将旗をお前に預ける」


承知(ヂェー)!」


 答えた将は、その名の示すとおり面は黒く、(ウヘル)のごとき体躯(ビイ)の主。(ノロウ)には三人張りの強弓を負い、腰には斧を下げている。


 黒鉄牛は元来ダルシェの民ではない。ハレルヤは彼との出合いを思い起こすたびに不思議な気持ちになる。




 あれは四年以上も前のこと。ハレルヤは十数騎を従えて輪番の哨戒(カラウル)に当たっていた。とある渓谷(ヂェブル)に差しかかったときである。


 上方からぱらぱらと砂が落ちてきたかと思うと、続いてわっという悲鳴とともに一個の人馬が降ってきた。あまりに意外なできごとに、しばらくは誰も何が起こったか理解できなかった。


 はっと我に返ったハレルヤが(アクタ)を降りて近づいてみると、降ってきた男は辛うじて生きて(オスチュ)いた。馬のほうは全身の(ヤス)が折れて、皮膚を突き破って飛び出しているものまであり、まったく絶命していた。


 わけのわからぬまま連れて帰り、側使い(エムチュ)に命じて介抱させたところ、驚異的な速さで傷は癒えた。話せるようになるといろいろと尋ねたが、驚いたことに彼は己の原籍(ウヂャウル)も名前も何ひとつ覚えていない。


 (ゴド)の上から落ちてきたことすら解っていないようであった。それを言うと、幾度も礼を述べる。その様子に好感を持ったハレルヤは笑って言った。


「よし、ではお前は今日から俺の客人(ヂョチ)だ。名がないのでは何かと不便だから、俺が付けてやろう。そうだな……、『黒鉄牛』というのはどうだ?」


 男が再拝して頷いたので、その(ウドゥル)から黒鉄牛と呼ばれることになった。彼はハレルヤの行くところどこへでもついてきて嬉々として仕えたが、生来の不器用らしく何をやらせても巧みではなかった。しかし小心で慎み深かったので誰からも愛された。


 ハレルヤは彼の正体について、どこか大きな部族(ヤスタン)の上将だろうと考えていた。最初出合ったときに上等な鎧を(まと)っていたからである。しかしそれを告げてみても黒鉄牛は首を(かし)げるばかりだったので、それ以上の詮索はしなかった。


 もしどこかの将だったとしても、(ソオル)に敗れて逃げる途上だったのだろうと読んでいたから、記憶が戻ったところで帰るわけにもいかないはずだと思ったのである。




 さて本題に帰って、ダルシェ軍五千騎は黒鉄牛の掲げる大将旗を先頭に続々とダナ・ガヂャルを離れた。


 馬は選りすぐられた駿馬(クルゥグ)、人は誰をとっても一騎当千の精兵。草原(ミノウル)を震撼させてやまぬ()()が、狩りの獲物(ゴロスエン・ゴルウリ)を求めて巣を飛び出したのである。


 視界の開けた平原(タル・ノタグ)に至ると、軍を留めて布陣する。ダルシェの戦法に奇襲はない。いかなる大敵でも正面から粉砕することを旨としてきた。平野に堂々と(デム)()くのは彼らの矜持である。


 すでに斥候(カラウルスン)からは詳報が届いており、(ブルガ)が「赤流星」と称されるジョシ軍八千騎であることまで伝わっていた。無論その精強さも承知していたが、戦法を()えることなどありえない。自信満々で敵の到着を待つ。


 赫彗星ソラもやはり魔軍出陣の報を受けていた。また彼らが平原に布陣していることも知った。ここでソラは慎重に一旦兵を留めた。すると後軍(ゲヂゲレウル)から小スイシが駆けてきて、これを(なじ)った。


「敵を目の前にして何を躊躇している。早く軍を進めよ。それとも臆病風に吹かえれたか!」


 ソラはうんざりして言い返した。


「相手は魔軍ダルシェですぞ。迂闊に(エブル)に飛び込む愚に思い至りませぬか。そろそろ兵を惑わす言動は止めていただきたい。勝てる戦も勝てなくなります」


 それを聞いて周囲の無頼の徒がどっと(わら)う。小スイシは激怒(デクデグセン)して言った。


「この私に恥を搔かせたな! さてはダルシェに勝てぬゆえ、私に敗戦の責を負わせようとしているのだろう。覚えておれ、このことはしかと報告するぞ」


 もはや相手にするのも(わずら)わしかったので、


「軍監殿は戦を前にして興奮しておられる。後方でお休みになっていただこう。誰か軍監殿をご案内せよ」


 またまた哄笑の(クイラン)が湧く。屈強な無頼が小スイシの左右に付いて、これを強引に連れていく。何か(わめ)いたが、笑って誰も相手にしない。


 これをもってこれを()れば奸臣の弊害は甚だしく、まさしく兵法に謂う「三軍の事を知らずして政を同じくすれば(すなわ)ち惑い、三軍の権を知らずしてその任を同じくすれば則ち疑う」といったところ。果たして赫彗星と盤天竜の戦はいかなる顛末(ヨス)を辿るか。それは次回で。

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